20230610 いま、何「力」を育ててる?
最近、かなり体調がよい。体調がよいとき、本当に「顔色がよい」とはこんな色なんだろうなと思った。例えば、唇の色がよい。それから、頬が自然に赤らんでいてよい。赤、ではなく、ハムみたいなピンクだ。赤すぎるのもよくない。
愛知に来て、仕事が変わって、正直に言ってかなり恵まれている。仕事は楽しいのに、ほとんど定時に帰ることができる。それに、仕事の内容も今まで考えてきたことをしっかり実践・観察することができる。ちょっと、幸せすぎる。
うちの学校の子どもたちは、自分にかかわりのある、日本以外の国に愛着のある子が多い気がする。そんなふうに思える子どもを、この学校が育てた側面もきっとある。
休み時間(このあたりでは「放課」という)には、ポルトガル語でしゃべるグループ、ベトナム語グループ、あんたらネパールとパキスタンですけど、それ何語ですかグループなど、日本語以外の言語が飛び交っている。
以前、愛知県全体の外国人児童に関する研修で、別の自治体の先生が「放課になると、ブラジルの子はそれだけでつるんじゃって、日本語がうまくならない気がするんですよね~」とおっしゃっていた。
どっちがいいか意見をもっていなかったので、ははあ、と言ったきりだったけれど、うちの学校ではもはやそれを制限できない。
ポルトガル語グループがいくつもあって、さらにそれ以外の言語もガンガン使われている。うちは全体の人数こそ少ないものの、約半数が外国にルーツをもつ児童。他の学校とはちょっとやっていることが違うな、と思う。
もちろん、それだけじゃ困るけれど、私は授業中に別言語を使ってもいいかな、と思っている。日本語で、というよりは、自分の言語で、思考できるようになってほしい。
でも、ポルトガル語で悪口を言うのはやめてほしい。指導できないだろ。
同僚の先生と「この子たちって取り出す必要ある?」という話をした。
日本語の取り出し教室では、初歩的な日本語を学習する子もいれば、「教室での学習についていけないので」現学年の国語・算数、あるいはより下の学年の内容を復習する。
目的が「教室での学習についていく」なのであれば、この子はもうとっくに教室でも大丈夫なのでは? という児童も多い。
しかし、うちの学校は「基本的に、外国ルーツの児童は日本語教室に行く」ようなスタンスらしい。
そうなると、もう十分「教室での学習についていく」ことができる児童に、私たちは何を教えたらよいのだろう? または、この学力でも「ついていけない」のであれば、何か学力や日本語力とは別の「ついていけなさ」があるのだろうか?
一方で、この学校全体の学力レベルがそんなに高くない、ということもある。正直、以前の学校より学力ということを求められなくなり、少し安堵してしまっている自分がいる。最低だ、俺って…(学力のシンジ君)。
自分の文章でしか自分を救えない時がある。それってすごく落ちているときだから、今はそんなことないのだけれど、書けるうちに自分の文章を残して、自分を救えるようにしておかなければと思う。
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