そうだ、これはゲームだったんだの話。
忘れていました。
日常に忙殺されて嫌な出来事にまみれて、つい、人生は楽しむものであるということを忘れていました。
そんな話です。
物置部屋の本棚を整理していた時のこと。
昔読んだ本が目に留まりました。
私はあまり note の記事で本の紹介はしないのですが、こちらです。
人生ドラクエ化マニュアル - 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ!
一体どのような経緯で買ったのか忘れてしまいましたが、以前これを読んだときに、大いに勇気づけられたことを思い出しました。
そして今、改めて読み返してみました。
やはり良いことがたくさん書いてありました。
現在、苦しんでいる自分の状況にピタリとあてはまって、そこからフワッと救い出してくれるかのような感覚になりました。
詳細は書きませんけれど、発想の転換と言いますか、「ああ、そうだったそうだった」と気付かされるような話ばかりです。
著者の意図に沿っているか分かりませんが、この本を読んだ私の解釈としては「人生は楽しむ(楽しめる)もの」という意味を見出しました。
それを、忘れていました。
そういう問いは、時に不毛で、時に悟りに至るものかもしれません。
しかし、人生というものに対して「楽しむか否か」という視点だけを与えた時に、その主導権を委ねられているのは、ほかならぬ自分だけだと思うのです。やるかやらないか、それは自分しか決められないわけです。
何故だとか目的だとかを考えてもいいですけど、「楽しむ」という行為は、その問いすらも凌駕してどこか見たことない気持ち良い場所へ自分を連れて行ってくれるような気がするんです。
たしかに、今の私は仕事にやっつけられて弱っているのかもしれません。「もう全部嫌だなぁ」とか思ってたんですけど。
けれど、だからといって人生に絶望する必要も無いと思い直しました。むしろ、この人生に対してどう面白くできるのか考えることは、やはりそれ自体元気の出ることだとも思うのです。
この本の中で書かれているように、目の前の難題だとか現実の苦労を、すべて「ゲーム」の中に登場する敵やルールとして考えてみると、何だか色々なことがバカバカしく思えてきます。
そんなふうにして、自分の人生を面白く捉えなおせるなら、それだけで生きるのが楽しくなる。
それでいいような気がします。
また、最近もう一つ、自分の中で少し元気の出る出来事がありました。
それは、ここ数か月の間、私が必死こいてとあるシステムをメンテナンスしていたんです。無理難題を言ってくるユーザに対して「これならできます」「いついつまでに直します」というように一生懸命対応して。
というのも、そのユーザが業務で使うタイミングは結構限られていて、1か月の中である期日までに間に合わせなきゃマズいということで、神経すり減らしてこちらは働いていたんですね。
ですけど、先日、上司から話があって「ああ、もうその件なら無事に業務は完了したみたいだよ。また来月よろしくね」と言われたんです。
えっ?
って心の中で言ってしまいました。
こちとら、あんなに頑張っていたのにこちらには何も終了報告とか無いんだ、って。
そっちの仕事が終わったらもうこっちはどうでもいいんだ、って。
そんなふうに、あっけなく思いました。
いや、甲斐甲斐しく「あなたのおかげで無事に乗り切れましたよ、ありがとうございました」なんてことが言ってほしいわけじゃなくて。
ただ「ああそうか、所詮はこちらのことを使い捨てくらいにしか思っていなかったんだなぁ」って。
こっちがあんなに必死になって対応していたのも、何だかバカバカしいなと思ってしまったんです。
まぁそれで仕事の手を抜くとかはしないつもりですけど、そういう姿勢で接してくるのであれば、こちらもそこまで気にしなくていいやと思ったのでした。
個人的には、ちょっとショックというか、「あ、そうなん…」という戸惑いに似た感情を抱きました。
(「コイツらのために頑張るのバカバカしいなぁ」と思ったのは内緒)
つまるところ。
やはり、この世は「ゲーム」なんだと思ったわけです。
どんな敵が出てこようと、その敵はこちらが「倒す」or「仲間にする」or「逃げる」くらいしか選択肢は無いわけで。
嫌な客だろうが融通の効かない上司だろうが、ややこしいことばかり後から言い出す取引先だろうが、それは単なる脇役とかサブキャラであって。もしかしたらボスキャラですらない。ヒィヒィ苦しむような相手ではなくて「倒せりゃ経験値溜まってラッキー」くらいのヤツかもなのです。下手したらザコキャラだったりするかもしれない。
ほら、敵のザコキャラに対して「あ〜、こっちはこんなにレベル上げ頑張ったんだから、勝たせて欲しいなぁ」とか思わないのと同じ。
つまり、所詮その程度の存在なんです。別に倒さなくちゃいけないわけでもないし、レベルが違うなぁとか有効な武器を持っていないなぁとかなら、無理に戦う必要も無い。相手がどうとか気を回して考える必要も無ければ、こちらが思い悩む必要も当然無いわけです。
もっと言ってしまうと、そのステージでもがき苦しみ続けるなんてことも、別にしなくていい。嫌ならさっさと違うステージに行けばいいし、まだその違うステージに居る(目的がある)というなら、その中で自分ができることをすればいいし、気分転換にもっと楽しめる何かを探したっていいわけです。
つい、目の前のことに右往左往してしまっていましたが、別に私がここで働くのもこの仕事を続けているのも、私が選んだことで。それは逆に言うと、選びたくないなら選ばなくてもいい。
ただ、どうして選んでそうしているのかをもう一度よく考えてみるのは、なかなか有効に思えます。辞めないで居るのは、何らかの下心があるはずで。損得勘定だけを考えて、適当に過ごすというのも、(褒められたことではないと承知はしてますけど)良いと思うんです。
仕事が辛いなら仕事以外に楽しみを見出すもよし。
仕事そのものを、変えても、変えなくてもよし。
というかそんなつまらないなら仕事とかどうでもよし。
要は、
楽しめるなら、楽しむ。
楽しめないなら、行動してみる。外を向く。
別に転職するってだけが選択肢ではない。
言葉で言うのは簡単ですけど、まず行動してみるのでも良いように思います。行動した結果、今があって。それを後々の自分が見た時に「まぁ、悪くない選択をしたね」とか「なかなか面白い人生歩んできたじゃん」と思えるなら、多分それは正解、いや大正解だと思うのです。
だから、ゲーム、なんだと思います。
この人生そのものは。
ゲームは遊ぶもの、楽しむもの。人生もたぶん同じ。
嫌々ゲームするなんてそれこそバカバカしいですから。どうせゲームなら、面白い遊び方するほうが良い。おかげで、少し元気出そうです。おしまい。
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