“The Book of the Day!”記録(2/15~19)


2/15 セバスチャン・ラシヌー『コーヒーは楽しい!』

毎朝この読書会に参加する際にコーヒーか紅茶を飲んでいることから、この日はコーヒーに関する本を紹介した。「楽しい!」シリーズは他にもウイスキーやワイン、スパイスに関するものもあるのでおすすめ。

コーヒーを飲むようになったのは中学生の頃からだが、大学院に進学した頃からドリップコーヒーを飲むようになり、海外勤務を終えて日本に帰国した5年ほど前にミルを購入し、豆を挽いて飲むようになった。東京のような大都市はもちろんだが、地方でもコーヒー豆を扱っているコーヒー店は決して少なくないのでミルの稼働率は非常に高い。現在住んでいるところも半径100m以内に2件のコーヒー店があるため、コーヒーに困ることはまずない。(一方で紅茶店には困るので、こちらは東京にあるお店から取り寄せている)。

この本ではコーヒーの歴史から、豆の焙煎と挽き方、淹れ方に至るまでイラストをふんだんに使って詳細に説明されている。まさにコーヒーを「楽しむ」ためのノウハウが凝縮された珠玉の1冊となっている。

コーヒーのみならず、紅茶やチョコレート、煙草のような嗜好品は「帝国主義の産物」という見方もできるはずである。それぞれのメジャー・メーカーが産出国から不当に安く買ってきたという歴史もあるわけで、これらの嗜好品を楽しむうえでは「フェア・トレード」というものも強く意識されるべきであろう。

2/16 中原みすず『初恋』

この日は他の方が学生運動に関する本を紹介していたので、中原みすずの『初恋』を紹介することにした。著者の中原みすずは1968年12月に発生した三億円事件の真犯人を称する覆面作家である。

「大人になんかなりたくない」、その一言でみすずは新宿のジャズ喫茶「B」への出入りを許される。そこでの仲間たちと交流する中で、仲間の一人がデモに巻き込まれ、警官に暴行を受けることとなる。元々権力に対する憎しみを持っていた物静かで、仲間たちからは「つまらない男」と言われていた「岸」が、権力への復讐として三億円強奪事件を起こすことを決意し、みすずも実行犯として関与することとなる…。

三億円強奪は見事に成功し、「岸」は強奪した現金に犯行声明を添えて有力政治家である父に送り付けるが、父親の強大な権力によってその事実はもみ消されることとなり、「岸」は姿を消す。みすずは「岸」と再会する日を心待ちにするも、「岸」は消息不明となり、強奪された三億円は1枚も使われることなく事件は時効を迎える。

三億円事件を「学生運動の一部」と捉えた作品で、みすずと「岸」それぞれの「初恋」の心情描写が見事に描かれた傑作である。2006年には宮﨑あおい主演で映画化されたが、宮﨑あおいが『ユリイカ』以来持ち続けている、「言葉は少ないが、その表情だけで十二分に演技をする」という特徴がよく表れている作品である。宮﨑は映画製作にあたって著者であり、主人公である中原みすず本人とも面会をしており、その際に「三億円事件の真犯人である」と確信したという。おそらくその確信こそが、彼女の最高の演技を生み出したのだと私は信じて疑わない。

2/17 立花隆『青春漂流』

中学生の頃に父からプレゼントされた本である。以前父が自分のFacebookのタイムラインに書いていたような気がするが、父が最も人に贈った本なのだそうだ。私にとっては、初めて読んだ立花隆の本であり、これ以降立花隆のノンフィクションに傾倒していった。もっとも、ロッキード事件や日本共産党、新左翼、脳死、宇宙、臨死体験などについて書いている立花隆の作品の中ではきわめて異色の作品と位置付けても良いと思う。

私のお気に入りはソムリエの田崎真也とコックの斎須政夫の話で、この二人の話は何度も何度も読んだ記憶がある。私は結局、「普通」に高校、大学に進み、もう少し勉強したいと思って大学院まで進んだものの、その後は「普通」に就職し、入社時に携わりたいと思っていたサウジアラビアでの事業を経験した後、再び「普通」のサラリーマン生活を送っている。ある程度の「普通」を積み重ねた後にこの本を読むと、次の部分は自分への問いかけとして非常に刺さるものがある。

人生における最大の悔恨は、自分が生きたいように自分の人生を生きなかったときに生じる。
一見いかに成功し、いかに幸せに見えても、それがその人の望んだ人生でなければ、その人は悔恨から逃れることができない。反対に、いかに一見みじめな人生に終わろうと、それが自分の思い通りの選択の結果として招来されたものであれば、満足はできないが、あきらめはつくものである。
若くして老化した青年たちはそれぞれに一見人並み程度に幸せな人生は送ることができるだろう。しかしいつの日か、ほんとは自分にちがう人生があったのではないかと、その可能性を試せるときに試さなかったことを悔やむ日がくるにちがいない。
(立花隆『青春漂流』プロローグより)

自分が歩んできたことに対して、「自分を納得させる」ようなことがあるのもまた事実であるわけで、それを戒めるためにも中年になった今、あえてこの本を読み直してみることに意味があったように思う。

2/18 寺村輝夫『ぼくは王さま』

なぜだかわからないけれども、小学校1~2年生頃に読んだこの本を無性に読みたくなり、文庫版を購入して読んだ。和田誠による挿絵のバージョンもあるのだけれども、私にとっては和歌山静子さんの挿絵でなければダメなのである。

先日紹介した新美南吉の『手袋を買いに』もそうであるけれども、大人になってから童話を読み返してみるというのは実はとても大切なことなのだということをこの本でも再認識した。子どもの頃に読む童話は単に「おもしろい」、「楽しい」ものであるけれども、大人になってから同じ作品を読むとそこに隠されている「教訓」や「比喩」、「含意」、「皮肉」を読み取ることができる。

この本に所収されている「ウソとホントの宝石ばこ」などはそれにあふれていて、著者の寺村輝夫が特攻隊の生き残りであることと併せて考えると、隣の国の王さまとのやり取りは実に人間の本質を突いたものであると感じさせられる。

どこの おうちにも
こんな 王さま
ひとり
いるんですって

寺村は本の冒頭にこんなことを書いている。これは子ども向けには、わがままな王さまのような子どもはどこにでもいるという警句であるけれども、大人になってから読んでも、「わがままな王さまのような人間になってはいないだろうか?」と自問自答することにつながる。

王さまの話には、「裸の王様」や「王様の耳はロバの耳」のような既存の寓話を強く意識したものもみられる。ただ、寺村の描く王さまの回りには、王さまが自分の過ちに気付けるような様々な「仕掛け」が施されていて、それゆえに王さまは決して破滅することがない。こういう「仕掛け」と王さま自身の「気付き」によって、より良い王さまになろうとする姿が描かれていることで、読み手の子どもも大人も大いに教訓を得られるのではないかと思う。

2/19  山下和美『天才柳沢教授の生活』

前日に寺村輝夫の『ぼくは王さま』の「ウソとホントの宝石ばこ」を読んだことから、「嘘」に関するエピソードを思い出してこの本を紹介した。

柳沢教授は経済学の研究者であり、関心を持ったことについては分析を試み、機械のような動きをする人間であるが、実に豊かな感性の持ち主である。そんな柳沢教授が少年時代に行った「嘘の研究」が実におもしろい。柳沢少年は人々がつく嘘を調査し、分析して4つの類型に分類されることに気付く。

①目前の恐怖から逃れるための嘘
②より楽しい方向へ自分を導くための嘘
③思い込みによる嘘
④相手を欺くための嘘

ある日、柳沢少年は英国出張から帰ってきた父が、銀座のデパートで買ってきた人形を「英国土産」と嘘をついて母にプレゼントしたことに気付く。柳沢少年は父を問いただし、母にその事実を伝えに行こうとするが、母の部屋で次のような光景を目にする。

(山下和美『天才柳沢教授の生活』より)

母は父の嘘に気づきながらも、その嘘を受け入れたのである。柳沢少年はこの母の姿を見て「第⑤の嘘」を次のように分析する。

⑤愛すべき嘘

(山下和美『天才柳沢教授の生活』より)

積み重ねてきた人生を振り返ると、「嘘」をついたことのない人間などおそらくはいないだろう。多くの人は柳沢少年が分析した、「目前の恐怖から逃れるための嘘」、「より楽しい方向へ自分を導くための嘘」、「思い込みによる嘘」、「相手を欺くための嘘」をついているものなのである。そして、「愛すべき嘘」も…。

自分の人生を振り返ってみても、「きたない嘘」をついたこともあれば、「きれいな嘘」をついたこともあると思う。「きたない演技」をしたこともあれば、「きれいな演技」をしたこともあると言い換えても良いのかもしれない。自分はこれからの人生でどれだけ「きれいな嘘」や「愛すべき嘘」をつくことになるのだろうか、そんなことを考えさせられた話だった。

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