ぼくは悪にでもなる、の話。
気にしすぎている。そんなふうに思います。
ここのところ、仕事が結構大変な状況で。この休みも働いていたんですけど。
ただ、今回のこの記事を書くにあたって、そういう出来事の細部に触れてアレコレ述べるのはやめておこうと思います。
出来事ではなくて、それに反応する自分の心について掘り下げてみることにします。
まず、忙しい。
やることが多くて、急な対応だったり「大丈夫か?これ」みたいなことを速やかに調べて判断して、みたいなことをしています。
そうすると、心に余裕が無くなるわけです。その最中は不思議と疲れは感じにくくて。どちらかと言うと、渦中から離れてフッと我に帰った時に「あっ、なんか疲れたな…」って思います。疲れたな、もう嫌だなこの仕事、みたいな。
他にも、忙しいだけならエイヤと気合を入れてやり切ればいいですけど、「あれ?これ俺のせいじゃね」みたいなトラブルの種をもしかしたら自分が蒔いていたかもと思うと、今度は胃が痛くなるわけです。
つまりストレスということですね。
ストレスの耐性は人によるのかもしれないですけど、私はあんまりストレスに強くない。というか、ストレスのもとになっている出来事に対して反応が敏感な気がします。ストレスに反応する感度みたいなものは、そもそもストレスを処理できるか以前に結構大きな問題じゃないかなと個人的に思ったりします。
自分のせいで、誰かが困る。そういうことを想像すると、もうダメなんです。うわぁ、って思って脂汗が出る。食事も喉を通らない。
その想像力の脈略の無さとか過度なイメージとか、自分以外の人にしてみたら「そんなとこ気にする?」ってのが強くて、その矛先が自分に向かうと、そうなる感じがしますね。
そういった余裕の無さだとか、ストレスを感じてしまうこととか、それによって自分が押し潰されてしまいそうな気持ちがします。
考えて考えて、「ああどうしよう、もっとこうしなきゃ、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、迷惑かけているな、嫌だな、早く解決したいな」と、そんな思考が頭の中をグルグルと駆け回って、どんどん精神力が削られていくんです。
でも、その波の流れに飲まれていたら、そんな思考に舵取りを任せていたら、私はきっとダメになる。潰れて、大事なものを失ってしまう。
だから、もっと鈍感になる。図々しく、悪者になる。
そう意識しないと、自分が保てません。
そうやって無責任になって、そうして初めて自分が守られる。それくらい弱いですから。自分は。
もちろん、そういう無責任さを仕事上で振り撒くべきだということが言いたいわけではありません。そんなことを自分の外に出して言うべきでもない。仕事としてやることはやるし、自分が果たすべき責任は果たすけど、だからと言って考えすぎて自分が潰れるのは、違う。
上にも書きましたが、大切なものを守るために潰れるわけにはいかない。家族とその生活のためには、ちょっと逆説的になってしまうけれど、そのためには仕事なんてどうでもいい。自分を殺してしまうような仕事なんて、要らない。そんなものにはこちらから距離を置く。
鈍感、無責任、忘れ、とぼけ、不真面目、開き直り。
そうやって今日も考えることをやめるおかげで、また明日起きる気力が生まれるんだと、私は本気で思います。
誰かが文句を言おうと非難してこようと、この命までは奪わせない。一言でいえば「そんなもの、他に大事なものに比べたらどうでもいい。知ったこっちゃない」です。二言くらいになっちゃいましたけど。
君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる。そんな歌のフレーズありましたけど、今の自分に照らし合わせると本当にそうだと思います。(その歌や作品の解釈としては違うんでしょうけど…)
ある意味、仕事を持ち帰らない、ってのもそういうことだと思います。現実的な仕事の作業を持ち込むだけじゃなくて、仕事のことが頭や心を覆ってしまって、それ以外のことが上の空になるなら、それはもう持ち帰っているのと同じでしょう。
近頃じゃ夕食の話題でさえ仕事に汚されてる、とかもね。そういう歌もありましたけど。仕事が占領して来てるんです。仕事以外の生活の部分まで手を伸ばしてくる感じ。それを意識せずに耐えられて楽しめる人なら問題ないでしょうけど、私は無理。
だから、気にしない。できる限り、仕事と距離を置く。意識的に。
実際、言うのは簡単で実践するのは難しいかもしれないですけど、そんな仕事ばかりやっていられるほど、暇じゃないですから。他のことに集中しよう。
私は今日も生きている。仕事のためじゃなく生きるための単なる道具。意識が低いと思われようが仕方ない。キレイゴトだけじゃやっぱ生きるのはしんどい。おわり。
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