河野多惠子・山田詠美「文学問答」

図書館にて小説2冊と自己啓発本1冊を抱えながら、エッセイの棚からも何か1冊借りていこうとなんとなく手に取った1冊。

河野多惠子さんと山田詠美さんの対談集で、雑誌「文學界」に2001年から2007年の間に掲載されたものが収録されている。小説を書き続ける才能のある人達の話は、ところどころの言葉のチョイスが美しくて華やかだ。

2001年時点ではお二人とも原稿を書くときは手書きでないとダメとのこと。2020年の現在はどうしているのだろう。私は小説を書いたことはないので、そのあたりの感覚はよく分からない。

小説ではないにしても高校生の頃までは文章を書くのは手書きで、大学生になってからレポート提出などでパソコンを使うのがデフォルトになったように思う。それに加えて大学生の頃にはブログブームがやってきた。学生ブロガーがたくさん出てきて、私自身もブームに乗ってブログを書き始めた。今でいうユーチューバーのような感じだろうか。

字だけの問題じゃなくて、書くというのは身体全体の反射神経を使った運動なんですね。

誰もが気軽に文章を書いてネット上に投稿できるようになった。そのようにネット空間に投げ出された言葉の大半は、気軽に投げ出されたゆえに空虚で軽い。それらは十分な推敲もされずに未熟なままで放り出されるから。こんなふうにブログを書き散らしている私が言えたことではないけれど。


日本の文学史上で女流作家の地位が最も高かったのが平安時代という話は、なるほど確かにそうかもしれないと思った。紫式部や清少納言、そのほか身分の高い女性の日記文学がいくつも現在まで作品として伝えられているのは、当時から彼女たちが作家として高く評価され守られてきたということなのだ。

平安朝の女流作家は、それぞれのファミリーの戦力だから、女でも男と同じように勉強し、力を発揮するようにさせられてきた人たち。彼女たちは宮廷という社会に出て、言うなれば高級官僚。


谷崎潤一郎の文章を二人とも絶賛している。純文学というのは近づきがたくて、谷崎作品もまだしっかり読んだことがない。良い文章を読まなければ、良い文章を書くことはできないのだろう。文章を味わう読書というものをそろそろ楽しめるようになりたいと思う。

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