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「ひたすら登りつづける人生なんて想像できるかい?」

一体全体いつになったら人生の展望が開けてくるのだろう?

と疑わしくなるぐらい、自分の先が見えない。


10代の頃には将来が無限にあった。期待する、といちいち表現するまでもなく、自分の向かう先は未知数で、可能性に満ちていた。

20代の頃も自分の若さに自信があった。未熟ではあっても、どこかできっと才能を発揮できる。遠くない将来に、きっと。根拠なくそう思っていた。

でも30代になって、

平凡で特徴のない自分を意識し始め、気づけば少しずつ追い詰められるようになった。今頑張らなければ一生「芽」が出ないかも……でも、何を?どうやって?

先の見えない暗い山道を手探りで歩いているかのような、不安。焦燥感。このままどこにも辿り着けないんじゃないか、と。

いつしか自分が生きていることや、身の回りの生活そのものが尊いと思えなくなってしまった。


 子供の頃、よくわからない言葉というのがいくつもあった。向上心っていうのもその一つだ。
 なぜ丘の上に行くことがいいことなのか、わからない。丘の上に家があって、そこまで登ってゆくと窓から見る景色がすごくいいというのならわかる。でも、だからといって、ひたすら登りつづける人生なんて想像できるかい?生きていくってのは、上から眺めたり、下から見上げたり、友達と海に行ったり、犬を連れて散歩に出たり、好きな誰かと夢見心地で暮らしたり、花を育てたり、そういうこと全部だろう?

-出典:きみが住む星 (角川文庫) / 池澤夏樹 [72ページ] より


五体満足で健康であること、

大切なパートナーと、猫たちと一緒に仲良く楽しく暮らせていること、

毎食何を食べようか考えられること、

読みたい本を読んで見たいドラマを見てアマゾンで買い物できること、

話すべき内容と話す友達がいること、


私の周りにはそういう日常の幸福がたくさんある。人生の展望とか仕事での成功とかが、全てを決定づける鍵ではないのかもしれない。

気負って、自分が絶対に何かを成し遂げて満足せねばならないと焦って、山を着実に登らなければいけないと強迫観念に駆られるのは、もったいないことなのかもしれない。

もし何かを成し遂げたいのなら、その成功自体のためではなく「丘の上の家から見られる景色」を見るために歩いていきたい。


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