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空っぽな人の話。

空っぽな人。私のことです。

ちょっと前に「友だちが欲しい」なんて、引っ込み思案の小学生みたいなことを記事に書いたんですけど、なぜだか考えてみたんです。

人生は、色んなことがあります。それは自然発生的に起こるイベントもあれば、自分自身が選択して意図的に引き起こすようなイベントもあります。

どんな学校に入るかとか、どんな職業を選ぶかとか、どんな会社に入るかとか、どんな友だちと付き合うかとか、どんな人を生涯の伴侶にさせてもらうとか。

そういうのはどちらかと言うと後者なんじゃないかと思います。ある程度意思を持って決めていくと言いますか。そして、偶然だったりすることもあるけれど、何かしら自分のとったアクションによってその後のルートが大いに変わることってあると思うんです。

「もしあの時、志望校を変えずにあの学校を受験していれば」とか「もしあの時、就職活動を頑張ってあの会社を諦めなければ」とかそういう「あの時〜すれば良かった」という後ろ髪引かれる系のタラレバ思考はあります。

でも、逆に、「もしあの時、勉強もせずにあのまま大して努力もせずに行ける大学に進学していたら」とか「もしあの時、講義にも真面目に出ずに就職活動もテキトーにやっていたら」とか「もしあの時、勇気を出して隣の席に座っていたあの人に話しかけなかったなら」とか、そういう「ああ、あの時〜しておいて良かった」系のタラレバもあると思います。

それを踏まえて、今なぜ「友だちが欲しい」なんてみっともないことを思ったのかを考えてみると、きっとそれによって人生にポッカリ空いた穴を埋めようと考えたんだと思うんです。

私は、妻や子供も居て、今はそんなに仕事も忙しくないです。それほど多くはないけれど、何とか生活できるようなお給料も貰っています。休みの日も家族と過ごすことを何よりの至福と考えています。

しかし、仕事に関しては、最近よく「やりがいが無い」「つまらない」と思うことが多いです。一言であらわせば「暇」なんだと思います。暇だから、時間があるから、そういうマイナス評価をする余裕があるのです。

では、そういう時に、私は今までどうしていたか。仕事が退屈なら、そこで虚無感や徒労感を味わうならば、経験則として、その穴を埋める何かを外に求めていました。具体的には、友人だったり同僚だったり、もしかしたら上司だったかもしれません。

やるここと言えば「飲み」です。そうやって、飲んで愚痴って発散して、仕事の憂さを晴らすという典型的な昭和のサラリーマンのような生活をしていました。そうして「面倒で嫌な仕事もあるけどまた明日から頑張るか」と思えていたような気がしています。

また、もし仕事が目が回るほど忙しくて切羽詰まった状況であっても、もしかしたら似たような対処をしていた記憶があります。深夜残業明けに、気の置けない誰かと飲んで夜を明かしてそのまま出社するような。そこでもやはり「まあ、明日も何とかやってみるか」と思えたのでしょう。

つまり、仕事が充実していたら、きっとそのようなことをする必要も無いし、そもそもそんなことも思わなかったのだろうと思います。

何が言いたいかというと、仕事で空いた穴を埋めるための手段として、誰かと飲むということをしていました。それが「友だち」を意味するところなんだと思います。

ですから、ちょっぴり羨ましいんですよね。町で、特に金曜の夜なんかに見かける、仕事終わりに連れ立って飲み屋さんに行っているサラリーマンたちが。かつては自分もそうしていたので。

しかし、今は違います。

家に帰れば家族も居る。それは素晴らしいことです。家族と一緒に居ることでこの上ない幸せな気持ちを味わうことができるのはたしかです。

でも、その一方で、仕事で満たされない思いは、宙ぶらりんのままなんにも処理されずに居るのです。かつて親しくしていた友人とも今や疎遠になりつあります。学生時代からの友人も、辛うじて繋がりはありますが、会っても一年に数回です。

そして、その時に思うことこそが、「あの時、新卒で入った会社を簡単に辞めていなければ…」「今の会社でも、社内の誰かとコミュニケーションをとっていれば…」というタラレバ思考です。

もしそうしていれば、今頃もう少し楽しかったかな。仕事なんてものに希望を見出せなくとも、明日への活力がまだチャージできるのかもな、なんて。そんなことを思ったりするわけです。

ただ、そこで少し考えてみるんです。

じゃあ、今からもし「友だち」を作ることができたとして。その彼らと仕事終わりに飲みに行ったりして、一体何を話すのか?と。どんな話をして時間を過ごすことができるのか?と。

考えてみると、多分、何の話もできない。そんな気がするんです。

なぜなら、ここ数年ずっと、目先の好きな仕事(作業)しかしてきていない。ビジネスで成し得たいことも無ければ、誰かに語れる夢も無い。そして面白エピソードも無い。家族と居ることが何より喜びで、話題も家族の話しか持ち合わせていない。というわけですから。そんな人と話して、飲んで、果たして楽しいんでしょうか。いえ、楽しいはずがありません。

それこそが、タイトルにある「空っぽ」ということです。これが本題です。前置きが超絶長くなりました。

結局、その「空っぽ」な今の自分は、全て、「友だち」を作る努力もせず、未来へのキャリアを描くこともせず、ただ仕事の嗜好と働きやすさを求め、家族のためにほぼ全ての時間を割いてきた自分のしてきた結果に過ぎないです。

もっとも、私の今までの生き方に後悔はしていませんが、楽しそうに飲み歩いているサラリーマンたちを見ていると、羨ましさと惨めさに同時に押し潰されるような気がして、ふと、そんなことを思ったわけです。

出社をしていると、本当に一週間が長くて短いんですよね。余計なことを考える時間がない分、ひたすら仕事に打ち込むしかなくて、自分がどんどん失われていくような感覚です。日々の中で自分を取り戻そうともがいている次第です。また何か気付きあれば書きます。おわり。

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