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為末大さんが言っている「アスリートが『書く』事の意味について」

皆さんこんにちは!
本日は「こんな考え方に出会ったんだよ!」っていうのを紹介?書いていければと思います。

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というわけで、この動画視聴しました。

為末大さんはこの動画で、書くことにより論理的思考、つまり辻褄の合うものの考え方ができるようになり、自分の中にある競技に対するフワッとした感覚を形あるものとして表せる。とおっしゃっていました。
で、結果それが競技力向上に関わってくると。

ナルホド。へぇ〜って感じでした。笑

私自身の話になってしまうのですが、こうしてブログを週2で書き出したのは去年の1月から。
それまでは、前チームのブログに週一投稿。その前は大学のチームページに2から3ヶ月に一度投稿…となんだかんだで「人に見せるもの」を書いてきていました。
さらに、高校生の時からレースや合宿が終わる毎に報告書の作成、毎日の練習ノートに関しては小学校3年生でトライアスロンを始めた時から書き続けています(これは人に見せる目的ではなかったですが)。

で、正直な話。
この動画を視聴するまで、私にとって「競技のことを書く」という行為は、「言われたからやってるだけ」か「選手としての仕事or宣伝活動」でしかなかったわけです。
特に意味は考えず、書いてるだけ。みたいな。
「なんで書くんだろう?」みたいな疑問も抱かなかったのは今考えるとあまり良くないですね…。

まあそんな感じで、16年越しに競技のことについて書くことの意味を知ったわけなのですが、この動画の中で為末大さんが言っていた「話し言葉は意外と文章としての形を保てていない」という言葉が強く印象に残りました。

動画にあった例えでは、スポーツ選手の試合後のインタビューで「今日の試合はどうでしたか?」という問いの答えは意外と形になってないってことでした。
私もこのことはなんとなく理解できて、確かに自分が喋ったのを聞き返しても、内容がまとまってなかったりしてました。

喋る事の最大の利点は、リアルタイムで考えていることをすぐに出せることだと思います。
逆に書く事の利点は、多少時間はかかりますが、考えを後で見返しても理解できるように整理することだと思います。

結局何が言いたかったかというと、「私が書いてることには、こんな素晴らしい意味があったのか…!」という事です。笑

ずっと書いてたから書く事ができるようになったのか、元々書くのが得意だったのか、今となっては分かりませんが、今後も自己成長の意味も込めて、こういうなんでもない日記ブログ書いていこうと思います。笑

いや、それじゃダメなのでは…。ちゃんと考えて書かないと。
というわけで今日はここまで!

それでは!


トライアスロンーーー!!!🏊‍♂️🚴‍♂️🏃‍♂️🥇