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人生と職業の話。

ちょっと note の更新頻度が落ちています。

理由を言うと、特に何か大変なことがあったというわけではないのですが、日々のなかで感じる嬉しいことや楽しいこと、それから面倒くさいことに向き合うことを優先していて、単純に記事を書くだけのエネルギーだとかモチベーションだとか時間だとかを避けずにいるというわけです。

つまり、優先順位が下がっているということ。

ただ、そうは言っても私がこうして文章という形で思考を残すことはそれなりに目的があります。

誰か、私のリアルな知り合いがこの文章を見つけて、「アイツ、こんなことを考えていたんだなぁ」と思ってもらうこと。そのくらいです。

家族にも友人にも、私がこの note で記事を書いていることを明かしていないですし、ましてや私のような弱小アカウントが世間様の目に触れることなんてそうそう無いと思います。

ですから、せいぜい私が死んだ後とか病床で余命残り少なってから、家族が何となくこの文章に気付くとかそういうことになるのでしょう。それで十分だと私は思っています。そのちっぽけな目的のために書いています。

何が言いたいんだっけ、そうそう、別に私がここで文章を書く目的とかはどうでもいいんです。

最近、note の更新頻度が落ちて何をしているかというと、もちろん仕事とか趣味とか色々なことの時間にあてたりしているんですけど、よく考えてしまうことがあるんですよね。

それは「職業」についてです。

今回それについてちょっと書きたくなったのです。

私は事業会社の情報システム部門で働いていまして、職業で言えば、会社員なわけです。一応メインで開発業務をしていますし、前職も開発会社に居たので、もしかしたら IT エンジニアと名乗っても良いかもしれませんけど、でも職業としては「会社員」だと思うのです。毎日仕事をする代わりに、会社から毎月お給料を貰って生活しています。それを会社員と言わずして何と呼ぶべきでしょうか。

ただ、何と言うんでしょう、この頃は会社の方針だとか世の中の情勢とか色々な変化があって、それまで働いてきた時と比べて明らかに意識みたいなのが変わってきているのを感じます。

正直ちょっと不安な気持ちというのがあるのです。

会社員は、会社に勤務する以上は会社員ですけど、会社からお役御免になったりすれば無職ですし、「この仕事サイコーだぜー!」と思っていても人事異動で簡単にそれまでとは違う仕事になる可能性もあるわけです。その首輪をつけられた状態が結構息苦しいなと思っていまして。

とはいえ、じゃあ自分で事業を起こすとか独立するとか、そういうことがしたいかと言うと、そういうわけではないのです。

本当はちょっと興味があるビジネスもあると言えばあるんですけど、それにチャレンジするのは今じゃないなと勝手に考えています。

こんなことを書くと、「その可能性に賭けるのは今なんじゃないですか?あとになって挑戦しようとしても手遅れになるかもしれませんよ」みたいなことを言われるかもしれません。

でも、本当に、今じゃない。

なぜなら、今まだ私はこの現在の環境に大きな不満があるというわけではないからです。また、何かそのやってみたい関心のある仕事に対しての熱量が膨れ上がってしまってしょうがない、というほどの状態でもないのです。それに、仮に手遅れになったとしても「あの時やっておけばよかった」と思うかというと、何だかそれも想像しにくい。それほど本気ではないものです。

つまり、今、これはこれでいい、と思っている。

日々の仕事はそれなりにやりがいはあるし、プライベートの時間も取れている。貰えるお給料はそこまで多くもないけれど、何とか家族で生活もできている。心身ともに一応健康だし、家族とも仲良く過ごせている。「これほど恵まれたことはあるのか?」「他にもまだこれ以上に望むことがあるのか?」と思ってしまうのです。

ですが、未来を考えると、現状、何も浮かばない。この仕事に対する展望が、イメージが、思い描けないのです。

そのことを不安に思うのです。

何か私は今のこの仕事に対して熱意があるのか、この先何かやり遂げたい仕事があるのか、そういうことを考えると、どうしてか何も浮かばないのです。もちろん、目の前の仕事は一生懸命にやりますし、ミスが許されない仕事だもと自分では考えています。ただ、やってみたい仕事が特に無いのです。最近、特にそうです。

昔はそうではなかった。仕事に対して、あれもこれもと知りたいことがたくさんあって、休日にも業務関連の勉強をして、本屋に寄れば仕事に関する書籍を物色して時間が幾らあっても足りなかったものです。

今では、もう仕事に関する知識など仕入れたいと思わない。そのモチベーションが地に落ちているのです。最近じゃ、仕事のことを考えると胃が痛む。かつて感じていたワクワク感が皆無なんですよね。気が付いたら「事なかれ主義」が染み付いてしまっているようです。

このような状態で、この先あと何十年もずっとこの会社で同じように仕事ができるのか、あるいは、もし部署を異動して全く畑違いの業務を任されたとしてもパフォーマンスを発揮できるのか、そのようなことを不安に思ってしまったのです。

職業。そんなものはもしかしたらメシを食っていくためだけの単なる肩書に過ぎないのかもしれません。

ですが、私にとっては、飯代を稼ぐだけではなく、せっかくこの先の人生をまだまだ働いて過ごしていくのであれば、もっと心が動くような仕事にはできないものかと想像してしまうのです。

四十も間近になってそのようなことを考えてしまうのが、正直、なんとも恥ずかしい。しかし、「この道何十年」と渋い顔でいぶし銀の貫録を漂わせる職人も素敵ですけど、その人自身が内心「だけどこんな仕事は大っ嫌いなんだよな」と思っているなら、私はそうはなりたくないと思ってしまう。

反対に、五十や六十になって「この仕事、新人なんです!」と目をキラキラ輝かせている人のほうが、私は憧れてしまう。

幾ら世間にとって重要な仕事でも価値のある仕事でも、それを嫌いだと思っている人にはなりたくないのです。

変な言い方ですけど、仕事を愛する。もっと言うと、その職業に誇りを持っていること。本当に私は馬鹿で仕方ないのですけど、そういう姿にカッコ良さを感じてしまうのです。

無いものねだりかもしれない。隣の芝生の青さに目がくらんでいるだけかもしれない。しかしそうだとしても、できれば常に「俺この仕事が好きなんだよね」と胸を張れる大人で居たいなと思ってしまいます。そして欲を言うなら、自分の子供にもそういう姿を見せてあげたい。「お父さんはこんなに仕事が好きなんだ」と。そういう浅ましい考えも、みっともないですけど。

さて、今の自分は、どうしてそう思えなくなっているんだろう。

極端な話をすれば、会社員がどうだとか肩書だとか職業だとか、そういうのももしかしたらどうでもいいのかもしれない。私はただ「仕事をする」という行為があまりにも日常のなかで大きなウェイトを占めすぎてしまっているばっかりに、それを自分のこれまでの(そしてこれからも)人生において何かしらの意味づけをしたいような気がしています。

「あなたの人生でどんな仕事をしてきましたか」
「あなたの職業は何ですか(何でしたか)」

そこに答えがあるのか分かりませんけど、人生を構成する要素の一つとして、仕事だとか職業というものが何らかの役割を持っているような気がするんです。もちろんそれが絶対ではないとは思うんですけど。所詮仕事なんてお金貰えるだけ貰えて楽でありさえすればいいという考えも理解できますから。

うーん、そもそも、どうして私は今の仕事を選んだんだっけ。その辺りを思い返すことでもしかしたら何かしらヒントはあるかもしれないですね。いや、無いかもしれないけど。

とにかく、最近はよく本も読む時間を作っているので、ひたすら内省してます。今、恐らくヒマなのでこんなことを考えているわけですから、それを利用して、少し立ち止まってみています。そうしてこれからのことをじっくり考えてみたりしているわけです。やっぱり支離滅裂になっちゃいました。ああ、いつもと同じ。おしまい。

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