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「投げ銭」の背景:わたしは何者か?

宙野牛頓と申します。はじめまして。名前はもちろんペンネームで「そらの・にゅーとん」と読んで頂けると嬉しいです。「宙」は宙(星や空)を見るのが、「野」は野に咲く花々・木々・緑が好きだからという理由で付けました。「牛頓」はわたしの愛読書の一つである『柿の種』などの随筆を書いた寺田寅彦(1878年(明治11年) - 1935年(昭和10年))という物理学者のペンネームを拝借しました。寺田寅彦は夏目漱石と親交があったので、ひょっとしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。物理学者でありながら、多くの随筆を書き、多くの俳句も詠みました。

さて、タイトルにある「投げ銭」(つまりnoteのサポート機能のこと)ですが、実際にnoteを書いていらっしゃる方はたぶんご存知だと思います。わたしはnoteをやってみようと思うまでまったく知りませんでした。noteを始める前、「note」の存在は知っていたものの、いったいどんな機能があるのか知らなかったので、いろいろ検索しました。その間に以下の「新造真人」さんの記事に巡り会い「投げ銭」のことを知りました。リンク先の最初の部分だけでも読んで頂けると嬉しいです。

https://note.com/chamereooon/n/nf6fca3f280cd

要するに新造真人さんの言葉を引用すれば

例えば、路上でパフォーマンスをしている方々がいますよね。マジックや曲芸や歌を披露している方々。そういった方々の近くには、お金をいれる(投げ銭)ための、缶や帽子があることが多いです。
「この人面白いな!これからも頑張ってほしい!」
寄付をしたことがある人も少なくないのではないでしょうか。これと同じことがnoteではできると考えています。応援したいという気持ちを行動に移すことで、喜ぶ人がいるのは事実です。お互いにとってもとても気持ちのいいことです。なので、
「この人めっちゃ面白い!!応援したい!」
という人がいれば、
積極的にnoteの寄付機能を使っていただきたいです。

ということです。

さて、わたしはこの記事でやっと4本目の投稿というnoteの初心者中の初心者です。それなのに、もう「投げ銭」をもらおうなんて「ふてー野郎だ!」と思われるかもしれません。まだ芸人ともいえない輩が、素人芸まがいの芸に対して「投げ銭」を要求するなんて厚かましい限りでしょう。わたしも記事を20本、いや、せめて10本くらい書いてから少々積極的に「投げ銭」をお願いしようと思っていました。でも、けっこう切羽詰まった理由もあって、早々と「投げ銭」をお願いすることにしました。

さて、そんな「わたし」とは何者なのか?

わたしは生まれつきの障害者です。心臓の機能に障害があります。病名では「先天性心臓病」の範疇に入ります。障害の認定を受けていて「障害者手帳」も持っています。障害の分類で言うと「内部障害」になります。内部障害とは、例えば心臓、腎臓、肺など身体の内部に障害があることを指します。多くの場合(とくに比較的障害の程度が軽いと)外見では健常者と見分けがつかないので、なかなか障害のことを理解してもらえません。そこが内部障害者のつらいところでもあります。まだ障害者手帳を持っていなかった頃、ハローワークで肉体労働はちょっと・・・みたいなことを言ったら、楽したいだけじゃないのって言われたこともあります。

生まれつき心臓が悪く、内部障害者として生きてきたことが、良くも悪くもわたしの人生を左右してきました。両親は、わたしが幼い頃から心臓が悪いことには気がついていたようですが、確定診断を受けたのは小学校中学年の頃でした。本来ならば養護学校(今で言う特別支援学校)に入るところでしたが、両親と理解ある教員に恵まれて、小中高校ともに通常の教育を受けてきました。養護学校を差別するつもりはありませんが、わたし自身にとっては大きな意味があったと思っています。ただし、体育実技だけはすべて見学で通してきました。

高校卒業後、最も興味があった物理学を専攻すべく大学受験しましたが、すべて不合格。浪人もしましたが、やはり物理学への門は開かれず、やむを得ず当時は新興だった大学に入りました。しかし、若さゆえというか、その大学・専攻には興味が持てず中退。しばらくブラブラしていたところ、友人から個人経営の学習塾を紹介され、そこにアルバイトで勤めることになりました。これが他人様から初めてお金を頂く経験、つまり人生初の仕事になりました。教師になりたいと思っていたわけではなく、少しでもお金を稼がなくてはという気持ちでした。ところが、いざ「教える仕事」に就いてみると、徐々におもしろくなり、気がつけば自分の人生キャリアのほとんどは「教える仕事」で埋まっていました。

子どもたちに教えているうちに、自分自身ももう一度学んでみたい、もう一度夢を叶えてみたいという思いが強くなってきました。その思いが臨界点に達し、学習塾を辞め再び某大学物理学科の門を叩きました。今回は運良く(?)門が開きました。その嬉しかったことと言ったら・・・! アルバイトとはいえ、仕事によるかなりの貯蓄があったことも幸いしました。さらにその後、教員の口車にのって(笑)大学院へと進み、これまた運良く、大学院在学中から他大学の授業アシスタントを勤め、修了後は非常勤ながら講師に採用されました。大学院からの授業料や生活費は奨学金と種々のアルバイトで賄ってきました。

ここまでのキャリアは一見順調に見えるかもしれません。しかし、すべてアルバイトや非正規雇用です。言うまでもなくアルバイトや非正規雇用は不安定なので、ハローワークにも通いました。「教える仕事」にこだわらず求職活動しましたが、結局正規雇用の仕事に就くことはできませんでした。これまでの塾講師や非常勤講師にしても、障害が外見からは判断できないことを良いことに、自分からは内部障害には触れずに勤めてきました。これまでのところ「教える仕事」については自分的に大丈夫だろうと思っていたので(ただし例外もありました・・・某大手学習塾に勤めたとき、勤務体制があまりにも厳しくて心身ともに耐えられなくなり、数ヶ月で辞めざるを得なくなりました)、何か肉体労働のような事を頼まれたら、その時に初めて「ちょっと心臓が悪くて」と言って何とか逃れてきました。

近年「派遣切り」とか「非正規雇用削減」とか言われているように、大学などでも非常勤講師の雇い止めが多発しています。実は数年前わたしも突然雇い止めを言い渡され、無職状態になってしまいました。その時もハローワークに通ったり、友人・知人に声をかけたりしましたが、単発のアルバイトくらいしかできず、奈落の底に落ちていくような気持ちでした。そんな時、ある人から事務の仕事を紹介されました。これも契約社員なので非正規雇用です。それでも奈落の底から一縷の光を見た思いでした。

慣れない事務仕事でしたが、自分なりに仕事を覚え、職務を全うしてきました。ところが再び、やってもらう仕事がなくなったという理由で職を失いました。今年(2020年)春のことです。またしても希望の光が断たれ暗闇の中に閉ざされてしまいました。

失職した時、すぐに思い付いたのは、やはり塾講師や家庭教師の仕事です。ところが運悪く、今回のコロナ禍と重なり、何であれ仕事はなかなか見つからず、外出もままならない状況に陥りました。もし感染したらと考えると、わたしの場合、重症化するリスクが高いでしょうし、生命にかかわることも十分考えられます。結局いまは「クラウドソーシング」と呼ばれているネット上で業務委託を受注する仕事をわずかにこなしているだけです。業務委託された仕事といっても、わたしは特別なスキルを持っているわけではないので、データ入力やライティングを時に応じてやっているにすぎません。例えばライティングにしても1文字0.1円とかのレベルなので、現時点で小遣い稼ぎにもなりません。とにかくいまはジッとガマンして、インプットの時間にしようと思いました。ところがインプットのために本を買おうと思っても、本代の捻出にも苦労しています。奨学金の返済もあります。返済の猶予はできますが(以前にも何度かやりました)基本的に返済免除はできません。いずれにしても、正直なところ、日々貯金が目減りしていくばかりです。

何だか愚痴ばかり書いてしまいましたが、わたしが内部障害者で良かったと思うこともあります。それは読書習慣がついたことです。わたしの家には読書習慣のある家族はいません。もう亡くなってしまいましたが、父も母も本を読んでいる姿はほとんど見たことがありません。兄弟や親戚もたぶんそんな感じです。あっ、ちなみに、わたしには配偶者も子どももいません。恋愛経験は・・・ヒ、ミ、ツ! 子どもの頃、他の子どもたちと同じように外で遊ぶことができなかったからか、本を読むことで自分の世界を広げていきました。結果的に、それが自然への憧憬や宇宙への関心につながったように思います。

また読書がきっかけとなって「フェミニズム」への関心も育んでくれました。わたしは生物学的にもジェンダー的にも男性です。生まれつき障害を持っていたので、自覚的にはいつも差別される側に立たされてきました。その思いがフェミニズムと共振し、いわゆる弱者への共感や、弱者への視点を育んでくれたと思っています。若い頃は社会や政治に対して無関心というか、目を閉ざしていましたが、その目を開かせてくれたのもフェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムの有名なスローガンがあります。わたしの好きな言葉の一つです。

社会とのつながりという意味で言えば、科学と社会、専門家(科学者)と一般市民とをつなぐ「サイエンスコミュニケーション」と呼ばれる活動にも興味を持ちました。「サイエンスカフェ」などという催しをネットなどで見かけることも多いと思います。これなどは「サイエンスコミュニケーション」を実践した一つの形と言えます。いわゆる公的な資格ではありませんが、国立科学博物館で10年以上にわたって開催されている「サイエンスコミュニケータ養成実践講座」を受講し「国立科学博物館認定サイエンスコミュニケータ」の資格も取得しました。この講座のお陰で、多くの新たな友人・知人を得たことは、わたしにとって大きな財産となっています。

https://www.kahaku.go.jp/learning/university/partnership/sc/sc.php

わたしがnoteを始めたのは、ある知人の方がnoteを始められたことがきっかけでした。前述したようにいろいろ調べてみると、自分で書いた文章や撮った写真を自由に投稿でき、他の人にも楽しんでもらえる(つまり「スキ」をもらえる)ことが、とても楽しいように思いました。文章を書くことも、写真を撮ることも好きです。わたしはnoteとは別にブログを10年以上書いています。でも、投稿はけっこう面倒なこともあって、最近は更新がかなり疎かになっています。それに比べてnoteは投稿がとても楽です。確かにブログと比べてカスタマイズの点で劣りますが、更新が楽というのは、わたしにとって高ポイントでした。

そしてもう一つ、noteでは自分が投稿した記事を販売できるということです。もちろん、わたしが書いた記事を高値で売ることなど考えていません。将来的には高値を付けられるような記事が書けたなら嬉しいですが、もしそういうことがあったとしても、それはもっともっと先のことでしょう。少なくとも現時点でお金を頂けるような記事を書けていませんが、万が一にも「投げ銭」(サポート)を頂けたらとても励みになると思うのです。頂いたお金は、とくに本を買うなどのインプットに当てたいと思っています。

わたしが本を読んだり知識や技能を身につけたりしていくことがインプットならば、noteで記事を公開することはアウトプットになると思うのです。わたしからのアウトプットによって、皆さんがほんの少しでも驚き、楽しさ、安らぎなどを感じてもらえたなら、本当に嬉しく思います。noteのやりがいはそれに尽きます。

最後に、ショートショートの名手と言われた星新一(わたしは大ファンでした!)の言葉を載せておきます。

とにかく、あの人と会話をすれば、何か楽しい時を過ごせる。利口になった気分になれる。そう思ってもらいたい。つまり、それは小説を書く心構えでもある。

最後の最後まで読んで頂きありがとうございました。

☆サポート頂ければ大変嬉しく思います☆
★「サポート」とは「投げ銭」スタイルのことです★





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宜しければサポートをお願い致します。ご厚意は本を購入する資金とさせて頂きます。これからも皆様に驚き、楽しさ、安らぎを与えられる記事を書きたいと思っています。