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こんな、ゴミと絶望だらけの部屋なのに

「ねえ、ふたりで抗ってみない?」
 最近流行りのアニメのセリフだ。今の状況に、今の生活に、今の世界に、抗う。ここでは僕らふたりはまだ子供のようだった。実年齢など関係なく、この子供っぽさを捨てきれずにいる限り、僕らはフィクションの主人公になり得る存在だ。そんな気がしていた。
 ヒロインは言う。ふたりで抗ってみない?
 主人公は何も言わず、彼女の手を握る。
 感触のないこの世界で、僕は彼女の手を握る代わりに頭を撫でた。視界に手が入るのでこちらのほうがわかりやすいと思って。
「ひとりで生きるのは辛いけど、ふたりで生きるならきっと、大丈夫だよ」
 彼女はアニメの台詞を続けた。よく現実が辛いと愚痴り合いながら強くないお酒を煽ってはそのままVRゴーグルを被ったまま寝落ちして、目が覚めたとき現実ではなくVRの世界が先に視界を覆って、そこでおはようと言い合う。こうなってしまえばもうそこは現実と大差ない世界だ。僕と彼女の世界。物が散乱した部屋の中で、VRゴーグルの中だけが綺麗だ。
「……それはつまり、付き合おう、って、こと?」
「……うん」
 彼女は少し恥ずかしそうに俯いた。お酒が少し入り始めて、互いの体が火照ってきたころ。お互いの思考が、ゆるんできたころ。
「いいよ」
 いいよ、という以外の選択肢はなかった。いいよ。君となら生きていける。辛い現実があっても、生きていける。そんな気がした。
「……ほんとに?」
 彼女はおそるおそる顔を上げる。ちょうど上目遣いになって、あ、この角度かわいい、と思った。
「いいよ」
 僕は同じ言葉を繰り返した。よかった、と彼女は笑顔になった。僕はその彼女に手を伸ばして、抱き寄せるフリをする。彼女は少し躊躇ってから、僕へと近づいた。

 ――――

「ねえ、二人で抗ってみない?」
 ふと思い出したお気に入りのアニメの台詞。酒を飲んだせいでぽろりと零れ落ちた。彼は、劇中の彼がヒロインに手を伸ばしたように、私の頭に手を伸ばし撫でてくれた。私は今なら言える気がして、台詞を続ける。
「ひとりで生きるのはつらいけど、ふたりで生きるならきっと、大丈夫だよ」
 唾を飲み込む音が酷く自分の中で大きく響く。彼に聞こえていませんように。お酒を飲んでだらだら喋って、愚痴を言ったり聞いたりして、適当に動画を流しながら気づけば寝落ちして、VRの中で朝を迎えて、誰よりも先におはようを言う。忙しない生活の中、VRの世界だけ時計の針が遅くなってるようだった。
「……それはつまり、付き合おう、って、こと?」
 普段よりも少し高めの声で、彼はそう尋ねてきた。お酒が入ってきた証拠だ。お酒に頼らないと喋れないなんて、情けないな、と思うけれど。
「……うん」
 私は俯いた。本当は素面のときにこういうはなしはすべきなんだろう。きちんと、酔っていない状態で、互いの意思を確認して。
「いいよ」
「……ほんとに?」
 返ってきた言葉を訝しんでしまう。じゃあ素面のときに聞きなよ。自分でそう思うけど、素面のときじゃ、足りない。
 私はおそるおそる顔を上げた。彼は普段通りの表情のままだった。
「いいよ」
 彼の手が私を引き寄せた。私はそのとおりに動いて、彼と近づく。
「ありがとう」
「うん」
 彼の顔がひどく近い。きっと現実なら、キス、している距離だろう。

 ――――

 近くなった関係。けれどきっと変わらないであろう関係。でもなぜだろう。散らかった部屋の中、開けた酒の缶とつまみの袋、そんな匂いしないはずなのに、何故だか花の香りがした。

絵:深水渉


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