有名な心理学者10人

心理学者とは、人間の心や行動を科学的に研究する専門家のことです。心理学は多様な分野に分かれており、それぞれに代表的な心理学者がいます。ここでは、心理学の歴史や発展に大きく貢献した10人の心理学者を紹介します。

  • ジークムント・フロイト (Sigmund Freud) : 精神分析学の創始者であり、無意識や欲望、夢分析などの概念を提唱したオーストリアの心理学者です。

  • ジャン・ピアジェ (Jean Piaget) : 子どもの認知発達の段階を提唱したスイスの心理学者です。

  • バラス・スキナー (B. F. Skinner) : 行動主義の代表的な心理学者であり、オペラント条件づけや強化スケジュールなどの概念を提唱したアメリカの心理学者です。

  • カール・ロジャース (Carl Rogers) : 人間性心理学やクライエント中心療法の創始者であり、自己実現や自己肯定感などの概念を提唱したアメリカの心理学者です。

  • アルバート・バンデューラ (Albert Bandura) : 社会認知理論やモデリング効果などを提唱したカナダ出身の心理学者です。

  • レオン・フェスティンガー (Leon Festinger) : 認知的不協和や社会的比較などを提唱したアメリカの社会心理学者です。

  • アルフレッド・アドラー (Alfred Adler) : 個人心理学や目的論などを提唱したオーストリア出身の心理学者です。

  • カール・ユング (Carl Jung) : 分析心理学やタイプ論などを提唱したスイス出身の心理学者です。

  • ハロルド・ケリー (Harold Kelley) : 属性推論や相互作用過程分析などを提唱したアメリカの社会心理学者です。

  • ダニエル・カーネマン (Daniel Kahneman) : 行動経済学や判断と意思決定に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したイスラエル出身の心理学者です。

ジークムント・フロイト

ジークムント・フロイトは、オーストリアの心理学者で、精神分析学の創始者として知られています。彼は、人間の心理や行動に影響を与える無意識の存在や働きを明らかにし、夢分析や自由連想法などの独自の方法論を開発しました。彼はまた、心理的発達理論やエディプスコンプレックスなどの概念を提唱し、心理学や精神医学だけでなく、人文科学や文化にも大きな影響を与えました。

フロイトは、1856年にオーストリア帝国のモラヴィア地方にあるフライベルク(現チェコ領)でユダヤ人の家庭に生まれました。彼はウィーン大学で医学を学び、神経病理学者としてキャリアを始めました。1885年にはパリに留学し、ヒステリーの研究で有名なシャルコー教授に師事しました。1886年にウィーンに戻り、精神科医として開業しました。1895年には友人のブロイエルと共著で「ヒステリー研究」を発表し、精神分析の基礎を築きました。

フロイトは、患者の話を聞くことで、その背景にある無意識的な欲望や抑圧された記憶を探ろうとしました。彼は、患者が思いつくままに話す自由連想法や、夢の中で象徴的に表現される願望を解釈する夢分析法などを用いました。彼はまた、患者が分析家に対して感じる感情が、過去の親や恋人などに対する感情の投影であるという転移現象を発見しました。

フロイトは、人間の心理発達において性的な要素が重要な役割を果たすと考えました。彼は、幼児期から青年期までの5つの段階(口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期)を設定し、それぞれに特徴的な性的欲求や葛藤があると主張しました。特に有名なのは男根期(3歳から6歳)におけるエディプスコンプレックスです。これは、男児が母親に対して性的欲求を抱き、父親をライバルとして敵視するという心理状態です。女児も同様にエレクトラコンプレックスと呼ばれる状態に陥るとされます。

フロイトは、人間の心理構造をイド(本能的欲求)、自我(現実的調整)、超自我(道徳的規範)の3つに分けました。イドは無意識であり、快楽原則に従って即時的な欲求充足を求めます。自我は意識的であり、現実原則に従って社会的な制約や困難な状況に対処します。超自我は部分的に無意識であり、理想原則に従って良心や価値観を形成します。これらの3つの要素は、常に葛藤や調和を繰り返しながら人間の心理や行動を決定づけます。

フロイトは、自分の理論を宗教や文化にも適用しようとしました。彼は、宗教は無意識的な欲望や不安を抑制するための幻想であり、文化は人間の本能的な衝動と社会的な秩序との間の妥協であると考えました。彼は、モーセやオイディプスなどの神話的な人物や物語にも精神分析的な解釈を与えました。彼はまた、自分自身の夢や幼少期の思い出にも精神分析を適用し、自己分析を行いました。

フロイトは、多くの弟子や追随者を育てましたが、彼らとの間にも意見の相違や対立が生じました。特に有名なのは、カール・ユングとの決別です。ユングは、フロイトの性的な理論に反対し、集合的無意識や元型という概念を提唱しました。フロイトは、ユングを自分の後継者として期待していたため、この決別に深く傷つきました。

フロイトは、ナチスの台頭によってウィーンから亡命することになりました。彼は1938年にイギリスに移住し、翌年に口腔癌で死去しました。彼は死ぬまで精神分析を続け、多くの著作を残しました。その中でも代表的なものは、「夢判断」、「精神分析入門」、「文明とその不満」などです。これらの著作は、現代の心理学や精神医学だけでなく、哲学や文学などにも大きな影響を与えています。

ジャン・ピアジェ

ジャン・ピアジェは、スイスの心理学者で、子どもの認知発達に関する理論を提唱したことで有名です。彼の認知発達理論は、子どもの思考が4つの段階を経て発達するというもので、それぞれ感覚運動期、前操作期、具体的操作期、形式的操作期と呼ばれます。各段階では、子どもは自分の持つ認知的な枠組み(シェーマ)を環境との相互作用によって変化させていきます。ピアジェは、自分の子どもたちの発達を観察することで、この理論を構築しました。

ピアジェは、1896年にスイスのヌーシャテルに生まれました。10歳のときに白スズメに関する論文を発表し、生物学者としての才能を示しました。1918年にヌーシャテル大学で生物学の博士号を取得した後、心理学に興味を持ちました。ローザンヌ大学やチューリッヒ大学、パリ大学で心理学を学び、ジャン・ジャック・ルソー研究所やジュネーヴ大学などで教授や研究主任として活躍しました。1955年には発生的認識論国際センターを設立し、多くの研究者と共同研究を行いました。1972年にはエラスムス賞を受賞しました。1980年にジュネーヴで亡くなりました。

ピアジェは、生涯で50冊以上の書籍と500本以上の論文を執筆しました。その中でも代表的なものは、「知能の誕生」、「発生的認識論序說」、「児童心理学」などです。これらの書籍では、子どもの思考や言語、道徳判断、数や量の概念などについて詳しく分析しています。ピアジェは、子どもの思考が成人とは異なることを示し、子どもの視点から世界を理解することの重要性を訴えました。

ピアジェの理論は、心理学だけでなく教育や哲学などにも大きな影響を与えました。彼は、「子どもは小さな科学者だ」と言っていました。子どもは自分自身で世界について問いかけていくことで知識や思考力を育てていくのです。ピアジェは、そのような子どもたちの発達過程を明らかにした偉大な心理学者だったと言えるでしょう。

バラス・スキナー

バラス・スキナーは、アメリカの心理学者で、行動分析学の創始者として知られています。彼は、人間や動物の行動をレスポンデントとオペラントに分類し、それぞれに対応する条件づけの原理を明らかにしました。レスポンデントは、反射的な行動で、刺激と反応の関係によって学習されます。オペラントは、自発的な行動で、行動と結果の関係によって学習されます。オペラント条件づけでは、行動の結果に応じて強化や弱化が起こり、行動の頻度や強度が変化します。スキナーは、この原理を実証するために、自ら発明したスキナー箱という装置を用いて、ネズミや鳩などの動物を実験対象としました。

スキナーは、行動分析学を教育や社会に応用することにも興味を持ちました。彼は、プログラム学習という方法を提案し、ティーチング・マシンという機器を開発しました。これは、生徒が自分のペースで学習できるように、小さな単元に分けた教材を提示し、正しい回答に対して即時的なフィードバックを与えるものです。また、彼は小説家としても活動し、「心理学的ユートピア」という作品を書きました。これは、オペラント条件づけに基づいた理想的な社会を描いたもので、自由意志や精神などの概念を批判的に扱っています。

スキナーは、自分の立場を徹底的行動主義と呼びました。彼は、人間の行動は遺伝的・環境的な経歴によって支配されると考えました。彼は、自由意志や内的過程などを行動の原因とすることを否定しましたが、それらが存在しないということではありませんでした。彼は、それらが随伴性の結果として生じる状態であると考えました。

スキナーは、20世紀において非常に影響力の大きかった心理学者の一人です。彼の業績は、心理学や精神医学だけでなく、教育や文化にも大きな影響を与えました。現在でも、彼の理論に基づいた実践理論は応用行動分析として発展し、さまざまな分野で活用されています。

カール・ロジャース

カール・ロジャーズは、アメリカの心理学者で、人間性心理学や来談者中心療法の創始者として知られています。彼は、人間には自己実現の可能性があり、そのためには自分自身を受容し、他者からも受容される必要があると考えました。彼は、カウンセラーがクライエントに対して無条件の肯定的関心、共感的理解、一致感を示すことで、クライエントが自分自身の内なる経験に気づき、成長することを促すという方法論を提唱しました。彼はまた、教育や社会にもパーソンセンタードアプローチを応用しようとしました。

ロジャーズは、1902年にイリノイ州オークパークに生まれました。彼は厳格なプロテスタントの家庭で育ち、当初は牧師を目指していましたが、後に心理学に転向しました。コロンビア大学で臨床心理学を学び、ニューヨーク児童相談所やロチェスター児童虐待防止協会で臨床に携わりました。その中で、従来の指示的なカウンセリングに疑問を感じ、自らの理論的枠組みを形成し始めました。オハイオ州立大学やシカゴ大学などで教授職を得て、教育と研究に従事しました。西部行動科学研究所に移籍後、人間研究センターを設立し、エンカウンターグループの実践や研究にも力を注ぎました。1987年に死去しました。

ロジャーズの主な著作には、「クライアント中心療法」、「自己実現の道」、「心理学的ユートピア」などがあります。これらの著作では、彼の理論や実践のエッセンスが語られています。ロジャーズは、人間の本質や可能性を信頼し、尊重することの重要性を訴えました。彼は、「私たちは私たち自身よりももっと多くのものである」と言っています。

アルバート・バンデューラ

アルバート・バンデューラとは、自己効力感や社会的学習理論で知られるカナダ出身の心理学者です。彼は、人間や動物の行動を観察や模倣によって学習するという社会的学習理論を提唱し、ボボ人形実験などでその原理を実証しました。また、自己効力感とは、自分が目標に向かって行動できると信じる感覚であると定義し、その高め方や効果についても研究しました。彼の理論は、心理学や教育学などに大きな影響を与えました。

バンデューラは、1925年にカナダのアルバータ州に東欧から移民してきた両親のもとに生まれました。彼はブリティッシュコロンビア大学で心理学を学び、1952年にアイオワ大学で臨床心理学の博士号を取得しました。その後、スタンフォード大学で教授職を得て、教育と研究に従事しました。2015年にはアメリカ国家科学賞を受賞しました。2021年7月26日に死去しました。

バンデューラの主な著作には、「社会的学習理論の新展開」、「激動社会の中の自己効力」などがあります。これらの著作では、彼の理論や実践のエッセンスが語られています。バンデューラは、人間の行動や発達において、個人的要因、行動要因、環境要因が相互に影響しあうという相互決定論を提唱しました。彼はまた、人間が自分自身を観察し評価する能力を持つと考えました。この能力を人的機関と呼びました。

バンデューラの理論は、心理学だけでなく教育や社会にも応用されています。例えば、プログラム学習やティーチング・マシンは、彼の社会的学習理論に基づいて開発されたものです。また、自己効力感は、仕事や勉強などで成功するための重要な要素として認識されています。

レオン・フェスティンガー

レオン・フェスティンガーは、認知的不協和や社会的比較理論で知られるアメリカの心理学者です。彼は、人間が自分の信念や認知と矛盾する事実に遭遇すると、不快感や居心地の悪さを感じるという認知的不協和理論を提唱し、カルト教団の研究などでそのメカニズムを解明しました。また、人間が自分自身を他者と比較して自己評価を行うという社会的比較理論も提唱しました。彼の理論は、心理学や社会学などに大きな影響を与えました。

フェスティンガーは、1919年にニューヨークのロシア系ユダヤ人の移民の家庭に生まれました。1939年にニューヨーク市立大学を卒業し、アイオワ大学では「社会心理学の父」と呼ばれるクルト・レヴィンから学び、1942年に児童心理学の博士号を取得しました。第二次世界大戦に従軍した後は、マサチューセッツ工科大学やスタンフォード大学などで教授職を務めました。1989年に死去しました。

フェスティンガーの主な著作には、「予言がはずれるとき」、「認知的不協和の理論」、「人類の遺産」などがあります。これらの著作では、彼の理論や方法の曖昧さを許容する姿勢や発見的価値を重視する態度が表れています。フェスティンガーは、心理学においては数学的や測定論的な厳密さにこだわるよりも、現実に即した実験や観察を行うことが重要だと主張しました。

アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家で、現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した一人です。フロイトやユングと並んで心理学の三大巨匠と呼ばれますが、彼はフロイトの精神分析学とは異なる独自の「個人心理学」を創始しました。彼の理論は、人間の行動や発達において、個人的要因、行動要因、環境要因が相互に影響しあうという相互決定論や、人間が行動する際には、その目的や意味が重要であるという目的論、そして共同体感覚という概念を提唱しました。

アドラーは1870年にウィーンの郊外でユダヤ系の中産階級の家庭に生まれました。幼い頃は病弱で声帯のけいれんやくる病に苦しみましたが、医師を志してウィーン大学で医学を学びました。卒業後はウィーンで眼科医や内科医として診療所を開きました。1902年にフロイトから招かれて水曜日の研究会に参加しましたが、1911年に意見の違いからフロイトと決別しました。その後、自由精神分析協会(後に個人心理学会)を設立しました。第一次世界大戦では軍医として従軍しました。戦後は児童相談所を設立したり、教育や社会に関する講演や著作活動を行いました。1926年からはアメリカにも招かれて講演旅行を行いました。1935年にオーストリアでファシズムが台頭したことをきっかけにアメリカに移住しました。1937年にスコットランドで講演中に心臓発作で死去しました。

アドラーの主な著作には、「器官劣等性の研究」、「神経質について」、「人生の意味の心理学」などがあります。これらの著作では、彼の理論や方法のエッセンスが語られています。アドラーは、「嫌われる勇気」というベストセラー本で再び注目されるようになりましたが、彼の思想は今でも多くの人々に影響を与えています。

カール・ユング

カール・ユングは、スイスの精神科医・心理学者で、分析心理学という独自の心理学を創始した人物です。フロイトやアドラーと並んで心理学の三大巨匠と呼ばれますが、彼はフロイトの精神分析学とは異なる視点から無意識や人格について研究しました。彼の理論は、人間の心の構造や機能、発達や成熟、個人と社会の関係、宗教や文化など多岐にわたります。

ユングは1875年にスイスのケスヴィルで牧師の家に生まれました。幼少期から内面的な世界に興味を持ち、神話や伝説、歴史や哲学などを読みふけりました。ウィーン大学で医学を学んだ後、チューリッヒ大学の精神科クリニックでブロイラーの助手として働きました。1902年にフロイトと出会い、精神分析学に傾倒しましたが、1913年に無意識に関する見解の相違から決別しました。その後、自ら分析心理学という名称を用いて独自の理論を展開しました。第一次世界大戦後は世界各地を旅行し、東洋思想や原始文化などにも触れました。1933年にチューリッヒ大学の教授となり、1944年に退官しました。1961年にチューリッヒで死去しました。

ユングは、「意識」と「無意識」という二つの領域から人間の心を捉えようとしました。「意識」は自分が知っていることやコントロールできることを表す領域で、「無意識」は自分が知らないことやコントロールできないことを表す領域です。「無意識」はさらに「個人的無意識」と「集合的無意識」という二つの層に分けられます。「個人的無意識」は個人の経験や記憶が影響する層で、「集合的無意識」は人類共通の経験や記憶が影響する層です。

「集合的無意識」には「元型」と呼ばれる普遍的なイメージやパターンが存在します。「元型」は神話や夢、芸術などに表現されます。「元型」には「母親」「父親」「子供」「英雄」「賢者」「影」「自己」などがあります。ユングは、「アニマ」と「アニムス」という元型も提唱しました。「アニマ」は男性の無意識にある女性像で、「アニムス」は女性の無意識にある男性像です。これらの元型は対立するものではなく、補完するものです。

ユングは、人間が自己実現するためには、「意識」と「無意識」との調和が必要であると考えました。そのためには、「自己」という元型に近づくことが重要です。「自己」は人間の心の中心であり、全体性を表します。ユングは、「自己」に近づく過程を「個性化」と呼びました。「個性化」は一生涯にわたる課題であり、自分の内面と向き合い、無意識のメッセージを理解し、自分の本質を発見することです。ユングは、夢分析や活性想像法などの方法を用いて、無意識と対話することを勧めました。

ユングの主な著作には、「心理学的類型」、「集合的無意識」、「元型論」、「赤い書」などがあります。これらの著作では、彼の理論や方法のエッセンスが語られています。ユングは、東洋思想や原始文化にも関心を持ち、それらとの対話を通して自らの理論を深めました。ユングは、人間の心の多様性や深遠さを探求し続けた偉大な心理学者でした。

ハロルド・ケリー

ハロルド・ケリーは、アメリカの社会心理学者で、集団内の相互依存や人間関係の理論を発展させた人物です。彼は1921年にアイダホ州で生まれ、ミネソタ大学で心理学を学びました。その後、マサチューセッツ工科大学やエール大学で教え、1957年からミネソタ大学の教授となりました。1961年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校に移り、1986年に退職するまで教鞭をとりました。

ケリーは、レヴィンやホヴランドの影響を受けて、小集団コミュニケーションや態度変容の実験的研究を行いました。彼は、経済学や社会学から概念を借用し、集団内の相互作用や影響力に関する決定論的な理論を展開しました。1959年にはシボーと共著で「集団社会心理学」という本を出版し、集団内の役割分担や規範形成、リーダーシップなどを分析しました。

また、人間関係における因果帰属や期待などの認知的要因にも注目しました。1967年には「人間関係の社会心理学」という本を出版し、人間関係の形成や維持、解消などに関する理論を提唱しました。1978年には再びシボーと共著で「相互依存の理論」という本を出版し、集団内の相互依存の度合いや種類によって集団の構造や機能が変化するという考え方を示しました。

ケリーは、社会心理学の分野において多くの貢献をしただけでなく、多くの弟子や後進も育てました。彼は1983年にアメリカ心理学会から功労賞を受賞しました。ケリーは、集団内の相互依存や人間関係に関する先駆的な研究者であり、今でも多くの人々に影響を与えています。

ダニエル・カーネマン

ダニエル・カーネマンは、イスラエル・アメリカの心理学者で、判断や意思決定の心理学や行動経済学における先駆者です。2002年には、心理学的研究から得られた洞察を経済学に統合した功績により、ノーベル経済学賞を受賞しました。

カーネマンは1934年にイスラエルのテルアビブで生まれましたが、幼少期をフランスのパリで過ごしました。第二次世界大戦中はナチスの迫害を逃れるために隠れて暮らしました。戦後はイスラエルに戻り、ヘブライ大学で心理学と数学を学びました。イスラエル軍で心理学部門に勤務した後、カリフォルニア大学バークレー校で博士号(心理学)を取得しました。

カーネマンは、人間が不確実性の下でどのように判断や意思決定を行うかに興味を持ち、実験や調査を通して様々な認知バイアスやヒューリスティック(簡便な判断法則)を発見しました。彼は、特にエイモス・トベルスキーとの共同研究で有名で、彼らはプロスペクト理論という、人間が損得や確率を非線形的に評価することでリスク選好や損失回避などの行動パターンを説明する理論を提唱しました。この理論は、従来の経済学が想定していた合理的な経済主体という仮定に挑戦し、行動経済学という新しい分野の開拓に貢献しました。

カーネマンはまた、人間の思考過程についても独自のモデルを提案しました。彼は、人間が二つのシステム(システム1とシステム2)を使って思考するという考え方を導入しました。システム1は速くて直感的で感情的な思考で、ヒューリスティックやバイアスに影響されやすいです。システム2は遅くて論理的で努力が必要な思考で、計算や推論などの複雑なタスクを処理します。彼は、これらの二つのシステムがどのように相互作用して判断や意思決定に影響するかを詳細に分析しました。

カーネマンはさらに、人間の幸福や満足度に関する研究も行いました。彼は、人間が自分の人生や経験についてどのように評価するかについて、記憶と現実という二つの視点から考察しました。彼は、ピーク・エンド法則という、人間が記憶する際には経験全体ではなくピーク時と終了時の感情が重要であるという法則を提唱しました。また、実際の経験の質を測るために、経験サンプリング法という、人間が日常生活の中でどのような感情を抱いているかを定期的に記録する方法を開発しました。

カーネマンの主な著作には、「ファスト&スロー」、「ダニエル・カーネマン心理と経済を語る」、「ノーベル賞記念講演 限定合理性の地図」などがあります。これらの著作では、彼の理論や方法のエッセンスが語られています。カーネマンは、心理学や経済学だけでなく、社会科学や人文科学にも多大な影響を与えた一人です。

関連記事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?