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見合うものは何?の話。

余裕が無いです。何かと余裕が無い。

意地でも忙しいと言いたくはないですし、何なら本当に忙しいというのとは違っていて。別に仕事だとか私生活だとかでやらなきゃいけないことが山盛りあるというわけではないんです。

ただ、なんか面倒だったり厄介だったり、「あー、あれどうしようかなぁ。でも気が進まないなぁ」と思うようなことだったり、とにかく気乗りしないことが多くて、それでも時は待ってくれないから何となく焦る気持ちが出てきて、そのせいで精神的にいっぱいいっぱいになって余裕が無いということなんです。

要するに、器が小さいんですなぁ。知ってます。

さて、今回、「見合う」ことについて考えたことを書こうと思います。

「見合う」って何か。何に対して見合うのか。

ズバリ「お金」に関することです。
もっと言うと「お給料」です。

そういう話になります。



私はサラリーマンです。毎月決まった額のお給料を勤め先の会社から貰っています。

ですが、勤め人ならではと言いますか、いや働く者たち全てに課せられた宿命と言いますか、めんどくさい仕事があるわけです。

そりゃ、飛びぬけたスキルやら才能やら、常人には持ち得ない何らかの超人的なスペックやプロパティを持つ人にとっては、そのように感じる仕事など無いでしょうし、毎日充実して楽しくて刺激的な仕事ばかりなのかもしれません。

しかし、私のように平平凡凡な人間にとっちゃ、正直言ってめんどくさい仕事が99%です。残り1%が「まぁ悪くないかな」と思えるくらいのものだったりします。

まぁそれはいいんですけど、面倒な仕事を振られた時に(そう、本当に唐突にそのような仕事が眼前に差し出されるわけですけれど)、そういう時に、どういう心で居るべきなのかなとふと考えてみたのです。精神状態と言いますか、心構えとして、気持ちの面でどう割り切っていこうかと。

その際に、頭にまず浮かんだのは、「報酬」でした。

「仕事に見合うだけの報酬」


それを考えてみると、自分自身の仕事に対するスタンスのようなものが見えてくるように思います。

ここで言う「報酬」とは、何もお金に関することばかりではないはずです。経験とか知識とかスキルとか人脈とか交友関係とか、そういう目には見えないけれど大切なものも「報酬」として受け取るような場面はあると思います。

「この仕事をやった」そのおかげで「こんな能力が身についた」とか「この人と仲良くなれた」とか、そういうのも「報酬」と考えられると思います。

でも、ここでは敢えて「お金」に限定してみます。
もっと言うと「給料」に限った話で考えます。

報酬として、対価として、毎月貰う「お給料」が、その仕事に取り組むだけのモチベーションにどう影響するのか。

一つは、一般的に「高いお給料を貰っているケース」で、自分自身もそれを誇りに思っている場合

そのような場合で、面倒だったりキツイ仕事をブン投げられたときに、どう思うか。

「まぁそのぶん高いお金貰っているし」


そう思うこともあるでしょう。
後ろ向きでありながら、実は前向きです。

「仕事に見合うだけの報酬」


これを考えた時に、

「報酬(給料)」≧「仕事」


と考えることができているわけですから。
それは前向きなわけです。

極端な例を挙げれば、めちゃくちゃ理不尽なクレーマーがああだこうだ文句を付けてきたとします。

そのことに対して、もしそのクレーマーの所得が低そうな人だと思ったら「まぁこんな話を聞いてやっているのも仕事のうちか。俺はコイツよりもっと所得が高いしな」と思って我慢して、仕事に取り組むやる気を保ち続けることができているようなものです。

これは「我慢代」と言っても良いかもしれません。

また、無意識にそれは、

「苦情処理をする所得の高い俺」>「低所得のクレーマー」


みたいな構図を頭の中に描いている可能性もあるわけです。

言わば、言葉は悪いですけど、自分に対して何か不利益を及ぼしてくる人間のことを自分と比べて経済的に下であると見なし、自尊心を満たすことで、目の前の仕事をこなすことができるわけです。

我慢代。自尊心。優劣。

そのようなキーワードで、何とか仕事のモチベーションを保つことができるのかもしれません。

まぁここまで極端で過剰な考え方の人はそう多くないかもしれませんが・・。

では逆に、もう一つのケース。

一般的に「そこまで高いお給料を貰っているわけではないケース」で、自分自身はあまりそのことに満足しているわけではない場合

そういった場合には、どう考えたらいいでしょう。

私の話をしますと、どちらかと言えば、私自身はこのケースに当てはまると思っています。満足していないとも言い切れないですけど、世間一般に比べたらお給料は多くはない。いや、日本の全年代の平均年収よりはちょっと多いくらいですけど、今まで勤務してきた勤め先で貰ってきた給料や、同年代の同職種の人たちの平均値に比べると、やっぱりダントツに低いわけです。

もっと言うと、その低さは正直今後の将来を不安に思うくらいではあるんですけど、それでも生活できているしそこまでキツイ労働環境でもないし、住宅ローンを返しきるまでは耐え忍ぼうと思っています。今のところは。

まぁそんな私の話はどうでもいいんですけど、そういったケースで、「うわっ面倒な仕事任されたなぁ」というときに、どうするか。

最近の私はこう考えるようにしています。というか、意識的にそう考えているわけではないですけど、この頃は気が付くとこのような思考をしています。

「まぁ、どうせこのくらいの給料しか貰っていないし」


これは、実に後ろ向きです。
見事に後ろ向き。表も裏もなく後ろ向き。

「どうせこのくらいしか貰っていない」

   ↓(だから)

「仕事にそこまで自分を捧げる必要なんて無い」


という構図です。

ですから、

「仕事に見合うだけの報酬」ではなくて、その逆。

「報酬に見合うだけの仕事」


をすればいいという考え方です。

どうです?何とも意識が低いでしょう?

後ろ向きな態度というだけのことはあります。私が出世しないのも当然ですね。

でも、その反面、そうやって心の平静を保っている部分があります。

断っておきますが、「手を抜いていい」とは言っていません。真面目にやれるならそれでいいと思います。

ですがもし、仕事によって、もっと言うとその仕事に関わる作業のキツさや、付き合う人間に対する嫌悪感、そういう付随的な要素によって、自分が振り回され、傷つき苦しみ、悩んでしまう。それならいっそ、そんな仕事なんかとは距離を置いてしまえばいいということです。「自分事」じゃなくて「他人事」でいい。

下手に天秤にかけて「この報酬は働きに見合っているのか・・」と考えてしまうと、その仕事を進める過程で受けるダメージが想定より大きいものだったりすれば尚更辛くなります。

ですから、対処法としては、
まずはシンプルに

「仕事」と「自分」を分離すること


です。

本来この両者を結ぶはずの「報酬(=お給料)」なんてのは、ハナから満足いくものではないと思うことで、両者の結合度は著しく低くなるはずです。

つまりそれは現実的に「見合うものではない」と考えて、逆手に取るわけです。

そうすればあら不思議。今まで感じていたようなストレスはきっと1%くらいは減っていることでしょう。えっ、少ない?まぁ1%でも減ればいいんです。

嫌なことから逃げられるならそうすればいいですけど、仮に逃げてもきっとまた同じような状況になる。それに現実問題逃げようとしてもなかなか逃げられない場合もある。だったら嫌なことだけど少しでもダメージを少なくして自分を守りつつ、目的を果たせばいいわけです。

そうです、目的を見るのです。仕事に目を向けるなら、最終的な仕事の成果を得ることを目指せばいいわけですし、生活のため家族のためでしたら、毎月安定した給料を貰い続けることができるように立ち振る舞いさえすればいいわけです。

上司の丸投げ(だけならまだしも大抵は丸投げした後に文句を付けてきがちですよね)に対して「そんなウルサイこと言うなら、最初からお前がやれやー!」という言葉が喉まで出かかってくるのを飲み込んで、「まぁ、どうせこのくらいの給料しか貰っていないし、適当に肩の力抜いていこう」と割り切る。

そして「承知しました!」と外見だけは元気に返事しつつ、自分の心を守って冷静にやってから、真剣にかつダラダラとやっていきましょう。

あくまで会社のためにこちらが働いてあげているわけで、義務ではないんです。奉仕してあげている。だから、差し出されたものに対して、こちらがそれに見合う働きをしてあげればそれで十分なはずなのです。

どうしてもと言うなら、こう考えます。

「それ(報酬)に見合うもの(仕事)、
 出してくれたら頑張るけど?」


どうです?高飛車でしょう?
ここでのポイントは「仕事に見合う報酬」ということではなくその逆です。「報酬に見合う仕事」くれたら頑張ってもいいけどねってことです。

でもやっぱり、無理に仕事なんかで心を乱される必要性なんてサラサラ無いと私は思うわけです。だってそれは手段に過ぎないですから。少なくとも私にとってですが。

そういうわけで、上から目線で、それでいてプライド低く、やっていきましょう。って誰に言ってんだか分からないですけど。少なくとも自分自身に言い聞かせてます。まぁクビにならない程度に頑張るつもり。おわり。

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