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家族そろって風邪を引いた夜

習慣のように開いた天気アプリは、気温17℃を示していた。とはいえ、数字よりも体感というやつをもっと重視している私は、窓から差し込む暖かい光に騙されてまだ暖かいのだと勘違いをしていたらしい。
衣替えはとっくに済ませていたのにもかかわらず、いつまでも夏服に少し着込んでいる程度の格好で、家の中でも外でも過ごしていた。
でも、風邪を引いてしまったのは格好のせいだけではない。地域柄なのか、やたらと乾燥するのだ。一晩寝て、朝起きると喉がすっかり乾き切っている。朝起きるたびに、「喉が痛いね」と夫と言い合いながらも、数分後にはそのことはすっかり忘れて、翌朝にはまた同じことを言い合うはめになっている。

「加湿器があってもいいかもしれない」と、「でも我慢すれば乗り切れるかもしれない」という思いが半分ずつほどにはなったある日、明らかに風邪を引いてしまった。
体が芯から冷たく、次第に鼻水が止まらなくなり、続けて頭が痛くなった。幸い熱は出なかったのだが、そのせいか普段と変わらない生活を続けていて回復を遅めてしまったのかもしれない。
そして、当然の結果なのかもしれないけれど、四六時中、私と一緒にいる娘にも風邪がうつってしまった。私と同じように咳き込み、呼吸をしても痰が絡んだ音がする。ただ、娘も平熱でいつもと同じように元気に振る舞っていたので、病院には行かずに様子を見ることにした。

私と娘、二人が風邪でダウンしてしまって、しわ寄せがくるのは夫だ。仕事に加えて、娘の世話や普段よりも多めの家事が回ってくる。どんなことも嫌々するということのない夫は、冗談を言いながら普段よりも多めのタスクをこなしていた。

ただし、風邪っぴきが二人いる空間に一緒にいるということ自体がまずかったようだ。数日後、夫も同じように咳をしていた。

早く治すためには栄養を取って、休むしかない。いつもは就寝時間がバラバラな3人である。でも全員が風邪を引いたとなると、夕食が済んだら「もう寝よう」ということになった。
まだ隣家から生活音がもれ聞こえてくるような時間。3人で川の字になって横になった。まだ眠くない娘が、夫と私の間でもぞもぞと動いている。
暗闇の中で、夫が枕元でのぞいているスマホのライトだけが、ぼんやりと部屋を灯している。


娘の気配を感じながら、ここ最近心を占めていた思いを振り返っていた。
幼い娘を家で見ながら、在宅で仕事をしたいと思っていること。やるなら責任を持ってやりたいと思っていること。せっかく娘と過ごすのだから、娘に関心を注ぎたいと思っていること。夫との時間を大切にしたいと思っていること。夫とこれから始めようと思っているいくつかの計画…。
あれをしたい、これをしたいと願うことは、時にワクワクするようなものでありながら、いつまでもチェックが付かないタスクリストをたくさん抱えているような焦りにもなる。

それなのに、こうして体力も気力も衰えて、家族が一緒に横になっていることが妙に心地よかった。「何もできない」状況は、いつも時間に追われるように過ごして自分に、「焦らなくてもいい」と諭してくれているようだった。
常にスケジュールは「やらなければならないこと」と「やりたいこと」で一杯になっていた毎日。いつの間にか、その日、その瞬間を楽しむこと、感謝することを忘れていた。

我が家に小さな子どもがいるということ、そして人生を共に歩んでくれる夫がいるということ。そんな当たり前の事実が、自分にとっては「何かを成し遂げること」や、「何かを得ること」には替えられない大切なことであるということが、心に思い起こされた。

健康を損ねて、不自由な状態になってなお、自分に残されているものがどれほど大切なものだろう。
回復して、今まで通りピンピン動けるようになったら、そんな考えはケロりと忘れてしまうのかもしれないけれど…。
でもそれでもいい。きっと大切なものを大切にし過ぎたら身動きが取れなくなってしまうのだろうから。

思いついたように、隣で背中を向けている夫に「今日も良い一日だったね」と声をかけた。そんな唐突な言葉に対して、間をおかずに「そうだね」という言葉が返ってきた。

いつの間にか娘は眠ってしまったのか、足元の近くで目を閉じていた。


家族そろって風邪を引いた。
治ったらまた「あれもしたい、これもしたい」と欲張る日常に戻るのだろう。でも、家族3人で川の字になって眠ったあの夜は、不思議な安らぎを与えてくれた。

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