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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session63】

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)08月15日(Mon)

 今日は朝から東北にしては珍しく暑さで蒸しばみ、暑く感じられる夏のお盆の真っ只中である。学は昨晩遅くまでゆうのお店「石巻駅前 Café&Bar Heart」でお酒を飲んでいたので、眠い目をこすりながら宿泊しているホテルのレストランバーで朝食ビッフェを食べていた。

 みずきそしてみさき、ゆきは朝食をちょうど済ませ、学と入れ違いにレストランを後にしようとした。学と眼があったみずきは学の傍に近づき、そしてこう言ったのだ。

美山みずき:「おはようございます倉田さん」
倉田学:「おはよう御座います、みずきさん。皆さん、早いですねぇ」
美山みずき:「ええぇ、まあぁ。倉田さんはゆっくり寝られましたか?」
倉田学:「それが昨日の夜はゆうさんのお店で、ついつい飲みすぎてしまいまして」

 するとみさきとゆきも学と挨拶を交わしたのだった。

みさき:「おはようございます倉田さん。倉田さん、昨日珍しく遅くまで飲んでましたよねぇ」
ゆき :「倉田さん、おはよう御座います。酒の肴の『笹かま』のせいですか?」
倉田学:「みさきさん、ゆきさん。そうかも知れませんね。ついつい飲みすぎてしまって、でも『笹かま』は宮城のお酒には合うでしょ!」

 そう学がみずきたちに言うと、三人は口を揃えたようにこう答えたのだ。

美山みずき:「間違いない!」
みさき  :「間違いない!」
ゆき   :「間違いない!」

 この言葉を聴いた学は嬉しくなり、寝ぼけていた顔が一気に覚めたのだった。そしてこう尋ねた。

倉田学:「みずきさん。今日の予定はどうなってるのでしょうか?」

 みずきは少し考えこう答えた。

美山みずき:「わたし達の三人は15時頃まで、石巻のお店の復興支援などで出掛けます。それまでの間、倉田さんは自由にしててください」
倉田学:「分かりました。その後はどうするんですか?」
美山みずき:「昨日話していたように、石巻に中島みゆきさんがやって来ます。佐藤叔父さんから貰ったチケットで、『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』を皆んなで観に行きましょう」
倉田学:「はい。楽しみにしています」

 こう言ってみずきたちは学の元を離れ、自分達の部屋へと戻っていった。学は夕方から行われる中島みゆきのコンサートのことを考えていた。それは学が今年の春に石巻を訪れた時に、仮設住宅にある公民館で学がセラピーを行った時のことを思い出したからだ。
 そして自分と中島みゆきを比較して、自分が東日本大震災(3.11)の地震や津波による被災者のために本当に役立っているのか疑問に感じていたからだった。でも中島みゆきが今日、被災者たちの努力によってこうしてやって来る。僕にはそんな力は無い。またカウンセラーは必要とされてナンボだと学は何時も思っていたからだ。

 そんなことを考えながら朝食を済ませた学は、部屋で昨日の出来事を振り返っていた。こうして幸せに暮らせるのは、僕たちの先祖が代々大切に引き継いで来たから今の自分があり、そしてそれを自分達より若い世代に引き継いで行く必要があるのではないかと学は感じていたからだ。
 それは日本の文化であったり伝統だったりする。そして各地域や地方には、その地域ならではの大切な文化、伝統がある。方言にしてもそうだ。その地方で古くから伝わる歴史の中で培ってきた大切な言葉だ。僕たちはそう言うことが当たり前すぎて意識していない。そして新しいものにすぐ飛びつき、今まで大切にして来た物を蔑ろにしているんじゃないだろうか・・・。 
 そう考えると学はおじいちゃん、おばあちゃんから教わった大切なことにもっと眼を向け、そして伝えて行かなければと感じたのだった。

 こうして学が感傷に浸っていると、学は目の前のカバンに眼をやり、スケッチブックを取り出した。そして昨日観た夜空の星の銀河系、ペルセウス座流星群の絵と夏の「がんばろう!石巻」の風景を描いたのだった。真っ白なキャンバスに、自分のこころに昨日焼き付けた心情として、学はスケッチブックに黙々と向き合い、キャンバスの中に入り込んでいった。そしてそのキャンバスの中で学は、自由にのびのびと自分を表現することが出来るのだ。

 普段学は自分を出すのを恐れ、自分を押し殺しながら生きて来たが、スケッチブックと言うキャンバスの中では、自分の本心をありありと表現できたのであった。そしてそれには上手い下手は関係ない。まして他人から評価されることもない。
 だからこそ学は絵が好きだし、好きだから描く。こんなシンプルで簡単なことが、大きくなると余計な意識が入り、自分を出せないひとがいることに学は、「もったいない」と思っていた。学が絵を描く一番の理由は、ただ好きだからだ。絵を描くのに、これで十分じゃないだろうか。こうして学は二枚の絵を描き上げたのだった。

 少し外の風に当りに、学はカバンを持って出掛けた。今日は本当に東北にしては珍しく熱く蒸していた。学は最初、石巻駅の方へと歩いていった。途中、商店街のメインストリートを横切り、石巻駅前のロータリーのところにやって来た。今日は朝から中島みゆきが石巻に来るということで、大勢のひと達が街に集まって来ていたのだ。
 学はそのひと達を尻目に駅のロータリーにある植木の石段に腰を下ろし、そこから観える石巻駅の佇まいを観察しながら、スケッチブックを取り出し鉛筆でデッサンを始めた。一通り描き上げた後、色鉛筆で色をつけたのだ。それを観て学は嬉しそうににっこりし、自分の描いた絵と目の前に観える石巻駅を重ねるようにして今度は眺めたのだった。そしてその場所を後にして旧北上川の方へと向かったのだ。

 しばらく歩くと、学の眼下に旧北上川が広がった。そして少し行くと、この旧北上川の裾野は太平洋へと広がっている。その太平洋から向かってくる風は、学には少し冷たく感じられた。その風がとても心地よく、学にはそんな気持ちにさせられるのであった。
 しばらく学は河の土手に座り、川の流れを見つめていた。その流れはゆっくりとした中にも強さを感じることが学には出来た。あの東日本大震災(3.11)の津波で、この旧北上川を津波が遡り、未曾有の惨事を引き起こしたのだ。そう学が先日、絵本セラピーを行った大川小学校のことを学は思い起こしていたのだ。そして自分自身にこう尋ねたのだった。

倉田学:「僕がやったことは、正しかったのだろうか?」

 すると急に風が強くなって、学は誰かと会話をし始めた。

又三郎:「マナブ! 自分を信じられないで、誰を信じるんだい」
倉田学:「君は誰!? 前にも逢ったことがあるよね」
又三郎:「何を言ってるんだよマナブ。君は僕で、僕は君じゃないか」
倉田学:「本当に君は誰なの?」
又三郎:「君もわかってるじゃないか。もうひとりの君だよ」
倉田学:「もうひとりの僕?」
又三郎:「そう、これまでも。そして、これからも」

 そう言うと風はピタッと止み、もう学の問いに答えることは無かった。とても不思議な出来事だった。学は自分が昨日、大川小学校の元生徒に行った絵本セラピーが、彼らにとって本当に良かったのかどうか分からないが、きっと学の思いが通じて欲しいと信じていたのだ。
 そして自然と涙が学の頬に流れていた。その涙が潮風に触れると、学は自分の弱さや小ささを実感させられるのである。自然と言う豊かな恵みは、時に強力な刃を向いてわたし達人間に襲いかかることがある。しかしそれは自然の摂理だ。自然を人間ごときがどうにかしようなど、おこがましいことだと学は感じたのだった。

 学は背負ってきた肩掛けカバンの中に手をやり、オカリナを取り出した。しばらく瞳を閉じ、そして呼吸を整え潮風を感じていた。その風が一瞬止むと、学は手にしたオカリナを口元に持って行き、オカリナをこころを込めて吹いたのだ。
 学の吹いたそのオカリナの曲は、ジブリ映画のハウルの動く城の曲である『世界の約束』であった。学の想いが、この学の吹くオカリナの音色に凝縮されているようにも感じた。

 それは学自身のこころの声となって、このオカリナが奏でてくれているようにも感じたからであった。学の瞳に涙が滲んで、また吹き始めた潮風がその涙と学のこころを優しく包んでくれているようにも思えた。こうして学がオカリナを吹き終わる頃には、また冷たい潮風が学に向かって吹いてくるのだった。
 学がオカリナを吹き終えると、学はまた石巻駅の方へと戻り、駅前のお店で昼食を食べたのだ。

 学は15時に石巻駅傍にある「石巻立町復興ふれあい商店街」でみずきそしてみさき、ゆきと待ち合わせをしていた。それまでの間、学は駅周辺の街並みを歩き、みずきたちと約束していた「石巻立町復興ふれあい商店街」に向かったのだ。
 学が「石巻立町復興ふれあい商店街」に着くと、そこにはまだ誰も来ていなかった。学はおもむろにカバンからスケッチブックを取り出し、そして「石巻立町復興ふれあい商店街」の絵を描いて待っていた。すると学のスマホの呼び出し音が鳴った。学は慌ててポケットからスマホを取り出し、そして誰からの連絡か確認した。その相手は彩からの連絡であった。学は少し驚きながら電話に出たのだ。

木下彩:「もしもし倉田さん。いま少しお時間大丈夫でしょうか?」
倉田学:「ええぇ。大丈夫ですが、どうされましたか?」
木下彩:「実は今日、わたしの誕生日なんです」
倉田学:「そうでしたか。そう言えば去年、『扇子』をお互いの誕生日にプレゼントしましたよねぇ」
木下彩:「ええぇ、はい。今日わたしの誕生日パーティーをじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』でするんですが、倉田さんもどうですか?」
倉田学:「すいません。実は今、僕は『銀座クラブ SWEET』のみずきさんに頼まれて石巻にいるんです」
木下彩:「そうなんですか、倉田さん。みずきさんって、美山さんのことですか? もしかして美山さんとふたりっきりで石巻に行ってるんですか?」
倉田学:「違います、違います。美山さんのお店のスタッフも一緒ですよ」
木下彩:「ふーん、そうなんですね。残念だなぁー」
倉田学:「すいません。それで、あやさんは何歳になったんですか?」
木下彩:「倉田さん。女のひとに年齢聴くの駄目ですよ」
倉田学:「すいません。ついつい聴いてしまって」
木下彩:「でも、倉田さんになら教えてもいいです」
倉田学:「いや、別に無理に教えてくれなくても」
木下彩:「わたしが教えるって言ったんだから教えるんです」
倉田学:「わかりました。では、あやさんは今日、何歳になるんでしょうか?」
木下彩:「ここで問題です。『新約聖書』は何書から出来てるでしょうか?」
倉田学:「確か、27書だったはずですが・・・」
木下彩:「せいかいでーす。さすが倉田さん。そうです、今日で27歳にわたしなります」
倉田学:「おめでとう御座います。でも、あやさん。良く『新約聖書』が27書から出来てるって知ってましたねぇ」
木下彩:「誰かさんの影響かしら?」
倉田学:「ふぅーん。誰だろう?!」

 学は自分だとは思いもよらず、こんな言葉を彩に投げ掛けたのだ。そして電話を切ったのだった。


 しばらくするとみずきたちの三人が、昨日と同様に浴衣姿で学の元に現れた。するとみずきは学にこう声を掛けたのだ。

美山みずき:「倉田さん。何の絵を描いてたんですか?」
倉田学:「みずきさん。この『石巻立町復興ふれあい商店街』もいずれ無くなります。その前に、僕の記憶にちゃんと収めておきたかったんです」
美山みずき:「写真じゃ駄目なんですか?」
倉田学:「僕は写真の世界はわからないけど、絵を描くことにより少なくとも、その時間はしっかりと被写体と向き合うことが出来るんです」
美山みずき:「何となくわかります。しっかり観ると言うことですか?」
倉田学:「そうです。それはカウンセリングでも同じことです。クライエントさんに、しっかりと丁寧に向き合ったかが、そのまま現れると僕は思ってるんです」

 その言葉を聴いた三人はこう口々に言った。

美山みずき:「倉田さんらしいですね」
みさき:「倉田さん。だから絵を描くんですか?」
ゆき :「絵を描くのと、カウンセリングでクライエントさんに向き合う姿勢が一緒ってことですか?」
倉田学:「そうです。絵を描くことにより、自分の感性が磨けるんです」

 こんなやり取りを四人はして、学たちはみずきの運転する車に乗り、石巻の美浜町で行われる中島みゆきの『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』に向かったのだった。美浜町に近づくに連れ車は渋滞し、人波も多くなりごった返して来た。この日、多くのひと達が石巻の美浜町に集まり、中島みゆきのコンサートを心待ちにしていたのだ。

 その多くのひと達は、一生懸命に半年間もの間、街をあげて頑張ってきた。それがこうして今日実を結び、中島みゆきを呼ぶことに繋がったのだ。その時、学はこう思ったのだった。一人ひとりの力は大したことがないかも知れないが、皆んなが協力して本当に願い、そして努力すれば、願いは届き叶うこともあるんだ。それをしないで最初から諦めてしまうのは、なんてもったいないことだろう。
 そう学は感じたのだった。学自身、自分が今までやって来たことを無駄にしたくなかったから絵も続けてこれたし、こうして心理カウンセラーとして続けることが出来ている。そう思いながら学は車から降りると、会場の入口付近で聞き覚えのある声がした。その声は昨日の夜に訪れた「石巻駅前 Café&Bar Heart」店長のゆうの声だった。

ゆう :「みずきさん。倉田さん。待ってましたよ。早く早く」

 彼女もまた、中島みゆきを石巻に呼ぼうと頑張って来たひとりだ。そしてその傍に、佐藤さんが実行委員のひとりとして会場の運営を行っていた。こう言う地元のひと達の協力があって、初めてこの『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』が開ける。学は東北のひと達の繋がりと温かさから、逆に勇気と希望を教えて貰った。そして時間となり、中島みゆきのコンサートが始まったのだ。

 野外特設ステージの上で、中島みゆきは岩手県出身の宮沢賢治に扮してマントと帽子をかぶり、右手を夜空に突き上げこう言った。

中島みゆき:「ごらん、この石巻の夜空を・・・。その星の一つひとつに星命(いのち)が宿っている。そして、わたし達のいる星(地球)にも、海、山、川、大地、全ての生命(いのち)あるものに命(いのち)が宿っている」

 こう中島みゆきが言うと、会場に集まった多くのひと達は天を見上げ、そして自分達が今生きている星(地球)と言う天体の鼓動を感じたのだ。この日も夜空にはペルセウス座流星群から降り注ぐ流れ星が沢山見え、地球という天体の引力に引き寄せられた流れ星は、眩い光を一瞬だけ輝かせ消えていく。この美しさと儚さを人間は感じられるのだから素敵だ。

 それは人間にしかない喜怒哀楽と言った「五感覚」を持つ生命体だからだ。だから素敵な夢や希望、そして嬉しさや悲しさを感じ取ることができるのだ。僕達は普段、何気なく生きているようだけど、これが備わっているから人生を豊かにしてくれるんじゃないだろうか。学はそう感じながら、中島みゆきのコンサートを聴き入っていた。

 コンサートも中盤に入り、外もだいぶ暗くなり始めた。中島みゆきは被災者たちの唄として、『一期一会』『最後の女神』『暦売りの歌』の三曲を立て続けに歌った。会場に集まった東北のひと達にとっては忘れられない唄になっただろう。それは自分達の住むこの東北で今までも、そしてこれからもしっかりと亡くなったひと達の分まで生きていこうと言う想いにさせられたからだ。
 それは学の傍にいるみずきやみさき、ゆきも同じ気持ちじゃないだろうか。学は改めて、中島みゆきの唄の力を実感させられた。それと同時に、僕は東北のひと達にいったい何が出来るだろうと、自分の不甲斐なさを思い知らされたのだ。そしてこう呟いた。

倉田学:「僕にできることは、ただ東北のひと達の想いにこころ寄せることぐらいだろう。ごめんなさい」

 そう言うと、学の瞳から自然と瑠璃色に光る雫か一滴、大地へと滴り落ちたのだ。その雫は乾いた大地に吸い込まれ、恵みの雨が大地の息吹の燈火へと繋がる、そんな雨乞いと同じような現象を起こし、一瞬空から夕立が降ったのだ。
 会場に集まったひと達は、そんな中でも中島みゆきの『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』を聴き入っていたのだった。

 コンサートも終盤になり最後の唄が終わると、アンコールの喝采が集まったひと達から湧き上がった。中島みゆきは再びステージに戻って来た。するとさっきまでの歓声が一層大きくなり、中島みゆきはお辞儀をゆっくりと丁寧にして、『空と君のあいだ』と、兼愛と言う意味の新曲の唄を歌ったのだ。

 中島みゆきのコンサートが終わると同時に、一斉に仕掛け花火とプロジェクトマッピングでステージが映し出された。もう外は暗くなり、花火とプロジェクトマッピングが学にはとても映えて見えたのだ。大切に受け継ぎ残して行くもの、新しく取り入れ変わっていくもの、どちらも大切にして行く必要がある。
 そして何を大切に残し、何を新しく取り入れ受け継いでいくかは僕たち自身の問題だ。それは時代は変わっても掛け替えのないものがあるのではないかと学は思っていたからだ。

 この花火は新潟県 長岡市の花火師のひと達が、同じ震災を経験した者として駆けつけ、東北のひと達に打ち上げ花火を観て貰い、勇気や元気を出して貰おうと準備していたものだった。その中に、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』で働くれいなの彼氏であり、来年結婚を予定している河村晴一と、その父親の河村勇造がいたのだ。
 晴一と勇造の住む家は、2004年(平成16年)10月23日に起きた新潟県中越地震により倒壊し、自宅横にある花火工場『河村花火工業』も潰れてしまった。父親の勇造は、そこから今日まで『河村花火工業』の立て直しに奮闘した来たのであった。その間、息子の晴一は、大型トラックの免許を取り、長距離トラックのドライバーとして東北や関東、そして関西と転々としながら働いてきた。そんな中、ようやく自分の故郷の新潟県 長岡市に戻り、父親の家業を継ぐ決心をしたのだ。その大きな力となったのがれいなだった。

 れいなは若い頃、悪さばかりして両親とは絶縁状態になっていた。しかし今になって家族の絆について考えさせられ、もう自分には帰る場所がない。彼女はその大切さを失って初めて気づかされた。だから彼氏の晴一には、家族の絆を大切にして欲しいと思っていたのだ。
 そのきっかけになったのが、学の「ビー玉」かも知れない。れいなは失ってしまった家族との絆を、新しいこれからの家族に託し大切にして行こうとこころに誓っていたからだ。そんなそれぞれの想いが込められた打ち上げ花火であった。

河村勇造:「せーいち。今日は盛大に上げるぞ!」
河村晴一:「おやじ、わかってるよ!」
河村勇造:「おまえなぁ。まだ花火のイロハもわかってねぇーだろ」
河村晴一:「イロハってなんだよ。おやじ」
河村勇造:「女を優しく扱うのと同じだよ! 花火には『こころ』があるんだよ」
河村晴一:「その『こころ』ってなんだよ。おやじ」
河村勇造:「花火はなぁ。観てよし、聴いてよし、響いてよしの『三拍子』なんだよ!」
河村晴一:「よくわかんねぇーよ」
河村勇造:「お前もまだまだ青いなぁ。鍛えがいがあるよなぁ」
河村晴一:「わかったから、おやじ。尺玉あげるぞ!」

 こんな親子同士の何気ないやり取りの中にも、勇造の晴一に対する期待と嬉しさが伝わってくる。そんな誰もがほっこりさせてくれる中島みゆきと新潟県 長岡市から駆けつけてくれた花火師達の共演であった。そして何よりこの日のために、一生懸命準備を進めて来た実行委員の佐藤さん達やこのイベントに賛同し協力してくださった皆さんがいたからこそ実現したことで、学は今日と言う日も大切だけど、今日まで行き着くまでのプロセスも大切にしたいと思っていた。それは人生においても同じだと思う。

 今の世の中、結果だけしかあまり評価しないけど、実はそこに向かう途中で僕たちは色々と寄り道するかも知れない。でもその寄り道が後から自分の経験として糧になっているんじゃないだろうか。
 例え失敗だとしても、そこから学ぶことは沢山ある。だから失敗なんてない。あるとすれば、途中で諦めると言う失敗だ。諦めてしまったら失敗もしないが成功もしない。そして何を大切にして何を諦めるかも自分自身だ。少なくとも学はそうやって生きてきたし、そう言うひと達が報われる社会にしなければならないと思っていた。こうして、この石巻の『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』は終わろうとしていたのであった。

 その頃、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』では、綾瀬ひとみ(木下彩)の誕生日パーティーをじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』を挙げて行われていた。当然、樋尻透や吉岡響もじゅん子ママに招待されて来ていたのだが、相変わらず響はひとみのことを落とそうと狙っていたのだ。

吉岡響:「こんばんはひとみちゃん。お誕生日おめでとう」
綾瀬ひとみ:「ありがとう」
吉岡響:「ひとみちゃんと一緒に誕生日を迎えられて、ひ・び・き嬉しい♡」
綾瀬ひとみ:「わたし別に、あなたと一緒に迎えなくても良かったんだけど」
吉岡響:「ひとみちゃん。照れ屋なんだから」

 この言葉を聴いたひとみは、こころの中でこう思っていたのだ。

綾瀬ひとみ:「わたしの誕生日に、あなたは『招かれざる客』なんだけど」

 そうひとみが思っていると、じゅん子ママがお祝いの言葉をひとみに言い、そしてプレゼントを渡した。

じゅん子ママ:「ひとみちゃん。25歳のお誕生日おめでとう」
綾瀬ひとみ:「ありがとうじゅん子ママ。プレゼント開けてもいいかな?」じゅん子ママ:「いいわよ」

 そう言うとひとみは、掌に置かれたアクセサリーケースと思われる小さなラッピングを広げて、そして真紅の色をした箱の蓋を開けた。するとその中にはブルーのサファイアのネックレスが入っていたのだ。ひとみは嬉しそうにじゅん子ママにこう言った。

綾瀬ひとみ:「ありがとう、じゅん子ママ。このネックレス前から欲しかったんです」
じゅん子ママ:「あらそう、それは良かったわねぇ」

 それを観ていた透や響、そしてれいな、はるかもお祝いの言葉とそれぞれプレゼントをひとみに渡したのだった。こうして、ひとみの誕生日を一緒に祝うために集まったお客さんと一緒に乾杯したのである。
 この日の主役のひとみは、とても上機嫌だった。それは自分の誕生日が嬉しいと言うより、自分がこの世界で一番輝いていて、他のひと達がまるで自分の下僕であるかのような優越感に浸ることが出来たからだ。だからプレゼントなんてひとみにとってはどうでも良かった。その大きな理由として、じゅん子ママから貰ったサファイアのネックレスは以前、ひとみの常連客から「同伴」の時に貰っており、ひとみはそれをすぐに質屋に出していたからだ。

 綾瀬ひとみと言う人間はそう言う人格だった。もうひとりの人格の木下彩とはまるで違う。そう言う人格だと学は途中から悟っていたから、彩とひとみを統合してひとつの人格にすることに心苦しい気持ちがあったのだ。しかし彩は着実にひとみと学のカウンセリングにより統合している。

 この先どのような統合を遂げていくのか、それは学自身にもわからなかった。今日と言う日を学が東北の石巻で、東日本大震災(3.11)の被災者のひと達と同じ時間を分かち合っている頃、東京の銀座では、今日という日が終戦記念日(戦没者を追悼し平和を祈念する日・戦後71年)であると言うことなど忘れ去られ、これっぽっちも振り返るひと達がいない現実を目の当たりにすると言った夜となったのである。


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