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古い価値観?の話。

普段、私はスマートウォッチを身につけています。

とは言っても某リンゴ社製純正のたくさん便利な機能が搭載されたあのウォッチではなくって、中華メーカーの安価なスマートウォッチです。

それでも、睡眠の質を分析してくれたり、スマホに来るアプリの通知やメールを表示してくれたり、私にとっては十分便利な機能を提供してくれる存在であります。

そんなある日、所用でリビングの棚をガサゴソと探していたら、かつて着けていた腕時計が目に留まりました。

国内の某メーカー製で、メタルバンドのアナログで、たしか10万円もしないくらいのもの。

思い返せば、もともと私は、高価な腕時計というものに興味があるわけではなく(まあそういったものを買えるだけの経済力が無いのでそもそも眼中に入らないのですが)、それでも三十代なんだし多少はキチンとした時計くらい身につけなきゃなあという思いで、この腕時計を買った記憶があります。

まだ動くかな。どれどれ・・。ああ、そうだそうだ、ソーラーなので陽の光に当てればいいんだった。うん、使えそうだ。

ちょうどスマートウォッチのバッテリーが少なくなってきたので、この日はその腕時計をつけて過ごしてみることにしました。

使っていると色々と思い出してくることがあります。

ああ、そうだ、この時計は日付がついているんだけど、なぜか現在の日付と合わないんだよな。せっかくなので、ちょっと調べて調整してみようかな。・・ん、なんだ、こういう操作をすれば自動で調整してくれるんだ。おお、ちゃんと今日の日付になった。良いじゃん良いじゃん。

ああ、そうだ。この時計のバンド、ちょっとサイズが緩くて気に入らなかったんだよなぁ。購入した当時はちょうど良かったのだけれど、それから少し体型が細くなってきて合わなくなったんだった。これも直せるかな。・・アジャスタ付きだから一つ部品を外せば良さそうだ。あっ、良いね良いね。ちょうど良くなった。悪くないなぁ。

思えば、日付が合わないとかサイズが違うとかでその腕時計があまり気に入らなくなって、その頃にスマートウォッチを買って着け始めたのでした。

どうせ家で仕事をしているんだし、スーツにはキチッとした腕時計のが合うだろうけれどラフな普段着だったらスマートウォッチで良いじゃん、という思いもありました。

ですが、こうして自分に合うように調整してみると、何だか悪くない。腕時計の相場的には、決して高価な部類に入るものではないけれど、私はこの文字盤とかソーラーで半永久的に使えるところとか、そういうところが気に入ってこれを買ったのだと思い出しました。

スマートウォッチを身につけていると、つい忘れがちになりますが、結局これは腕時計。根本に立ち返ると、時間を教えてくれるものにすぎないわけです。

やれ音楽を再生できるとか睡眠を記録できるとか通知が同期されるとか、そういう便利機能ばかりフォーカスされて、いつしか時計というものが、どんどん生活の一部になっている現状に気付きました。これはこれで便利。

他方で、こっちのアナログの腕時計は、本当に時間しか分からない。せいぜい日付くらいは分かるというもので。

しかし、何だか悪くないんですよね。

オシャレなんて私には程遠いですし、全く腕時計にも詳しくありませんし、そこまで高い値段のものでも珍しいモデルというものでもありませんが、腕時計として身につけるものとして、何だか気に入っている。その程度の理由で着けているという事実が、何だか落ち着くような気がしました。

これは、不便は不便かもしれませんが、別に、天気予報が分かるだとか呼吸や心拍を計測できるだとか、そういう機能は本来は必須ではなかったはず。なぜならこれは時計だから。時間を測るもの。むしろその目的を果たしているだけで十分なのかもしれません。そう考えると、むしろ不便なんて思いすら抱かないようになってきます。

腕時計に何十万や何百万というお金を払って購入する人の気持ちが、何となくですが、分かるような気がしないでもない。そんなふうなことを思いました。

求めているのは、決してどれだけ便利かということではなくて、それが時計というシンプルな用途として、自分の体の一部として機能することがどれだけフィットするか、みたいなところ。

もちろん、そこにステータスだとか価値の高いところを求める人も多いのでしょうけれど、少なくとも私には「なんか、身につけていると良いんだな」とか「なんとなく、収まりが良い」という、それくらいの思いが、腕時計をつける目的として十分すぎるくらい十分に感じたのです。実にファジーではありますれど。

今更こんな便利なスマートウォッチをやめるという選択肢は無いっちゃ無いんですが、それでも、たまにはこうしてシンプルな機能しか持たない腕時計を着けるのも悪くないように思います。というか、再びスーツを着るようになったら、やっぱスマートウォッチじゃなくて腕時計つけたくなっちゃうと思うんですよね、私は。

世の中がますます便利になっていく中で、車だとか時計だとか、そういう昔ながらの趣味みたいなものとかが廃れずにあり続けるのは、決してそこに便利さという土俵に上がらず独自の魅力を提供し続けているからなのかもしれないな、と思いました。

そしてそれは、決して「古い価値観」だったり、それを意固地に守ろうとする人が居るというわけではなくて。

表現は難しいんですけど、ロマンがあるというような。

たとえスマートウォッチがどんどん進化して、もうスマホすらも持つ必要がないくらいに便利になって集約されて、これ一つ身につけておけば大抵の用事を済ませることができますいやぁ究極的に便利ですねぇみたいになって、街ゆく人々みんなが着けて出歩くくらいに普及していったとしても、昔ながらの腕時計は無くならないような、そんな気がします。

かっこいい。そのようなものがあるように思うからです。値段やデザインを超えた、何だか分からないけれど愛着みたいなものがある。そう思いました。おしまい。

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