先生と呼ぶ人
「先生」
と言った口元がニヤリとしている。
「吉村”先生”はさすがだな~」
ニヤリとして、目はもう別の方を向いている。
賞賛の形をしたなにかに、私は義務的にほんの少し笑顔をつくる。
私は、ただの同僚である彼女の、なんの先生でもない。
へりくだってみせることで相手を持ち上げる処世術、か。
と脳内で「先生」の活用法に新たに書き加えた。この後、先生はさすがだからという理由で仕事が押し付けられることもすぐに連想した。この手のコミュニケーションが有効だと思って乱用する人は疲れる。やめてほしい。
なんだか気が滅入って、「そんなことないよ」と言ってあげることは、できなかった。
大学生のころ、駅前のホテルでバイトをしている友達がいた。ホテルの仕事はなかなかハードそうで、話に聞くだけでもぼんやりした自分には到底無理だろうと思われた。ホテルは人間関係も結構大変だ、という話になったのは、彼女が働き出してしばらくしたころだったと思う。
「あのね、仕事できない人は『先生』って呼ばれるようになるんだよ」
と彼女は言った。聞きなれた単語なのに、ひやりとする響きだった。
「先生?」
「そう。仕事できない人にはさ、『さすが〇〇先生すね』とか言うんだよ。だから私も『先生』って呼ばれ出したら終わりだわ」
彼女は事もなげに「あはは」と笑った。私はゾッとした。
想像してしまう。「先生~」と言われながら黙々と(しかしながら不手際に)目の前の仕事をする人の姿を。想像のなかでそれは自分の姿になっていた。いたたまれず反論もできないで、作業する手は震えて、また失敗する。
「先生」と蔑む。それは、なんて残酷な仕打ちだろう。
私のことを「先生」と呼ぶ人が、過去に一人だけいた。
その人はバスの運転手だった。
高校生のころだ。当時、私はバスで通学していた。バスは片道一時間もかかった。
県外から通っていた私の乗るバスは利用者がとても少なくて、同じ高校の人は一人も乗っていなかった。ガラガラの座席に何人かがポツリポツリと座るだけの、そんなバスだった。
その日私はくたくたになって駅にいた。なにがそんなに疲れていたのかいまでは思い出せないけれど、あのころの私はいつも悲しくて寂しくてどうしていいかわからない不安な毎日だった。外はとっくに暗い。電車通学の子たちが構内に吸い込まれていくのをぼうっとして見送っていた。
やがてバスがきた。赤と白の見慣れた車体。ここは始発の駅なのでバスはドアを開けたまま時間までそこにいる。他にすることもないし、とにかく私はくたくただったので、出発まではまだ時間があるそのバスに歩いていった。
入り口のステップに足を掛けると、休んでいたらしい運転手がこちらを見て「どうぞ~」と言った。六十前後に見える細身の男性だった。何度か見たことがある。車内に他の乗客はいなかった。
「ねぇ、お嬢さんさ、」
その声に、奥の座席に行こうとしていた私はびっくりして立ち止まった。運転手の声だった。こちらを見ている。
「お嬢さん、一高生でしょ。あったまいいんだなぁ~」
運転手が笑った。人懐こい笑顔だった。私ははぁと言ってそのまま近くの座席に座った。
「そんなに頭良くてさ、お嬢さんこれから何になるのよ?」
別にそんなに頭良くはないです、という私の主張はまったく聞き流されて話は進んでいた。運転手は会話が楽しいというように、にこにこしている。
「ん? あれか、学者か? 医者か?」
いえ、私理系ではないので……と私がもごもごしていると、
「まぁお嬢さんなんにでもなれるよな、俺なんか考えられねぇくらい頭いいんだもんなぁ。あ、そうか学校の先生か!」
と運転手は一人で納得してしまった。そうだそうだと頷いて、
「じゃああんたは先生だなぁ、な、先生」
ともう一度笑った。
その日から、私はその運転手に「先生」と呼ばれるようになった。
「よっ、先生おはよう」
「またきたな先生」
「じゃあな~先生」
ほとんど人の乗らないバスだから、私が降りるときにはいつも他の乗客は誰もいなくなっていた。そんなときその運転手は「誰もいないから」と言ってバス停ではなく私の家の前にバスを停めてくれた。先生をちゃんと送り届けなきゃないから、とかなんとか言っていた。
学年があがるたび、いよいよ運転手が定年になるのではないかと思い、その姿をバスで見るとほっとするのを繰り返した。結局、高校を卒業するまでその運転手はバスを運転し、家の前でバスを停めてくれ、私は「先生」と呼ばれ続けた。
卒業してから何年かぶりにあの赤と白のバスに乗ると、運転席にいたのは知らない人だった。
「先生」という言葉は、折ることのできない剣である。といつしか気づいた。
権力があって、強くて、輝く剣。
世のなかを渡り歩くために振るわれる剣。
時に相手を突き刺す、心無い剣。
たとえ刺されてどんなに痛くても、その剣が悪いのだと折ってやることができない。そんな剣なのだ。
あの運転手は私を「先生」と呼んだけれど、私を未来ある、守るべき一人の子どもとして扱ってくれた。声を掛けてくれた。
くたくただった高校時代、ガラガラの夜のバスは、数少ない安息の場所だった。安息の場所には私の未来を信じて疑わない、一人の大人がいた。
――いいな先生、先生は何にでもなれるもんな。立派になるんだろうな。
こんなに優しい「先生」に私はあれ以来出会っていない。
私を先生と呼んでいいのはたった一人。
あの運転手だけだ。
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