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【第四夜】エドモン・ロスタン著『シラノ・ド・ベルジュラック』

2002年、大学3年生の時、第二外国語のフランス語の再々履修を受けた。真面目な学生や普通の学生、要領の良い学生であれば第二外国語などというものは大学2年生までにきちんと単位を取得できるものである。私はあろうことか一度ならず、二度までもフランス語の単位を落とし、大学3年生になってもフランス語を週3コマも履修していた。

2つは2年時に落とした分、1つは1年時に落とし、2年時の再履修で落とした分とフランス語の成績は散々で、今でもフランス語で覚えているのは、”Ce qui
n'est pas clair n'est pas français.”(明晰ならざるはフランス語にあらず)
というアントワーヌ・リヴァロルの言葉と、”Et alors ?”(それがどうした?)というミッテランが不倫について聞かれた時に答えた言葉くらいである。3年時になっても週3コマのフランス語を履修していたことから、「法学部政治学科兼仏文科」と自嘲気味に言っていたものである。ちなみに、2年時に履修した2つのうち1つの講師がけっこう厳しかったこともあり、3年時に再履修を1コマ受けているクラスメートはさほど少なくなかった。(同じゼミの友人が他に3人いたが、3人とも3年時に再履修を受けていたくらいだ)。

週3コマとなると、1つくらいはできるだけ楽に単位を取れる授業を履修したいと思っていた。当時、私が通っていた中央大学には、権威あるグルメ誌の”Michelin”をもじった学生有志による『リシュラン』という講義評価雑誌が存在した。おそらくそれを読んで、「フランス映画を観てレポートを書くだけで、期末テストがない」という「再履修専門クラス」の存在を知った。

「テストがない」という宣伝文句は強力で、この「再履修専門クラス」には体育会系の学生が集中した。箱根駅伝を走っている学生やフェンシング部の学生なんかがいたと記憶している。ちょっと変わった学生だと、その年の司法試験に20歳で合格し、卒業後は司法修習を経て国内最大手の法律事務所に就職したなんてのもいた。(学年が同じだったから、彼もまたフランス語を二度落としたのである)。

ある意味で「人気」の授業であるため、履修登録は先着順になる。開門前の多摩動物園側の北門(谷津入坂という坂を上ったところにある)に並び、開門と同時にペデストリアンデッキを猛ダッシュして法学部棟の教室にある履修受付を目指した。大学4年間であんなに朝早く登校し、キャンパスの中を走ったことはなかったとあの時以外になかったと思う。

かくしてこの「人気」の「再履修専門クラス」の履修登録に成功した。担当は浅岡夢二助教授(当時)、どことなく俳優の寺尾聰に似た雰囲気の紳士だった。前評判通り、授業はまずフランス映画を観ることから始まる。フランス映画を観て、観終わったらシナリオの一部を翻訳し、所々で浅岡先生が映画の解説をするということの繰り返しで、期末のレポートはフランス映画を2本観て、その感想文を書くというものだった。期末レポートでは、リュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』(フランス語吹替版)ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』にした記憶がある。両方とも劇中で使われている音楽を知っていたからというのが選んだ動機だった。

元々映画が好きだった私はこの授業を通して様々なフランス映画を知ることができた。『男と女』『太陽がいっぱい』『冒険者たち』『めぐり逢う朝』…。アラン・ドロンの作品を観たのはこの授業の時が初めてだったし、ジェラール・ド・パラデュールとアンヌ・ブロシェという俳優を知ったのはこの授業を通じてだった。『めぐり逢う朝』でジェラール・ド・パラデュールとアンヌ・ブロシェの魅力を知り、さらにその次の授業で知ったのが、ジャン=ポール・ラプノー監督の『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990年)である。この映画は現在までのところ、私が最も好きな作品であり続けている。

ようやく長い長い前置きが終わった(笑)。『百夜百冊』の第四夜で紹介するのはエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』である。長い長い前置きは、私にとってこの作品を語るうえで絶対に避けることができないエピソードだったからである。また、この作品は最初に1990年の映画版を観た後、まずは辰野隆・鈴木信太郎訳(岩波文庫、1951年)を読み、後に渡辺守章訳(光文社古典新訳文庫、2008年)を読んでいる。さらに、鈴木忠志演出・蔦森皓祐主演版(新国立劇場、2006年)、鵜山仁演出・江守徹主演版(文学座、2007年)、鈴木裕美演出・吉田鋼太郎主演版(日生劇場、2008年)をそれぞれ観劇している。

この作品を荒々しく、そして月並みに一言で寸評してしまえば「男の美学」、いや「醜男だからこその美学」であると思う。プロットや結末は少し異なるけれども、宮崎駿の映画『紅の豚』志賀直哉の小説『赤西蠣太』に似ている。『紅の豚』と『赤西蠣太』はいずれも結末は明示はされていないけれども、どこか「ハッピーエンド」で終わることを思い起こさせるのに対して、『シラノ・ド・ベルジュラック』は最後の最後に「幸せ」に手が届きかけたところで力尽きてしまうところに哀しさと美しさ、そして何よりも誇り高さがある。

作品全体を通じて「醜男」であるがゆえに感じるコンプレックス、痛み、苦しみ、哀しみ、卑屈さ、嫉妬、偏屈さ、頑固さ、愛情を注がれないことへの諦観といったあらゆるネガティヴな感情が表現されている。「ロマン主義」という「美」を追求する動きの中で、その対極にある「醜男」であっても、努力と才覚、そして何よりも人を愛する力さえあれば、「美しい詩」を通じて自らの情熱を伝えることができるという点が特に強調されている。絵画や彫刻といった芸術作品以外に保存可能な「映像」というものが存在しない時代において、「美しい詩」こそは非常に大きな価値を持っていたはずである。

この作品では華美な理想を追求する一方で、ガスコーニュ出身者の無骨さや高潔さ、「質実剛健」とも言うべき気風も表現されており、日本での上演においてはその点が強調され、シラノを一人の侍として扱っているような演出になっている節がある。例えば私が2006年に新国立劇場で観た鈴木忠志演出版や脚色された『白野弁十郎』などがその典型であろう。そういう意味では、『シラノ・ド・ベルジュラック』という作品は日本との親和性が高く、今後も更なる新解釈や発展を望むことができる作品と言える。

シラノの生き方は哀しく、非常に不器用なものであるが、美しく、誇り高い。それを象徴しているのが第二幕第八場の次の部分だろう。

いやだね、いやだね、いやだね、真っ平だ!俺はな、歌って、夢見て、笑って、死ぬ、独立不羈、自由だ、しっかり物が見える目玉と、朗々たる声と、お望みとあらば斜めに被るつば広帽子、いいと言うにも拒否するにも、命を賭けるーさもなきゃ詩作三昧よ!名誉も栄華も知ったことか、ひたすら心を砕くのは、月世界への旅行の工夫だ!独創にあらずんば筆を執らず、しかも驕らずして心に言うーよいではないか、花も果実も、名もなき草木の葉に至るまで、他ならぬお前の庭で摘み取ったものだ!時に威勢が上がるとしても、シーザーに返すべきものは何もない、値打ちがあるのはただの自分の力、一言で言やあ、他人を頼みの蔦は御免だ、樫や菩提樹は望まない、聳えようとは夢思わないが、痩せても枯れても独り立ちだ!

実際シラノは劇中でそのように生きてゆく。アラス包囲戦においても大活躍をしながら、その後の人生においてまさに「独立不羈」を通して14年後に至る。「自分の力」を持ちながらも14年後においても出世はしていない。シラノと対極の人生を歩み公爵にまで出世したド・ギッシュはシラノの振る舞いを嘆きつつも、どこか彼の「独立不羈」を羨んでいる。

そう、時として、あの男が羨ましく思える。
ー人間、あまりにも成功すると、なんというか、ー
いや、神かけて、本当に悪いことは何一つしてはいないが、ー
無数のつまらぬ自己嫌悪の情を覚える、それが積もり積もると、
後悔とは違う、はっきりとは言えないが、一種の不快感となる。
公爵のマントも、高貴の位を一段、また一段と
登るにつれて、その毛皮の裏には、色褪せた幻想だの
悔恨だのの衣擦れの音が染み付いてくる。
あなたがこの石段を登って行く時に、その喪服が
枯れ葉を後ろに引きずって行く、それと同じだ。

シラノとド・ギッシュは冒頭から激しく皮肉の応酬を繰り広げ、作中を通じてお互いを嫌い合う中である。ド・ギッシュ自身もガスコーニュ出身であることを匂わせる描写があるが、出世のために宰相であるリシュリュー枢機卿の閨閥に入り、ガスコーニュ訛りを捨て、ガスコーニュ出身者であることを隠そうとする。渡辺訳ではガスコーニュ訛りをあえて関西弁で翻訳することで、ガスコーニュがフランスにおける一つの有力な地方であり、独自の文化を有していることを表現しようとしている。

そのド・ギッシュが一度だけ、アラスの包囲戦の際に自然とガスコーニュ訛りを出してしまい、そのことでシラノの所属する近衛青年隊(ガスコーニュ出身者で占められている)の信頼を勝ち得るというシーンがある。この描写からも、ド・ギッシュが常日頃はシラノを苦々しく思いながらも、心の底にはわずかばかりの「ガスコン魂」が残っていることを暗示し、それはそのままシラノへの憧憬となっている。

実はこの「ガスコーニュ訛り」のシーンは、それ自体がド・ギッシュの中にあるわずかばかりの「政治的反抗心」や「義侠心」と解釈することもできるはずである。著者のロスタンはこの作品においてデュマの『三銃士』のダルタニアン(ガスコーニュ出身)を登場させるなど、ガスコーニュに対して一定のリスペクトを払っている一方、宰相のリシュリュー枢機卿については『三銃士』で描かれているようなタッチで描写している。リシュリューとダルタニアンの関係性はシラノとド・ギッシュのようなものであるが、リシュリューの甥にあたり、そのコネで出世をしているド・ギッシュが「ガスコン魂」を発揮してしまうことは、「リシュリューへの反抗心」にも映るわけである。なお、リシュリュー枢機卿が残した言葉の中にはこんなものがある。

Qu'on me donne six lignes écrites de la main du plus honnête homme, j'y trouverai de quoi le faire pendre.
(最も正直な男が書いた六行の文章が私に渡されたとしよう。私はそのなかにその男を縛り首にするに足る何かを見つけるだろう。)

こういう言葉を見てしまうと、わずかばかりの「反抗心」が発覚するだけでも失脚の種となってしまうはずである。フィクション作品とはいえ、リシュリューの甥に「ガスコン魂」を発揮させたことは著者のロスタンの遊び心のように思えてならない。

ド・ギッシュのシラノへのわずかばかりの憧憬は、多くの人の「願い」でもあるはずだ。多くの人は本来、自由で独立不羈に、誇り高く生きたいと願う。ところが実際にはそうは行かない。そのように生きることは実際にはとても難しく、大きな代償を強いられる。人間は生きてゆく過程で必ず、現実的になり、合理的になり、打算的になり、妥協し、卑しく、そしてあさましくなるものである。生まれたばかりの子どもの目は清く澄みきったものであるが、年を経るにつれてその目は濁ってゆくのと同じことである。

シラノが最期に遺したのは"Mon panache"(羽根飾り)という言葉であり、彼はそれを決して奪い取られることがないと言って死んでゆく。"Panache"は辰野・鈴木訳では「羽根飾り」とそのまま訳され、そこに「こころいき」とルビがふられている。一方で渡辺訳では「心意気」と意訳をされている。両方とも良い意訳であり、シラノの真意を正確に伝えていると思う。

現実世界を生きてゆく上でシラノのように美しく、誇り高く生きてゆくことは非常に難しい。ただ、たまに立ち止まって、「美しく、誇り高く生きてゆくとはどういうことか?」を考えてみることはできるはずであり、そうすることで「わずかばかり」の「美しさ」と「誇り高さ」、言い換えれば自分なりの"Panache"(心意気)を得ることはおそらくできるのだろう。


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