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9月になったその日に秋が来た(と思っている)

こんばんは、篠原です。
今日は季節の移り変わりについてのお話です。

今年の東京は9月に入った瞬間に「はい、ここから秋のはじまりですよ」って天から言われたみたいに秋が始まった気がします。

我が家の周りの自然界では、8月中旬くらいから秋が始まり出していたようで、夜になると秋の虫たちの鳴く声が聞こえていました。
夜になり秋の虫の声が聞こえても、まだまだ暑く寝苦しい日が続いていた8月には、人間である私は秋を感じられずにいました。

ですが、9月1日になると同時に気温や湿度が下がり、半袖を着る日常から長袖を着る日常にすんなりと切り替わりました。
夜に聞こえる秋の虫の鳴く声には、素直に秋を感じられるようになりました。

気温や湿度がぱっきり変わらないと季節の移り変わりを強く感じられない私は鈍感な生き物だなぁと思ったり。それに引き換え、秋の虫の活動の季節がきた事を感じ取る能力の高さに尊敬の意が新たに高まったりした秋の始まりです。

季節の移り変わりといえば。
今週観た映画で、季節の移り変わりの表現で素敵だなぁと思ったものがありました。
その映画は1960年に公開された日本映画で。
主人公が体調を崩してしまい、療養のため、お仕事を休まなくてはいけなくなって。
その療養期間が主人公のナレーションで「煩わしいクリスマスも年末年始も終わり、七草も過ぎた」と語られたのです。
私はこの「七草も過ぎた」という表現に痺れてしまいました。
日本では1月7日に七草がゆを食べる風習があり、「七草も過ぎた」とは「1月7日が過ぎた」という事を示していて。
「年が開けて1週間が過ぎたころ」とかじゃなくて。
「七草が過ぎ」と聞けば、「あぁ、1月7日が過ぎたんだな」と観客が理解する。
このあっさりした表現の中に時間の経過がしっかり乗っかっていることか、観客に脳内変換をさせてくれる豊かな表現に痺れてしまいました。
もしかしたら60年頃はごく当たり前の表現だったのかも知れませんが、私はいたく感激してしまいました。

時代によって、生活する環境によって、季節の移ろいの感じ方は変わるのでしょうが、私はどの年齢になっても、どこで暮らしても、季節の移り変わりを感じながら、感じた事を自分の中で咀嚼しながら表現しながら、生活できたらいいなと思いました。

自然界の季節の移り変わりについての察知能力には敵わなくても、自然から季節の移り変わりを教えてもらえるくらいには、自然と仲良く生活できたらいいなと思いました。

今週はそんな感じです。

あ。
人参サラダを作った時に、砂糖の瓶の蓋を開けようとしたら蓋がなかなか開かなくて、やっと開いたと思った瞬間に砂糖を大胆にぶちまけてしまったという事件も今週はありましたな。
瓶の蓋を開けるときは、皆様、どうぞお気をつけください。

さて、来週の私の楽しみは、ベルサイユの薔薇のアニメを(たくさん)観る事です。
ふふふふふ。
では、また来週に。

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劇団フルタ丸『ねむる広告塔』

ねむる広告塔_グラフィックG6-logoA2

11月19日(金)~21日(日)
@APOCシアター

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