見出し画像

ふと思うことの言語化

日常の生活の中で、頭の中に浮かんでは消える想いや考え。

”ふと思うこと” 
なにか自然の流れで、今このとき感じていること、に興味がある。
自分の内面の世界とは、宇宙のようなもので壁がなく、
行こうとと思えばどこまででも行ける。
自由度が高い分、今自分がどういう状態なのかをつかめずにいたりする。
それが不安だから自分の内面の世界観の壁を、小さく小さく作ってしまったり。

そのスペースの大きさは、普段自分が”ふと思うこと”の質とか量とか大きさにつながっているのかも。

規模感が無限大というのは、逆に”選び行うこと”をしにくくもする。
制限された方が、人は選びやすい。
逆にそうされないと、選べないとも言える。

自分の普段”ふと考えている”ことさえも、自分ではコントロールできていない。
まわりの環境の対比で、自分の内面の規模感を自然と作る。
それが普段の思考につながる。

でも、あなたのその内面の世界観の規模って、本当にそんなもの?
この問いに答えれるのは、他の誰でもなく、自分しかいない。
そして、それに答えれるとしても、明確な裏付けはそもそも必要ないと感じる。

せめて必要なのは、自分がそれを望んでいるから、という”自覚”かもしれない。
だから自分のためだけでも言葉に残してみる。
それを見てみる。
思ってるだけと、思ってることを言葉で見てみたとき、
少し時間が経ってそれをまた眺めたとき、
感じる感覚は、思っている以上に違うものになったりする。

人間って面白いな、と自分をサンプルに感じている。
感じる内容は人それぞれだろうけど、
客観的だったり離れてだったりすることで感じ方がバラけるのは、みんな共通するのではと思う。
今思ってることは、10秒先の未来は違っているかもしれない。

自分はいま何を感じている?
それを見える形にしてみることからまたさらに発見できるものがある。
それはとても魅力的なものだと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?