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年末テンコ盛りながら駆け足で2022年を振り返ってみる話。

年の瀬である。ここに来てイベント目白押しだった。

仕事では、今年期限の調査タスクがこんもり溜まっていたり、サーバ構築の検証作業も飛び込みで入ってきていたり。エンジニアだと言いながらもロクにコードも書かずに、ひたすらに人様のコードを読み漁って仕様書にまとめたり、英語力なんてとうの昔の中学時代でストップしているのにも関わらず、海外サイトのクラウド関連の技術文書を探してアレヤコレヤと検証項目を継ぎ接ぎして作っている毎日。

私生活でも、この時期恒例の、子供が寝ている間にクリスマスプレゼントをこっそりと用意しておくという一大イベントも無事にこなした。ただ、不覚にも私が朝シャワーを浴びている間に子供が起きてしまったので、プレゼントを発見して喜んでいる子供の姿を見る機会を逃してしまった。夜中に起き出して、物音立てずに馬鹿でかいプレゼントを運び出したりする作業も、この瞬間を見るのを楽しみにしていて何とか成功させたのに・・!

クリスマスに関しては去年も記事にしたのだけれど色々書きたいことはある。息子ももう小学三年生になるのでそろそろサンタの正体が明かされてしまうのかな、とか。ただ、まだやはりサンタの存在を信じる子供は、すごくすごく可愛くて。せっかくなら、もう少し、いつか自然とバレてしまう時が来るまで、内緒にして演技をしていようと思う。優しい嘘なのだ。

それから、旧友(幼稚園時代からの付き合い)が結婚式を挙げるというのでそれに出席もしてきた。ここでも色々感じたことがあるのだけれど、まぁそれを書き出すと多分、一年の振り返りだなんだと書く余裕は無くなってくる。これはもうちょっと落ち着いてから、しっかり別の記事にしてまとめてみようと思う。ひっさびさにコミュ障炸裂してしまって、自分でも驚いてしまった。

それから、先日大学時代の友人とも一緒にご飯を食べて(恐らく二年ぶりくらいかもしれない)、色々と近況報告ができた。この友人は二人だが、それぞれ職業も生活スタイルも違うから、話をしていて刺激的だった。それで、やはり主に仕事関係(キャリア関係)で考えてしまうこともあったけれども、これはちょっと一旦頭を整理して、これも別の機会に記事にまとめようと思う。

・・ごめんなさい。前置き長すぎたな。

さて、そういったわけで、年末イベントがテンコ盛りでアワアワしながらも、今年一年を振り返ってみる。

そういえば、私が note を始めたのは 2021年の10月なので、丸々一年 note を書いてきた期間で言えば、今年が一年目になるなぁ。

では、その当時あった特徴的な出来事と、そのことについて書いた記事をなぞりながら、時系列順に書いてみる。

※めちゃくちゃ長いです。


【1月の振り返り】

初めて首都高に乗った。
https://note.com/furokun/n/n43175854403f

記事にも書いたのだけれど、新年のあいさつで親戚の家を回るときに、時間の関係でどうしても乗らざるを得なくて乗ってみた。

そもそも、私は、大学進学してからは、クルマに乗る必要もない町ばかりで暮らしてきたので、ずーっとペーパードライバーだったのだ。それが、下の子供が生まれるのを機に、埼玉の田舎に引っ越して、そこで「せっかくだから運転できるようにしよう」と考えて一念発起し、乗るようになった。なので、ペーパードライバーにとっては首都高なんて恐ろしくて仕方なかった。

けれど、ドライバー歴も長くなっていき、地方の高速道路自体はもう何度も何度も乗っていたので、いざ首都高にもチャレンジしてみた。すると、案外乗れたのでなかなか気持ちが良かったのだ。

そのことから「偏見」を持って恐れているよりも、まずはやってみることも大事かもしれないと気付いた。

もちろん、無鉄砲に何でもやってみるというのはリスクもあるけれど、変に最初から構えすぎて恐れすぎる必要も無いのだな、と学んだ。きちんと事前準備や勉強をして、それで臨めばいい。

そういうわけで私の中で一つ、大きな学びになった出来事だった。

【2月の振り返り】

息子の小学校が学級閉鎖になった。
https://note.com/furokun/n/n6bcda16ad4e8

コロナ陽性になった。
https://note.com/furokun/n/na431dd7e450e

2月は大きな出来事としては2つ。

まずは、息子の通っている小学校が学級閉鎖になったことだ。そのために、学校からパソコンを渡されて、それでオンラインで授業を受けるという何ともハイテクな、時代の流れを感じるような日々が続いた。そしてこれは、学校の中で彼がどう振る舞っているかとか、学校生活の様子とか、そういったものをオンラインながら垣間見ることができて良い機会だった

ただ、親は在宅で仕事をしながら子供もオンライン授業を受けるというのは、なかなか骨が折れるということも痛感した。オンライン授業と言っても、一日めいっぱい時間割があるわけじゃないし、授業が終わるタイミングで子どもの集中力は切れる。それに、こちらが電話とか打合せしていると、退屈した子供の声が入り込んでしまったりと、なかなか大変であった。改めて仕事のパフォーマンスを発揮する環境について、考える機会にもなった。

それから、コロナ陽性だ。「ついに・・」という思いだった。このパンデミックになってから家で過ごす時間も増えて、そうすると、心なしか以前よりも体調が良い日が多いように感じていた。とはいえ、それでも季節の変わり目とか疲れとか、そういうタイミングで少し不調になることはあって、熱なんかが出たりでもすれば、そのたびに「まさかコロナか・・」と戦々恐々としていたものだった。

けれども、実際に本当にコロナに罹ってしまうと「ああ、ついに罹ってしまった。これはもう仕方がないことなんだ」と少しだけ思ったりもした。それは、いくら健康管理とか、三密を避けるとか、ソーシャルディスタンスだなんだって気を付けていたって、ひとたび体調が悪くなってしまうと、「遊んでたんじゃないの?」とか「ちゃんと感染対策やってなかったんじゃない?」とかそういう声が聞こえてくる気がして怖かった。だけど、本当に罹ってしまえば「これだけ気を付けていても感染するなら、これはもはや事故なのだ」と自分で自分を慰める、そんな開き直りすらできるようになった。ごめんなさい、気を付けていたんです、でもやられちゃいました、と。

だからと言って積極的に感染しようなんて言うつもりはサラサラないが、必要以上に恐れたり怯える必要は無くて、今やもうこの感染症とどう付き合いながら日常生活を送るべきか、を考えるフェーズに入ったような気がした

ちなみに、実際のコロナの症状については、個人差はあるようだけれど、私はかなりキツかった。これは2月の話に限らないけれど、コロナ真っ只中の症状よりも、後遺症(喉の痛みと咳)が特に辛かった。

【3月の振り返り】

Twitter でアレコレやってみた。
https://note.com/furokun/n/n1776389d8907

この note を始めた当初「えっ、エクスポート機能ないじゃん!」(※現時点でもまだ実装されてないよね?)と驚いて、良い機会だったので、勉強を兼ねて流行りの Python を使ってバックアップを取得するスクリプトを作ってみた。具体的には、note に書いた新作記事を自動で拾ってきて、ローカルのデータベースに突っ込んで、それで万が一(noteがサービス終了しちゃったりした時)のために、はてなブログのほうにも記事を同期させて、という。

それはずっと動いていたのだけれども、どうせなら Twitter もいじくりたいなぁということでこれも自動投稿させてみた。3月は割と時間があったので、暇を見つけては、note と連携させて Twitter のアカウントに色々なことをつぶやかせたり。特に API でゴニョゴニョして実装するのは楽しかった。

最近はお遊びの開発が止まってしまっているので、どこかでまた遊んで作ってみたいと思う。開発系の記事も書きたいな。

【4月の振り返り】

人事異動(というか配置転換というか兼任業務というか・・)で新しい仕事を始めたけれど、むっちゃストレスフルだった。
https://note.com/furokun/n/n2dd727d7d8c7

今勤めている会社では、入社してからずっと開発の現場作業というか、ゴリゴリ手を動かして作るお仕事をメインにやってきたのだけれど、ここに来て少し毛色の違う業務も任されることになった。下流よりも上流というか、さらに上というか・・。ほら、今流行りのアルファベット2文字のやつ的な。

ただそれがまぁなかなか肌に馴染まなくて。というよりも、やろうとする方針やコンセプトは分かるのだけれど、どうにも「ああ、実態分かっていないんだろうな・・」と思うような場面が数多くあったり、やり取りする業者さんと社内との温度差(もっと言うと、社内の中でも人によって温度差)があったりして、なんか人間人間している、個人的には一番嫌な部類の仕事をずっとやらなければならなかった。

愚痴を書き出すと止まらないのでこの辺で止めておくけれど、結局は「いくら新しい取り組みで、やりがいのありそうなものだったとしても、そして集められた人材が如何に優秀であったとしても、一緒に仕事する人との間に信頼関係があるか無いかで、めちゃくちゃモチベーションに影響する」ということを改めて実感した。

多くは言わないけれど「パフォーマンスももちろん大事だけれど、『この人と一緒に仕事がしたい』と思ってもらえる人であることは、仕事をする上でものすごく重要なことなのだ」と学ばせてもらった。

【5月の振り返り】

梅シロップ作りました。
https://note.com/furokun/n/n939ec4b0923f

毎年恒例になってきているのだけれど、この時期は梅シロップを作り始める。用意するものは簡単で、氷砂糖と青梅のみ。ひと月くらいで完成して、一回作ってしまえば夏くらいまでもつ。

これがかなり美味しくて、ミネラルウォーターや炭酸水で濃い原液を割って飲んだり、かき氷にかけて食べたり、爽やかな梅の香りと風味が何とも言えず素晴らしいのだ。

季節関係ないけれど、また飲みたくなってきたな・・。

【6月の振り返り】

電気とガスの請求をまとめた。
https://note.com/furokun/n/n69d7ec1c2cc5

昨年くらいだったか、電気代がすごいことになってしまった。

まぁ電気の使い過ぎはあるかもしれないけれど、計算してみるとちょっと諸々料金の設定自体が高いんじゃないかな、ということで、ちょうどこの暑くなり始める時期でプランを見直してみた。業者もそれをよく知っていて、ちょうどその時期に営業をかけてくるわけ。

で、現契約の基本料金とか使用料とか、それから切替え先の基本料金やら単価やら、あとは割引料金やら、色々計算・検討。そして、とある一社に切り替えた。

ただ、切り替えたら切り替えたで、もう安心しちゃうのか、あまりそれ以降の効果のほどは見定めていないのよな。うーん、もうちょっと経過と効果を見て、節約できるところはした方が良いのかも。そのためには、日ごととか月ごと、それから前月・前年比のデータが如何に参照しやすくあるか、というアクセスの良さが重要なように思う。あまりその辺りは考えていなかったので、次の課題かな。

【7月の振り返り】

「こんな通信簿があるのか」とビックリした。
https://note.com/furokun/n/n14e1388b87ca

散々、上記の記事の中で書き尽くした感はあるのだけれど、小学生の息子が1学期終わりで通信簿を貰ってきて、その所見欄が「個別面談で伝えたので記載割愛」的なことが書かれていた。私は、子供の教科ごとの評価なんてどうでもいいから所見欄だけを楽しみにしていたので、とてもビックリした。

読んでくださった方からもたくさんコメント頂いたり、家族で話し合ったり、調べたりしたところ、そういう「所見欄」の記載については先生方の負担も非常に大きいと知った。何を書いてもクレーマーのようなことをする親もいると思うし、書いたら書いたでずっと残っちゃうし、というのもあるから、きっと軽々しくは書けないとは思うのだけれど。それに、先生も一労働者なわけで、勤務時間を無限で使いホーダイというわけにもいかない。要らない業務は極力減らして、職場のホワイト化に努めているのだな、という時代の変遷といった空気も感じた。

ただ、やっぱり個人的には、教科ごとに幾つか分かれていて曖昧な基準で下された評価なんて要らないので、所見欄だけでも欲しいな。。と思ってしまったり。独り言です。

【8月の振り返り】

夏休みの過ごし方について考えてみた。
https://note.com/furokun/n/n4202e464470b

我が家は共働きのため、子供が夏休み期間であろうと、基本的には私も妻も仕事をしている。それが当たり前に感じていたのだけれど、ある日息子から「こんな夏休みは退屈だから要らない」と言われたことで、ちょっと考えてしまった。

思えば、私は、母親が専業主婦だったし、親戚も近くに住んでいたし、一人でフラフラ出かけて友達と遊んでいたし、で夏休みというのはやはり特別なもので、すごく長かったし、すごく楽しかった思い出があった。それを思い出した。

他方で、子供にとって「退屈でつまらない」と思ってしまうような夏休みは、私や、そういう働き方を選択している我が家のせいなのかな、なんて思ったりもしたのだ。

けれど、この記事の中でも、有難いことに温かいコメントを頂いた。

結局は、「子どもの人生」でもある。夏休みがつまらなかろうと、面白かろうと、それは全てが全て、親が用意したものではないのだ。

幾つか記事でも書いているけれど、私は過保護で過干渉で、だからこそ子供のためを思って色々考えたり動いてしまうことがあるけれど、それは「子どもにとって」本当に良いものなかな、と。先回りして、お膳立てして、目の前の道を綺麗に舗装して準備してあげて、そうすることで、子供は嬉しいのかと。

そうではないんだろうな、と気付いた。
少し、信頼してあげること。任せてみること

そうすればきっと、彼らは彼らなりの楽しみ方をする。そうやって手に入れたものこそが、本当に「子どもにとって」良い時間の過ごし方になるのだろうと思う。

【9月の振り返り】

順調に身体を絞っている。
https://note.com/furokun/n/neda847abadb5

家で仕事をするようになった当初、結構体重がえげつないことになっていて。それで危機感を覚えて、地道に毎日筋トレしたり、夜は炭水化物を控えたり、と色々やってきた。

で、当初目標にしていた「体重65kg」というラインをどうにか達成できた。

そしてこの目標をクリアしたら実は私にはやりたいことがあった。それは、近所のラーメン屋さんで、炒飯(めちゃくちゃ美味しい)をお腹いっぱい食べることだった。しかし、悲しいことに、つい先日、そのラーメン店がなんと閉店してしまったということを知った。すごく悲しかった。まだタラフク食べていないのに・・どうして・・。あの時(65kgになった時)、区切りとして一度でも来店しておけばよかった。悔やまれる。実際、食べに行こうと思ったのだけれど「まだまだ痩せられそうだから、また今度食べよう」と先延ばしにしてしまったのだ。

そんなわけで私は、ダイエットをする目的を失ったまま、亡霊のように、引き続きまだ肉体のシェイプアップに努めている。いったいこのダイエットはどこに向かっているのだろう・・。

冗談はさておき(いや冗談じゃなくて閉店はめちゃくちゃ悲しくはあるけれど)、体が軽いと色々と嬉しいのは確か。一番嬉しいのは、子供と公園で駆け回るときに、すごく軽やかというか。以前ほどは疲れない。いや疲れるけど、疲れやすさはそこまで無い感じ。これは維持していきたい。というか、絞れるところまで絞りたい。無理なく。

【10月の振り返り】

自転車(子供用)を新しく買った。
https://note.com/furokun/n/n9bdee3b501b2

小学生の息子の自転車を新調。身体に対して少し大きめのサイズの自転車を買ったので、少しだけ彼は乗りにくそうにしていたけれども、段々と慣れてきている。

最近は、私と息子とで、休みの日にサイクリングに行ったりする。彼はまだ自由自在に乗りこなせるというわけではないので、私が道の先に行き、時折ふり返って彼の様子を見ながら走らせるわけだけれど、頑張って必死についてきている。成長したな。

思えば、自分はどうやって自転車に乗れるようになったのか、もう憶えていないけれども、もしかしたら私の親も温かい視線で私のことを見守って、自転車の練習に付き合ってくれていたのかもしれない。

息子の次は、娘。彼女は今、まだ補助輪付きの自転車だけれど、計画的に、乗れるように練習に付き合おうと思う。

【11月の振り返り】

子どもの友人関係でモヤモヤしちゃった。
https://note.com/furokun/n/nbd39a40817e0

良質な睡眠を得るために二段ベッドを買ったよ。
https://note.com/furokun/n/n25e192c0e0c4

11月に取り上げる出来事は2つ。

まず一つ目が、子供の友人関係だ。割と多くの方が記事を読んでくださって、コメントもたくさん頂けた。要約すると、息子が、学校の友達を連れてきて、それ自体はいいのだけれど、やって来た友達の態度というか振る舞いに、大人げないながらモヤモヤを禁じ得なかったという話。

コメントでも色々ご意見を頂けて、やはり「ウチはウチ、ヨソはヨソ」というルールを改めてきちんと確立することは大切かもしれないと思い知った。

これは、実は、個人的にはあまり好きではない言葉だった。私も小さい頃によく親から「ウチはウチ、ヨソはヨソ」と聞かされていたからだ。「アイツの家は良くて、なんでウチはダメなんだよ・・」とよく不満に思っていたものだ。

けれど、今なら分かる気がする。そういったルールは、ある程度は必要なものなのだ。それが無いと、何でも自由に、自分勝手に好き勝手に、他人を他人として尊重できない環境になってしまう可能性があるからだ

私は子供の友人関係を取捨選択したいとは思わない。子供は子供でどんな人と付き合うのかは、基本的には本人の自由なのだ。しかし、それでも、その友達が「友達だから」という理由で、家の中に勝手に入ったり、部屋を物色されたり、そういうのはやっぱりナンセンスだと思うのだ。

それは「子供だから仕方ない」と許容したり我慢するものではなくて「子供だろうが何だろうが人としてきちんとしないとだめ」な部分だ。それが、ウチ(というか私と妻)のルールなんだな、と分かった。

子供には堅苦しいし、うるさいかもしれないが、これは、家族みんなが安心して気持ち良く生活できる場所にするためのもの。少なくとも今回、私と妻は良い気分はしなかった。大人げないけれど、それを我慢するのも違うと思った。だから申し訳ないけれど、家で遊ぶなら遊ぶで、ウチのルールに従ってもらうように決めた。

具体的には、外でどんなお友達と遊ぶのかは自由だけれど、友達を我が家に連れてくるなら、その子の親と挨拶をしてから(少なくとも顔見知りになってから)にしたい。そうではないのなら、そのお友達が他人の家にお邪魔するときの態度がきちんとしている前提であってほしい。そしてそれは、あなた(息子)も、お友達の家に遊びにいく際には、そのように礼儀をもっていないといけないよ、ということ。自分の家ではないし、他の人の家に行ったら、きちんとその家のルールに従うこと。

礼儀とか、尊敬とか、敬意とか。正直、面倒くさいかもしれないし、くだらないという意見はあるかもしれないけれど、相手を敬う気持ちは人間関係の基本だとも思う。息子の友人関係にはとやかく言わないが、その姿勢は(少なくとも、そういうふうに親が考えているということは)知っておいてほしいな、と今回の出来事で思った。

それからもう一つ。二段ベッド

これを買うに至った背景は、もともと我が家はベッドを2つ横並びでつっくけて家族4人で寝ていた。けれど、子供の寝相があまりに悪く、そしてなぜか妻のほうに息子はベッタリとくっついて眠ってしまうので、妻の睡眠が著しく妨害されていた。それで妻のストレスが結構高くなってきてしまっていて、これはいかん、ということで各々が寝る空間を分けることにした。

色々検討したけれども、我が家のスペースとか子供の年齢などを考慮して、二段ベッドを購入することになった。

で、購入してもう1か月くらい経つかな。
結論から言って、今のところ正解。

今までずっと家族ピッタリくっついて寝ていたから大丈夫かな、と思っていたのだけれど、案外、子供たちも自分の、自分だけのベッドを気に入って、毎日ちゃんと一人で寝ている。妻も睡眠妨害が無くなって(それでも、たまに寝ぼけて息子が妻のベッドに入り込んで来ることはあるらしいが・・)、以前に比べて睡眠の質は向上したそうだ。素晴らしい。

寝室の大きさの関係で、私だけが一人別の部屋で寝ることになった。少し寂しい気もするが、私は早起きだし、家族の眠りを邪魔することもないので、むしろ別部屋のほうがいいのかもしれない。

【12月の振り返り】

言葉について、ちゃんと向き合ってみようと思った。
https://note.com/furokun/n/n506bcfac050f

12月は、出来事としてはスマートバンドを買って快適だったとか、在宅ワークが近いうち終了しそうで何とも残念だとか、色々あるのだけれど、今月はなぜだか「言葉」について考える機会が多かった。

全然関係ない話をしてしまうのだけれど、最近、詩集を読んでいる。金子みすゞの童謡詩集だ。

数少ない言葉の中に、大きな物語が想像される。それが何とも面白い。

私なんかはつい言いたいことが多くなって、盛り込めるだけ永文章に詰め込んでしまうけれども、詩は違う。少ない言葉で、世界が広がって、読む人の心に響く

活字を読むのは嫌いなほうではないので、時間があれば本を読むようにしているが、詩も、できるだけ読むようにしている。いや、読むというより、触れる、というべきか。目でなぞった言葉が、不思議なことに情景に浮かび上がる。

上でリンクを貼った記事の中では、歌手の森山直太朗さんと、主に作詞作曲を共同でされている御徒町凧さんが出演されている動画がある。そこで、詩について、言葉について、魂について語っているのを観ていたら、何だか詩に触れたくなったのだ。

ちなみに金子みすゞ童謡詩集で最近、頭をガツっと殴られたような衝撃があったのは「りこうな桜んぼ」という詩だ。詳しくは書かないけれど、優しさとか裏腹とかそういう人間の心情みたいなものが、もう何と言うかリアルに目の前に叩きつけられるような気がして、私はなぜだか自分が恥ずかしくなった。他の詩集も読んでいるけれど、どこか機会があればまた記事にしてご紹介したい。

そんなふうにして一人、時間を見つけて、詩を眺めると、本当に面白い。

ただ、私の悪い癖で、これを面白いで終わらせたくなくて、今後の自分の「言葉」そのものに対する姿勢も見直した方が良いのかもしれない、というところに思い至った。言葉の強さ、力。良くも悪くもそういったものを持っているものとして、きちんと使いたいと思った。

ちゃんと向き合う。note は文章を書くのが好きな人が多いと思うので、人それぞれ向き合い方があるのだろうけれども。なんだか、それも面白い。

【2022年の抱負の振り返り】

よせばいいのに、2022年の頭に、抱負を立てて記事にしていた。せっかくなので、振り返ってみよう。
https://note.com/furokun/n/n6ab871c9b52f

第一目標:
「怒らない」こと。特に子供に対して、声を荒げないようにする。全否定しないようにする

第二目標:
機械的、強制的、習慣的に、継続して、「学び直し」に取り組む。

さあどうだろう。

第一目標は・・失敗だ。めっちゃ怒った気がする。そして子供が泣くたびに後悔もすごいのだ。特に息子に対して

ただ、最近では少しずつ努力はしている。声を荒げる、というのは少なくなってきた。その理由は、単純に「距離を置くこと」が有効だと気付いたためだ。

ああもうこりゃこのままだったら怒鳴ってしまうな、というところで、強制的に興味を切断する、ということをしている。薄情だけれど、一旦もう子供のことは見ない。物理的に離れる。そうすると、「うん?なんでこんな小さいことで怒ってたっけな」と思うことが多い。毎回そうではないけれど、確実にクールダウンになっている。子供の身に危険が迫っている場合にそういうことをすると本当に危ないので、あくまでも、言い争いとか、ルール破りとか、ちょっと個人的に癪に障る程度のケースでは、なかなか有効だと知った。

それから、第二目標。これは地味に続いている。毎朝の半身浴の際には、今はもうスマホは持ち込むことはせず、ずっと本を読むようにしている。興味が途切れてしまうと途端に眠くなるので、何冊か異なるジャンルのものを読んでいる。

成果についてはこれと言って大きなことはないけれど、今はそれでもいいかと考えている。結果を求めて努力することは素晴らしいけれど、私の性格上それは続かない。甘いかもしれないけれど、楽しく、楽に、続けやすい、という方法でないと、キツイ。ガチの仕事関係であれば、それとは別に否でも応でも取り組むので放っておいても良いが、せっかく朝のリラックスタイムを使うのであれば、無理せず、自然な気持ちと頭で取り込むものにしたい。

【結び:今年の最後に】

そういったわけで、抱負まで振り返り完了。いやあ長かったなぁ。1万字超えたよ。

さて、来年2023年も抱負を掲げるかは分からないけれど、恐らくこれが、今年最後の投稿になるかなと思っています。(ぎりぎりで年末の記事も書くかもしれないけど)

とにもかくにも、今年は、note でも多くの方と交流をさせていただいたり、一方的に記事をこっそり盗み読みさせてもらったり、勝手に刺激や気付きにさせてもらうことができました。

来年は、在宅ワークではなくオフィス出社になりそうなので、どこまで note に割く時間が確保できるか分からないけれど、気が向くまま続けられたらなと思います。

といったわけで、少し早いですが、今年はどうも、ありがとうございました。こんな長ったらしくてオチもない記事ですが、たくさんの方に読んでいただいて、とても嬉しかったです。感謝申し上げます。

来年もどうぞ、もしお気に召したらば、読んでいただるとありがたいです。

それでは、みなさま、良いお年を!

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