想望のキノコ汁
秋には「えもいわれぬ味ですな」と言いたい。私にそんな願望を植え付けたのは、川上弘美氏の『センセイの鞄』という小説である。前世紀末(こう書くと大昔に思えるけど、実際は1999~2000年)に書かれたものながら、2000年代に映像化や漫画化もされ、今でも割と知られた作品だろう。
栃木の山奥へ
語り手であるアラフォー独身のツキコと、彼女の高校時代の恩師で今は独居の日々を過ごしている老紳士「センセイ」との、友情も恋情も混淆した交流を描いた、というのが、だいぶ安直な同作の紹介と言えるだろう。しかし、毎度のように繰り広げられる飲酒シーンの多彩さは、ツキコとセンセイの交流とはまた違った角度から私を惹き付けもする。
味のある居酒屋、8の付く日に立つ「八の市」、温泉のある島など、2人のデート先はそれ自体が魅力的でもあるし、美酒と美味なるものに溢れている。とりわけ私が心惹かれるのは、ある秋の日に2人が出かけた一件である。
行きつけの居酒屋での話題から、そこの店主に連れられる形で、2人は栃木にキノコ狩に行くことになる。店主と瓜二つの従兄弟も加えた4人は山奥に分け入り、その山でよく採れるというヒトヨモダシ(「モダシ」とはナラタケのことらしい)を始めとする種々のキノコを採るのだが、それらを持ち帰るなんてことはせず、その場で軽く炒め、鍋に入れて味噌を溶いて煮込み、キノコ汁を作るのだ。
この、何種類ものキノコのエキスが混濁したキノコ汁の味はどんなものか、気になって仕方がない。もちろん、近所のスーパーでもキノコはいろいろ売られているけど、やっぱり現地で取れたてのものを食べるのは違うだろう。
このキノコ汁についてセンセイが形容した台詞が「えもいわれぬ、馥郁たる香ですな」(文春文庫『センセイの鞄』p.76)である。さすがにそこまで勿体ぶると私の歳では厭味だろうから、汁を味わって「えもいわれぬ味ですな」くらいがいい。
穏やかな狂乱
もう少し、センセイ達のキノコ狩の顛末について語ろう。
キノコ汁を食べながらセンセイは、自分の逃げた妻が自らワライタケを食べた時の話を披露する。その後、酒を飲みながら、店主たちがつまみとして今度は干しキノコを出してくるのだが、その材料がベニテングダケだという話が出てくる辺りから、場の雰囲気は単なる宴会から変容していく。
センセイの元妻が食べたワライタケの話と、今しがた食べ終わったキノコ汁と、本当の材料がいまいち不明な干しキノコ。似過ぎていて、どちらがどちらか分からない店主と従兄弟。センセイが本で読んだという、ベニテングダケにまつわる奇妙な話。
キノコの成分と酒の酔いと、山奥の空気と談笑と、過去と現在や虚実すら混じりあった、穏やかな狂乱とでも言うべき状態は小一時間続き、このエピソードは幕となる。解説で木田元氏が作者の言葉として引用しているように、確かに「時間が真っすぐに流れない」(同p.272)在り様が川上氏らしい一篇だと思う。
今年はキノコが豊作らしいけど、冒頭に述べた願望は、諸般の事情により今回も果たされそうにない。しかしいつかの秋には、センセイ達のように深山に分け入り、採った茸を入れた鍋を囲みたい。そして件の台詞を言ってみたい。言えば場が和むついでに、川上作品の隠れ読者を発見できるかもしれないし。
そのためには、まずはキノコ採りの名人を見つける必要があるだろう。キノコを採りにいったために起きた事故も今年は多いようだし、作中の店主のような案内人は是非とも確保したい。関東周辺だと、どの辺りに行けば出会えるだろう。やっぱり「澤乃井」でも持って、栃木を訪ねるところから始めるべきだろうか。
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