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荒井由実『ひこうき雲』 (1973)

1973年11月20日リリース。ユーミンこと荒井由実のファースト・アルバム。前回の記事でも書いたとおり、このわずか11日後に井上陽水『氷の世界』がリリースされます。その後の日本のミュージックシーンを大きく変えた金字塔的な2作品がこんなわずかな期間で立て続けに登場したのは、本当に信じられない奇跡のような出来事だと思います。ぜひともこの時代をリアルタイムで肌で感じたかった!(当時私はまだ4歳・・・)
とは言え、このアルバムが世に出た瞬間から、多くのリスナーがユーミンの楽曲に触れ、たくさんの人の心を鷲掴みにし、またたく間に日本の音楽界を揺るがすほどの多大な影響を与えたのかというと、全くそんなことはなくて、オリコンTOP100に初めてランクインしたのが74年10月(57位)でしかも3週だけのランクイン。ラジオの深夜番組などを通して一部の注目を集めるものの、リリースから1年後の74年末の時点での売り上げ枚数はわずか3000枚程度というから驚きです。セールスをじわじわと伸ばし始めたのは翌75年からで、サードアルバム『コバルト・アワー』やシングル「あの日にかえりたい」の大ヒットと呼応して、さらに翌年の76年にこの『ひこうき雲』も最高位9位を獲得します。
荒井由実は1972年にシングル「返事はいらない」でデビュー。当時まだ18歳。この時点では日本にはまだ数えるほどしかいなかった女性シンガーソングライター。その草分け的な存在の一人であることは間違いないのですが、彼女の楽曲が一般リスナーの耳に届くにはまだまだ時代が早すぎたのか、このシングルは300枚くらいしか売れなかったとのことです。
しかしそんな彼女の楽曲の「新しさ」にいち早く気づいていた男たちがいました。プロデューサーの村井邦彦氏や有賀恒夫氏、演奏を担当したキャラメル・ママの面々(もちろんその中に松任谷正隆氏も)。この『ひこうき雲』はそんな男たちにより1年以上かけて徹底的に作り込まれました。ユーミンの楽曲が持つ独特の世界観を最大限に生かすサウンドや自身の歌唱がこの過程の中で誕生し、その後の音楽史に名を刻むこととなる、この革新的でエバーグリーンなアルバムが完成したのですね。

私が所有している『ひこうき雲』は、見てのとおり80年代のALFA再発盤。かなり聴き込んだ盤なので愛着もあるのですが、そろそろオリジナル盤も欲しくなってきました(入手したら、こっそりと写真を差し替えるかもしれません・笑)。それでは曲紹介に移りますが、かなり長くなりそうな予感・・・。

SIDE 1
1. ひこうき雲
ユーミン自身のピアノと松任谷正隆氏(以下、マンタさん)のオルガンによる、一瞬にして分かるあまりにも有名なイントロ。アルバム『ひこうき雲』のオープニングを飾るとともに、以降、オリジナルアルバム39枚(2022年現在)、400曲を超える楽曲からなる壮大なユーミン・ストーリーの幕開けに位置づけられる記念碑的なナンバーとも言えるでしょう。
もはやジャパニーズ・ポップスのスタンダード・ナンバーと呼べる一曲ですが、そのテーマは何と「死」。まだ10代の女性アーチストのデビュー・アルバムの一曲目で選ぶテーマとしてはなかなか衝撃的です。「白い坂道が空まで続いていた 」という歌い出しの秀逸さ。人の生命は時に力強く、そして儚く消えてゆくもの、ということを「ひこうき雲」と重ねたのですね。そしてもう一つ触れておきたいのは、ここでユーミンは必ずしも、死を絶望的なもの、一方的にマイナスなものとして描いてないということ。「空に憧れて 空をかけてゆく」「何もおそれない そして舞い上がる」「けれど しあわせ」などといった歌詞が印象的に紡がれていきます。そう「死」をどう捉えるかは人それぞれであって「ほかの人には わからない」のですね。
初期のユーミンを聴いて、ユーミンの音楽って過去の誰とも似てないよなぁと思ったものでした。日本の女性シンガーで誰の影響を受けたのかも全然見えてこないし、キャロル・キングやジョニ・ミッチェルとも違うよなぁと。なので、彼女がプロコル・ハルムから影響を受けているということを知った時、まさに目から鱗が落ちる思いでした。「青い影」と「ひこうき雲」を並べて聴く。今では最高にぜいたくなひと時となっています。

2. 曇り空
こんなにも低いトーンで物悲しく、それでいて粋でかっこいい楽曲があるなんて。ギターやエレピなど各楽器が絶妙に絡むボッサ調のクールなアンサンブルに「二階の窓を開け放したら 霧が部屋まで流れてきそう」とささやくように歌い出す。ユーミンの歌詞は、まるで映像のように情景を切り取るのが本当に巧いですよね。♪きのうは曇り空~ とサビでマンタさんのユニゾン・コーラスが聞けるのも貴重なのですが、さらにそのバックで聞けるナイロン弦のアコギのリフも印象的です。これはベーシスト細野さんによるもので、裏のリズムを実に効果的に用いています。後半の間奏でソロをとる楽器がフルートというのも素晴らしいチョイスですね。

3. 恋のスーパーパラシューター
このアルバムの中で最も軽快でポップなナンバー。ともすれば小っ恥ずかしくなってしまいそうなこういう内容の楽曲も、サラりと成立させてしまうのがまたユーミンならではですね。シンガーズ・スリーによるコーラスをフィーチャー。「Oh Yeah」というかけ声はこのアルバム内で最もテンションの高い瞬間かな。アルバム通して活躍を見せる鈴木茂のスライド・ギターによる間奏のソロと、それに続くパーカッションだけになるブリッジも曲に躍動感を与えています。ラストに再びスライド・ギターが登場し、ビートルズ「Lovely Rita」風にピアノのグリッサンドでエンディング。

4. 空と海の輝きに向けて
「月のまなざしがまだ残る空に やさしい潮風が門出を告げる」という歌い出しからユーミンの天才ぶりがいかんなく発揮された歌詞。人生の青い海原に ただひとり帆をあげる・・・なんていう歌詞が書ける10代の女の子って、どれだけの才能の持ち主なのでしょうね。シンプルでゆったりとした曲調ですが、そんな中にこそ初期のユーミンらしい魅力が詰まっていると思います。ラストのサビのリピートの箇所は、ユーミンともう一人のユーミンによるハーモニーで、これがまた素晴らしい。
この曲は『ひこうき雲』リリースから遡ること1年以上前、1972年7月にデビュー・シングル「返事はいらない」のB面としてまずリリースされています。その当時のユーミンの歌唱はまだビブラートを多用していて、そのシングル・バージョンを聞くとなかなか面白いです。その後、アルバム収録に向けて再録音するのですが、この時にユーミンは徹底的にビブラートを封印されます。ユーミン自身はかなり苦心したようですが、なんとかビブラートなしの歌唱法をものにし、初期ユーミンのあのボーカル・スタイルが完成したのですね。

5. きっと言える
この曲を聴くと、詞だけでなく作曲面でも「うわ~ユーミン天才!」ってなりますね。都会的でジャジーなコード進行。そして巧みに転調を繰り返しながら曲が展開していきます。一体どうやったらこんなの思いつくんだろう?と思えるくらいに、かなり技巧的でありながら、不思議なくらい流れは自然で、軽快でキャッチ―なナンバーに仕上がっています。サウンド面での聴きどころも満載で、最初のヒラのバックからして、鈴木氏のエレキ・ギターと細野氏のナイロン弦のアコギのアンサンブルが心地よくて素晴らしいです。転調後の♪あなたが好き~ というサビ。♪どんな場所で出会ったとしても~ のところのバックで上昇していくフレーズもいいですね。間奏のサックス・ソロはゲストの西条孝之介氏によるもの。基本ヒラのバックのコード進行なのですが、最初のBb7のところがブレイクで、次のEbmaj7から始まる感触になり、全体で7小節のお洒落で不思議な空間となっています。
「南へ向かう船のデッキで」「風がささやく小麦畑で」など想像の世界で歌詞は展開していきますが、最後は「ありきたりな街角でいい」と歌い「恋はすぐそこ」と、あくまでも空想なのですが、だんだん恋が近づいてくる感じがいいですね。
この「きっと言える」はアルバム『ひこうき雲』の先行シングルとして73年11月5日にリリースされました。当時は全く売れなかったのですが、B面は「ひこうき雲」ということで、なんとまぁ超強力なカップリングだったのだと今更ながら思います。

SIDE 2
1. ベルベット・イースター
初期のユーミンといえば、やはりピアノの前に座ってしっとりと歌い上げるイメージがあるのですが、この曲はまさにそんなイメージにピッタリの名曲ですね。印象的なピアノ・イントロの弾き語りで ♪ベルベット・イースター と歌い出す。「小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい」「空がとってもひくい 天使が降りて来そうなほど」と相変わらず天才的な情景描写ですが、2番では「きのう買った白い帽子 花でかざり」「昔ママが好きだったブーツはいていこう」と自分の行動に視点をサラッと移しています。この、いつもとちがう日曜日をどのように過ごすのか、 マンタさんエレピのブリッジの後、そこから先はあえて具体的には描かずに ♪ラ~ララララ~を繰り返してフェイド・アウトしていきます。この余韻を残す終わり方がたまりません。

2. 紙ヒコーキ
ゲスト・プレイヤーの駒沢裕城氏のペダル・スティール・ギターをイントロからフィーチャー。そのイメージもあってかカントリーロック風味のサウンドに仕上がっていますが、ユーミンのボーカルとのギャップがなかなか面白いですね。間奏ではそのペダル・スティールに鈴木茂のスライド・ギターが絡んできますが、これが結構エグいプレイで突き刺さってくる感じになっています。時々聞かれる林立夫のドラムの3連のリズムがいい隠し味になっています。「とりとめのない気ままなものに どうしてこうもひかれるのだろう」。その象徴としての紙ヒコーキ。前年に陽水がアルバム『センチメンタル』に収録した「紙飛行機」とは対照的で興味深いです。

3. 雨の街を
そして、ここでこの大名曲の登場。これもピアノのイントロが印象的ですが、それに続く歌い出しが「夜明けの雨はミルク色」というキラー・フレーズ。ユーミンは情景を切り取るのが巧い!とすでに何度か書いていますが、やはりここでも同じ言葉を繰り返さなくはなりません。「ユーミン天才!」と。♪誰かやさしく私の 肩を抱いてくれたら~ のところのこみ上げるような歌い方もいいですね。2番では「垣根の木戸の鍵をあけ」と突然に和風テイストのフレーズが出てきて、それまで頭の中で思い描いていた情景が揺さぶられます。夜明け、雨、街といった全体の描写から、個の行動の描写へと映像が切り替わっていきます。3番の「夜明けの空はブドウ色」は、後のユーミン自身のアルバム『DAWN PURPLE』('91年)にも繋がっていく表現ですね。続く「街のあかりをひとつひとつ消していく魔法使いよ」にいたっては秀逸すぎてもう言葉もありません。
今年リリースされた50周年記念ベスト盤『ユーミン万歳!』。全50曲もセレクトされたそのラインナップの中に、こんな名曲が収録されないユーミンってホントどんだけ凄いんだ、と思わず唸ってしまいました。(ちなみにこのファーストからは「ひこうき雲」と「ベルベット・イースター」の2曲が収録されています)
で、この「雨の街を」に関して、もう一つだけ触れさせてください。アニメ『フランダースの犬』の主題歌「よあけのみち」。有名なアニメなのでご存知の方も多いと思いますが、歌い出しが「ミルク色のよあけ」という歌詞になっています。このアニメの放映開始が1975年1月なので、この曲ができたのがおそらく前年の1974年。ユーミン楽曲の影響を受けたかなり早い例だと個人的には思っています(2番の歌詞には「小麦畑」も登場)。※ちなみに「雨の街を」と「よあけのみち」を続けて聴くと、間違いなく涙腺が崩壊するので注意が必要です(笑)。

4. 返事はいらない
前述のとおり1972年7月のデビュー・シングル。300枚くらいしか売れなかったといういわば “幻の” シングルですが、サブスクで聞けるのは本当にありがたいことです。そのシングル・バージョンはムッシュかまやつのプロデュースでしたが、アルバム制作にあたりキャラメル・ママによる再アレンジがなされ、グッとテンポアップしたサウンドに生まれ変わっています。ユーミンの歌唱も例の「ちりめんビブラート」を封印したためレコ―ディングはかなり大変だったのではと思います。こうして1年前のものよりずっと都会的で魅力的なナンバーに生まれ変わった「返事はいらない」。洗練されたサウンドが素晴らしいのですが、特に間奏がラテン風味になるところや最後のほうの疾走感あふれる演奏は聴きどころですね。歌詞の面では「昔にかりた本の中の いちばん気に入った言葉を おわりのところに書いておいた あなたも好きになるように」というところが大好きです。

5. そのまま  ~  6. ひこうき雲
アルバムのラストはこの名バラード。ひとり部屋の中で「あなた」のことをを思い出している描写が続く楽曲ですが「あなたの好きなものは ひとつ残らず言えるわ」という歌詞から、決して短くはない日々をあなたと過ごしていたことがうかがえます。「紙ヒコーキ」で聞けた鈴木茂のスライド・ギターや駒沢裕城氏のペダル・スティール・ギターがここで再登場しますが、後半はマンタさんが弾くバンジョーも絡んでくるのもなかなかユニークですね。
ラストのラストには再び「ひこうき雲」が登場します。アルバム冒頭の「ひこうき雲」とは別テイクで、特に ♪ほかの人にはわからない~ のところの歌い方がグッとくるんですよね。もっともっと聴いていたくなるところで、1分足らずでフェイド・アウトしていきます。

デビュー50周年となる2022年、文化功労者に選出されたユーミン。その時彼女が残したコメント「ポップスは、聞き手に届いたときにはじめて完成します」は、この『ひこうき雲』が発売後すぐには聞き手にはなかなか届かなかった経験があるからこその名言だったとも思います。そしてそれに続く言葉がまた素晴らしい。「聞き手の数だけの思い出になり、そこからさらに自由に羽ばたいていきます」と。
ファースト・アルバム『ひうこき雲』に収録された楽曲があまりにも素晴らしいので、本当にこれ以降もこのクオリティを保っていけるのか?という次なる疑問が出てくるのは当然のことなのですが、ユーミンの場合は、セカンド『ミスリム』でこの難題をなんなくクリアーしてしまいます。
ユーミンの長いキャリアの中でも、やはり最初の2枚『ひこうき雲』と『ミスリム』には特別な響きがあります。次回はこの流れで『ミスリム』について書いていこうと思います。

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