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正義はなされよ 世界は滅びよ

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最近の記事

裸になって踊ること、それを肯定すること─ストリップ劇場備忘録

 過日、ストリップ劇場に行ってきた。ストリップ劇場に通っているフォロワーさんのツイートをみて学生の頃に一度行ってみようとして辞めたことを思い出したからだ。昔から「とにかくすごい。一度はいってみろ」と噂で聞いていて興味はあったものの、結局行くことはなく忘れていた。  その日、ぼくが行ったのはおそらく日本で一番知名度が高いストリップ劇場だ。一応、店の名前をボカしはするが、この記事を読んで少し調べればどこに行ったかの検討はすぐにつくだろう。そもそも現存するストリップ劇場の数が少な

    • 物語は死なない。それは生き続ける─【2021年】小説・ラノベを振り返る─

      物語は死なない 令和に入って四年目の年を迎えた。「王冠」に由来する名前を持つあのウイルスの災禍は予想以上に長引いて昨年も完全な収束にはいたらずに今も未だ世界に暗い影をおとしている。言うまでもないことだが、この二年で世界はすっかり様変わりしてしまった。しかし、それでも変わらないものはある。世界がどんなに死に体になっても、物語は死なない。それは生き続ける。  有史以来、多くの人間が物語を求めてきた。なぜか。生きていくために必要だったからだ。とはいえ、物語は「食べられない」。飢餓を

      • 「怒る」ことの困難さについて

         人間の心を「部屋」に例えるなら、「喜び」や「悲しみ」といった感情のもとになる「刺激」は「その部屋に入ってくる客」だと思う。最初は空っぽの心という部屋に外界から「刺激」という客人が訪ねてくるというわけだ。感情はその客人をもとにして心で生成される。心理学的には正確ではないかもしれないが、ぼくはそういうイメージを持っている。 「怒り」は最も厄介な感情のうちの一つだ。こいつのもととなる刺激はいつもこちらの都合なんかおかまいなしに「やあ、久しぶり」といきなり土足で部屋にあがってくる

        • 誰かの心を突き刺すために─「映画大好きポンポさん」感想─

          幕を開ける 観客が映画という創作物に没入し、これは自分のための物語だと錯覚し、その感動を他者と共有したいと思うのは、必ずしもその映画の完成度が高いと感じたからではない。 それどころか全体としての完成度は高いとは言えない作品が観るものの心を打つこともある。  人の心に突き刺さるような鋭さは、物語全体の完成度とは別の要素によって研ぎ澄まされるものだからだ。 映画大好きポンポさんの視聴体験は、この種の創作に必要なたったひとつの大切なことを思い出させてくれた。 劇中劇「MEIST

        裸になって踊ること、それを肯定すること─ストリップ劇場備忘録

        • 物語は死なない。それは生き続ける─【2021年】小説・ラノベを振り返る─

        • 「怒る」ことの困難さについて

        • 誰かの心を突き刺すために─「映画大好きポンポさん」感想─

          「祈る」だけで終わらないために─「天気の子」再考─

          2021年の正月に「天気の子」が地上波で初放送された。 あらためて述べるまでもないが、「天気の子」とは2019年に新海誠監督の指揮の元で公開されたアニメ映画のことであり、前作の「君の名は。」ほどではないものの、高い興行収入をおさめた作品だ。 この作品の公開後、ぼくは自身のブログに感想を記している。 1年半近く前の記事なので今読み返すと、細かい部分でなおしたくなってくる箇所はあるが、ここで書かれている問題意識は今も変わっていない。 すなわち、「世界か少女か」という問いに自分な

          「祈る」だけで終わらないために─「天気の子」再考─

          エヴァと「決断」、その不可能性について

          なぜこんな「呟き」が拡散されるのか今月の17日に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開延期が発表されました。 こんなご時世だから延期になることは皆予想していたと思いますが、それでもそれを残念に思ったのはぼくだけではないでしょう。 一昨日、その新世紀エヴァンゲリオンの過去作を見返しながら思ったことをツイートしたところ、思った以上に拡散してしまい、当該のツイートはこれを書いている時点で2.9万リツイート、11万いいねされています。 ぼく個人としては、ツイートが拡散されようがさ

          エヴァと「決断」、その不可能性について

          まだ秋葉原は存在していますか?

          秋葉原の非/実在性「まだ秋葉原は存在していますか?」 もしぼくが誰かにこうきかれたら「いいえ、存在しませんよ」なんて答えることはもちろんないわけで、東京都千代田区外神田の通称としてたしかにそこは存在しているのだけれど、(因みに地名上の秋葉原は秋葉原駅が属する千代田区ではなく隣接する台東区にある)それでもやっぱりこの街は、ある種の人たちにとってもう存在していないとしか表現できないのではないかとも思う。 今も確かに存在している「秋葉原」とはオタクの街のことだ。だが、この街は本

          まだ秋葉原は存在していますか?