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手渡された温もり

「つわりのときは何を食べてた?」
そう夫に聞かれて、さてどうだったかと2年前の記憶をさかのぼってみる。

グレープフルーツ、豆腐、トマト、キャンディーチーズ

酸味があるものを好んで食べていたように思う。
味が濃いものや脂っこいものはダメで、ある日無性に食べたくなって夫に買ってきてもらったケンタッキーのフライドチキンは、一口食べてギブアップしてしまった。頭では食べたいと思っているのに体は拒否している。好きなものが食べられないなんて、とほとんど手付かずのチキンを前にして涙ぐんだことを覚えている。

辛かったつわりは安定期に入ると嘘のように楽になり、辛かった記憶はそのまま忘れてしまった。

夫の友人が妊娠中で、今まさにつわりで苦しんでいるらしい。
彼女が不思議と口に出来たのはカップラーメンなのだそう。食べられるものは人それぞれだ。

つわりの頃に思いをめぐらせていると、もう一つ、食べられたものを思い出した。

それは、夫が握ってくれたおにぎり。

妊娠がわかったのは結婚して間もないころ。
料理はそんなにうまくはないけれど、張り切ってキッチンに立ち、スマホで美味しそうなレシピを拾ってきては作っていた。でもつわりが始まり、キッチンに立つことも難しくなった。
そんなわたしに代わり、仕事を終えて帰ってきた夫は毎日のように料理を作ってくれた。
暑い夏が始まろうとしていた。実家から送られてきた野菜を使って、ナスの煮浸しや野菜炒め、ポテトサラダなんかを作ってくれた。

そんなある日、ふとリクエストしたのがおにぎり。
いいよ、と言って夫は湯気の立つ炊き立てのご飯を手に取った。熱い、熱いと言いながらも、手のひらの上で軽快にごはんを転がしながら、おにぎりを握る。
できたよ、と食卓に並んだおにぎりは、わたしが見たこともないくらい大きくて。口いっぱいに頬張ると、中から梅干しと昆布が顔を出した。
なんのへんてつもない、そのおにぎりが美味しくて、それ以来夫に、何度も何度もおにぎりをリクエストした。

つわりも終わり、食べられない物があったことなんて嘘のように今では何でも美味しく食べる。
そして、わたしは最近、毎日のようにおにぎりを握っている。
自分で食べるため。そして子どもに食べてもらうためだ。
初めは熱くて、素手で触れなかった炊きたてのごはん。便利ならばと、おにぎりを作るための型を使ったこともある。でも、手を使って、水と塩をつけて握るおにぎりが一番美味しい気がして、結局手で握るようになった。
毎日作っていても飽きなくて、美味しいおにぎり。

でも、夫が作ってくれたあのおにぎりの味が一番美味しかったような気がする。
なぜだろう、と思っていたら、ある日観た映画のセリフを聞いて、そういうことだったのかと一人納得した。

『おにぎりは、人に作ってもらうのが一番美味しいんだよ』

映画『カモメ食堂』

誰かに作ってもらうおにぎりは美味しい。
大きかったり、小さかったり、具がはち切れるくらい詰め込んであったり。
おにぎりには、作り手の性格が現れている。
誰かに作ってもらうおにぎりは優しくて、温かい。

住宅地の中を歩いていると、つい人の家の庭を見てしまう。小さなオブジェが楽しげに並べられている庭。広い敷地があるのに雑草をぼうぼうに伸ばしっぱなしの庭。シンボルのように大きな樹木を植えている庭。庭を見ているとそこにどんな人が住んでいるのか少しわかったような気がしてくる。
よく通る散歩道に、お気に入りの庭がある。年季の入った家屋をぐるりと囲むように庭がある。人の手で作られた小さな小道の周辺には所狭しと植物が植えられている。春、夏、秋、冬と花が途絶えることはない。庭の片隅にはMy little gardenと彫られた板がかけられている。住人の姿を見たことはないけれど、きっと毎日庭に出ては、草木の世話をしているのだろう。そんな、人の手の温もりを感じる庭なのだ。

もうすぐ、2022年も終わろうとしている。年末になると過ぎた一年を振り返り、ああでもないこうでもないと、あまり益にもならない後悔と反省に浸ってしまう。それでは、と来年のことを考えると、真っ白な画用紙を渡されて途方にくれた子どものようになる。
具体的な目標も何も見つけられないまま、ふと心に浮かんだのは、「来年は人の心を温めるようなことをしたい」ということだった。
だいそれたことではなくて、それを見てくれる人、それを受け取ってくれる人、それを食べてくれる人のことを思いながら、目の前のものに向き合っていく。そのような関わりの中で心が込められて、ふとした瞬間に人の心に届く気がする。
自分で自分の体をマッサージすることが出来ないように、自分で「人が作ったおにぎり」を作ることは出来ない。美味しさを手渡せるのは、自分ではなくて、他の誰かだということをここ数年でようやくわかった気がする。もっと美味しいものが食べたいと欲を張るのではなくて、進んで誰かに食べてもらう、そんな歩みを日常の中で送っていけたらと思う。

誰かの心を温めたい。たとえその瞬間を見たり、感じたりすることができなくても。
見たことのない例の庭の住人には、My little gardenを見てもらいたい人がきっといるに違いない。

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