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通学帽子と試練の話。

突然だけれど、小学二年の息子は、学校へ行く準備をほとんど全く自分で行わない。

愚痴ではない。愚痴ではないけれど、事実としてそうなのだ。

たとえばこうだ。

親「時間割は確認した?」
子「したー」

⇒棚に教科書が置かれたまま。
親「宿題入れたよね?」
子「うんー」

⇒宿題のプリントがランドセルの外に出ている。
親「水筒とか持ち物用意して」
子「わかった」

⇒何も持っていない。
 出発前に「(水筒)どこ!?」と言われる。
親「ティシュとかハンカチ持ったよね」
子「今用意する」

⇒出発時間になっても持っていない。

みたいなことがザラにある。
というか毎日、毎朝これだ。

「ちょっと親が口うるさく言いすぎかな?」と思って、小学一年の頃、ある時期、宿題とか時間割の教科書準備を本人に任せてみたこともあった。

しかし、連日忘れ物をしまくって、全く改善の見込みは無かった。学校でも怒られているのかな、と思い、息子に問いただしてみた。すると、「まぁ先生に言われることもあるよ」とのこと。えっ、気にしないんだ。メンタル強っ・・。

酷いときには、教科書ほぼ全部家に置き忘れて、空っぽのランドセルで登校したこともあった。帰宅してそのことを聞いて「えっ、そしたら授業どうやって受けたの?」と訊くと、「隣の子に教科書を見せてもらったから大丈夫」と。いや、大丈夫じゃないだろ。めちゃくちゃ迷惑かけてるやん。。

挙句の果てに、連絡帳に、当時の担任の先生から「忘れ物が非常に多いので、ご家庭で持ち物チェックをしてください。お願いします」と書かれてしまった始末だ。当時の先生には、大変お手数をかけて申し訳ないことをした・・。

というわけで、今では、さすがに忘れ物をこれ以上させるのも可哀そう(と言うのも変な言い回しだけれど。別に忘れ物をさせようと思ってさせているわけではないので)なので、最終チェックくらいはするようにしている。

ただ、少しは本人に自主性を持って準備をしてほしいので、それとなく促す形で言うようにしている。それが上記の問いかけだったりするのだが、実際まぁ、全くチェックの意味が無い。もう最初からチェックありきなのだ。

さすがに出発時刻になっても家のソファでダラダラ寝転んで、靴下すら履いていない姿を見ると、しばしば「ゴラァ!早くしろー!!」と怒ったりもしてしまうけれども、大体はもう「これはもう仕方ないものだ」と思うようにしている。私としては(恐らく妻としてもそうだろうけれど)、そこまで深刻には考えていない。まぁやる時が来れば(やらなきゃいけないという状況になれば)やるだろうと思っているのだ。


そんなある日、このような出来事があった。

その日は(その日も)、息子は自分で学校へ行く準備をせず、親が一通りチェックして「忘れ物ないね!?よし行け!」とGoを出したのだけれど、出発間際になって気付いた。

親「あれっ、通学帽子、どうした?」
子「え?・・あっ、無い」

それは、小学生が被っている、黄色いハット型の帽子だ。

ひとまず家の中を一通り探しても、それが見つからない。我が家は、平日は、部屋が散らかりまくりの混沌とした空間になっているのだが、週末は、その平穏や清潔さを取り戻すかのようにガッツリ大掃除的なことをするのだ。私は、たしか金曜の夜か土曜の朝に、その帽子をリビングで見た気がする。ただ、大掃除後の現在のリビングには落ちていない。ちょうど私はリビングの掃除をしていなかったので、誰かが片付けたか。その行方は知れない。

刻一刻と出発時間が迫っている中で、そこかしこを探してもなかったので、息子には、「無いみたい。出発時間遅くなっちゃうし、今日はもう無い状態で行きな」と伝える。

すると、


「そんなの、嫌だよー!!!」


と大泣きする息子。

朝の鬼忙しい時間帯で泣き喚かれても非常に困る。それに、時間的に焦ってしまっているということもあって、「仕方ないだろ、無いんだから!自分でちゃんと用意しないとだめなの分かったろ!」と応戦してしまう。しかし息子は泣き止まず、駄々をこね続ける。

普段、あんなに豪快に忘れ物を連発しても気にしないくせに、そういうのは嫌なんだ。不思議な価値基準というか条件で、今一つ私には理解できない・・。

でも、よくよく思えば彼は、保育園時代も、似たような出来事があったのを思い出した。

それは、園にいる同じ組の子たちはみんなオムツがとれてパンツで生活できるようになったくらいの時期のことだった。息子も、もちろんオムツはとれていたのだけれど、寝る時だけは念のためオムツを着用していた。

その日は、たまたま朝の準備にてこずって時間がかかってしまい、慌てて家を出発した。保育園にはクルマで向かっていたが、園に到着するギリギリになって息子が気付いた。

「あっ、俺まだオムツしてる」

そう、朝起きたらいつも、オムツからパンツへのはきかえをしているのだけれど、その日は忘れてしまって出発していた。とはいえ、もう園には着いちゃうし、こっちも仕事の開始時間が迫ってきているしで、家に戻っている時間は無い。「しょうがないからさ、もう今日はそのまま保育園行ってくれる?」と軽いトーンで訊くと、


「嫌だー!!!こんなんで行きたくない!!!」


と大泣き。暴れまわってクルマから降りようとしない。全く埒が明かない。強めに言ってもダメ。優しく言ってもダメ。なにが北風と太陽だよ、どっちもだめじゃん。

過保護なのかもしれないが、結局、そんな泣いている状態で無理やり行かせることはできず、いったん帰宅して着替えをして、それで改めて登園。当然のことながら、仕事は遅刻。

そういった出来事があったのだ。実に、今回のケースとよく似ている。

よく分からないが、もしかしたら「みんなと目に見えて違う」というのが、本人はいたく気にしてしまって嫌なのかもしれない。

登校するときは、みんな黄色の通学帽子をかぶっているのに、自分はかぶっていない。みんなパンツなのに、自分だけオムツでいる。それらは、たとえ教科書を忘れても自分以外の誰かが見せてくれるといったような、そういった代替手段や回避手段が無くて、大げさな言い方をすれば、全ての責任を自分で負い、全ての批判を自分一人で受けなくてはならない、ということを意味するのだ。

話は戻る。

「じゃあ(通学帽子が無い状態で)どうするつもり?」と訊くと、「連絡帳に書いてくれ」と。担任の先生に、家に帽子が無いからかぶっていない、ということを伝えてほしいとのことだった。免罪符が欲しいのか?それで何の解決になるのか私には分からなかったが、その旨が書かれた連絡帳を持って、本人は多少心が落ち着いたようだった。

泣きながら家を出る彼を見送った後、なんだか、しみじみ考えてしまった。

可哀そうなことをしたかな。

だが、ここで全て、彼が失敗しないように親のほうで準備をし尽したり、彼の思い通りの要求を飲んであげて、彼の満足度を最大限に満たしてあげたりする、というのは、違う気がする。

きっとこれは、彼にとっての一つの「試練」のようにも思うのだ。

もちろん、小学校なんて、右へ倣えの世界の最たるものではあるとは思うが、世の中には「誰かと同じにしていれば大丈夫」なんてことはあまり無い。いや、仕事をしていれば前例踏襲とか、物まね、パクリ、なんてのも普通にあることだけれど、それはそれで戦略だったり、施策の一環でしかない。

今、息子にとっては、恐らく「みんなと同じ」であることが普通で、それで安心しているかもしれない。それは今の時点では当然のことなんだけれど、きっともっと大きくなって大人になっていくと、「みんなと同じ」であることの怖さや危うさに気付く日が来るのではないかと思う。

一見、安泰だとか大丈夫だとか思っていたとしても、いつ「みんなと同じ」じゃなくなる状況になるか分からない。あるいは、ずっと「みんなと同じ」状態で居ることが続いて、気が付いたら取り返しのつかない悪い状況に陥っているかもしれない。

そうなって、身体やあるいは心の身動きが取れなくなる前に、視野を広げられるなら広げておいてほしいのだ。「みんなと同じ」というその呪縛から解き放つため。孤独を、受け入れなければならない時がいつか来る。今は、そのための練習というか、試練だと思っている。

小学校なんて「みんなと同じ」=「正義」だという図式が跋扈している環境だろうとは思うけれど、心のどこか片隅で、「まぁ違ってもいいじゃん」「そういうこともあるよね」と思えるようにしておいてほしい。それは自分にとっても、他者に対しても、異質を受け入れられる「許容さ」とでも言うのだろうか。それがあるのと無いのとでは、だいぶ生きやすさのようなものが変わってくる。私の乏しい経験上、そう思うのだ。

帽子くらいで何言ってんじゃ、と思われるかもしれないけれど。

でも同時に、私自身も、些細なことを気にしてしまう性分なので、今回のことは、そういうのを少しでも「気にしない」練習にしていったほうがいいのかもしれない。

というわけで、私の好きな一曲をご紹介。

みんなおんなじ ー 森山直太朗

基本はおんなじでいいのよ。でも、本当は違うのよ。そういうものだし、それでいい。

多様性について語れるほど私に詳しい知識は無いけど、この歌を聴けば、少し、視野は広がる気がする。

今朝たまたま、みいつけた(Eテレ)がテレビで流れていて、エンディングソングがこれだった。好きなんだよなこれ。と思ってこんな記事を書いてみた次第。


ちなみに、通学帽子は、リビングのソファの下から見つかった。

「ちゃんと探していなくてごめん、息子よ」
・・・いやいや。「自分でそれくらい探しておけよ!」かな。おわり。

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