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土鍋

3年ぶりに帰国したら、実家の台所の片隅に、妙に大きな段ボール箱があった。
土鍋が入っている、と母は言う。

なんでも、姪っ子の結婚式の引き出物に、母が自分で選んだらしい。たまたまテレビで見た、土鍋で炊いたご飯がなんともいえず美味しそうで、一度でいいから味わってみたいと思っていたところへ、姪っ子から送られてきたカタログに、この、ご飯用の土鍋を見つけたのだという。
 
しかも、母が選んだのは、2合や3合炊きではなく、5合炊きの巨大な土鍋だった。背中が曲がった母には、重すぎて扱い難い代物だ。それに糖尿病を患っている母は、白いご飯を食べすぎないよう日頃から心掛けているはずである。

もしかして、ふだん節制しているからこそ、食べたかったのか。もてあますほど大きな土鍋を選んだのは大家族だった子供時代が懐かしかったのだろうか。土鍋を求めた母の心情をあれこれ想像するうちに、ちょっぴり母がかわいそうにもなってきた。

ちょうど、新米の季節だった。段ボールから土鍋を出すことさえままならない母に代わって、この新品の土鍋でご飯を炊いてみることにした。

ところが、新しい土鍋というものはすぐには使えないらしい。
手引きによれば、まずお粥を炊いてしばらく放置。その後、粥を出し、洗って乾燥させる。鍋底に水分が付いたまま火にかけると割れてしまうこともある、とか。そんな大惨事だけは避けたい。

すべての行程をチェックしながら、ようやく土鍋の飯が炊けた。
 
重い蓋をとると、もわんと湯気の塊があがった。甘く、ほんのり香ばしいご飯の香りに包まれる。つややかで真っ白なご飯は、うわさ通り、米粒が立ち上がるように炊けていた。
 
食べてみると、米の一粒一粒にもちもちとした弾力があり、甘みが引き出され、間違いなくおいしかった。良いあんばいにお焦げもできていた。きっと母がテレビでみた通りにうまく炊けているはずだと、うきうきと母のお茶碗にご飯をよそった。
 
美味しい、と、母も嬉しそうに食べていた。
が、私にはすぐに母の気持ちが分かった。
母の好みは、噛みやすい、べちゃべちゃに柔らかいご飯なのだ。それなら、我が家の炊飯器でも十分にこと足りる。

こうして、土鍋で炊いたご飯を一度でもいいから味わってみたい、という母の願いは叶えられ、巨大な土鍋は、元の通り、段ボール箱に納められた。


土鍋といえば、ずっと前にこんなことがあった。
かれこれ17年も前のことだ。

私は地元の情報誌の仕事で、チェンマイの土器作りを取材することになり、その制作方法を見せてもらうため、郊外の生産地を訪れた。

その村で作られているのは、煮炊をするための土鍋や、水道のなかった時代に飲み水を溜めておいた小さめの水瓶など、昔から使われてきた素焼きの生活雑器である。

取材を終えるころには、村で作られた土鍋にすっかり愛着がわき、記念に何かひとつ欲しくなった。大きな素焼きの鍋を扱う自信はなかったので、小ぶりの土鍋を買うことにした。

それは取手のない土鍋だった。口の部分が少しすぼまり、淵は外側に広がっている。浅いお皿を返したような形の蓋がちょこんとのせられ、蓋の真ん中にはつまみがついていた。
 
叩き出して底のカーブを出した、ぽってりとした丸みと、素焼きならではのオレンジ色がなんともいえず、あたたかい。
私はその土鍋でご飯を炊くつもりだった。その頃、日本では土鍋のご飯が見直され、雑誌などで紹介されていたので、私もこのプリミティブな素焼きの土鍋でタイ米をおいしく炊いてみたくなったのだ。大のご飯好きは、母親ゆずりなのである。

チェンマイの土鍋で炊いたタイのお米は、思った以上にうまく焚けた。米粒が土鍋の肌にまあまあくっつきはしたが、いつもの電気炊飯器で炊いたご飯よりずっとおいしい気がした。

 
当時、私は平屋のアパートに住んでいて、玄関の軒先にテーブルを出して食事をすることが多かった。その日も、外の席で夫と二人、土鍋の炊き立てご飯を食べているところへ、ちょうど大家のおじさんが通りかかった。

大家さんは料理上手で、朝に夕に、北部のスープやカレーを作って二人のお子さんと奥さんに食べさせていた。同じ敷地内に住んでいるので、毎日ご飯時になると、石臼で唐辛子やハーブを潰す力強い音が響き、その後、北タイのスープのいい匂いが漂ってきた。ガス台もアルミの鍋もあったが、スープやカレーには七輪に素焼きの土鍋と決まっていた。大家さんによれば、その方が熱がゆっくり伝わるので、素材の旨味がじっくり引き出されておいしいらしい。説得力がある。先の、鍋を2つ買う話も、この大家さんが教えてくれたのだった。

「今日のおかずは何かな?」
と、その辺で摘んだ食べられる野草を手にした大家さんが、我が家の前を通りかかるついでに、いつもと同じように声をかけてくれた。
そして、そのまま通り過ぎようとしたとき、その足がぴたっと止まった。

「それは、鍋じゃないよ、、、」
大家さんは困ったような顔で、テーブルに置いてあった真新しい土鍋を見つめていた。

大家さんの説明によれば、この手の土鍋は、火葬のあと、遺骨や灰を納めるためのものらしい。つまり、骨壺だ。蓋はせずに白い布で口を覆い、最後は火葬場の片隅でその壺を割るという。
 
北タイの田舎の火葬場は、うっそうと木が生い茂っていて、まるで森のような場所が多い。遺灰を火葬場の森に撒く人もいるとは聞いたことがあったが、素焼きの壺に入れて壺ごと割る、という話は、その日初めて聞いた。

壺ごと叩き割るなんて、、、。衝撃的ではあるが、後から考えると、もろい土器の特質が活かされていると変なところに感心する。もしかしたら、輪廻転生を信じるタイの人々にとって、骨壺を割るという強いアクションによって、故人への執着を断ち切るという仏教的な意味の込められた風習なのかもしれない。

それにしても、ショックだった。
その土鍋を買う時、村の人たちは誰ひとりそんな話はしていなかった。いわれてみれば、北タイの主食はもち米で、竹製のザルで蒸して食べる習慣なので、そもそも土鍋で米を炊くこと自体あまりないのかもしれない。それに、同じチェンマイでも地域によって風習が異なることだってありうる。

いずれにしても、骨壺で飯を炊くなんて、縁起が悪いというか、知らないということは恐ろしい…。

その後、その骨壺をどうしたのかは忘れてしまったが、もちろん二度とそれで米を炊くことはなかった。

土鍋で炊いたごはんの香りのせいか、そんなずいぶん昔の経験が昨日のことのように蘇り、なんだか私も母と似たようなことをしているなあと、ひとりで苦笑いをしたのだった。

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