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[短編小説] ココロの置き場所
大きくて、暖かな何かが、ふわり、と私を包み込む。
忘れていた衝動が、体の奥からふつふつと湧き上がり、私の血管、髪の毛、筋肉、骨に至るまで、マッハで駆け巡る。
体の芯から、何かが震え出し、私の内側から外側に向かって振動する。
この中は、なんて暖かくて、気持ちがいいのだろう。
思考回路がだんだんと麻痺していくのが、自分でもわかる。
目も、口も、毛穴も。
体中の穴という穴が半開きになり、そこから黒くてどろりとしたものが、ゆっくりと流れ落ちる。
今まで私の皮膚の下で、どろどろにたまっていた行き場を失った膿のようなものが、とろり、と自分の外へ流れ出ていくような感覚。
大きな波が押し寄せて、引いていくように、強烈な快感と、虚無感が交互にやってきて、辿り着いたことのない場所へ、未知の世界へと押し流される。
突然、胸の奥で、ずくん、と何かが脈打つ。
・・ハ コ・・・イル
消え入りそうな声が、だんだんとボリュームをあげる。
ワタシハ、ココニイル
暖かくて、やわらかくて、これ以上の快楽はない世界に漂いながら、自分の心の声に耳を傾ける。
ワタシハ、ココニイル
ワタシハ、ココニイル
ワタシハ、ココニイル
うん、わかったよ。
というか、わかっていたよ。
もう大丈夫。
あなたを無視したりはしないから。
いつのまにか、真っ黒などろどろは消えて、あとにはぽっかりと開いた無数の穴が、そこにはあった。
「さき?」
耳の奥に、優しく忍び込んでくる声に、ゆっくりと目を開ける。
心配そうに覗き込む雄太の顔が、目に飛び込んでくる。
「大丈夫か?体が、震えてる」
そう言うと、後ろからぎゅっと私を抱き寄せ、全身で包み込むように私を抱きしめる。
ああ。
あの暖かくて、柔らかくて、大きな感触は、雄太の腕だったのか。
ちょうど顔のすぐ下、肩のあたりにまわされた雄太の腕に、ゆっくりと頬を寄せて、大きく息を吐く。
体の震えは徐々に収まり、雄太の腕に、自分の腕を絡ませるようにして抱きしめ返す。
「うん。大丈夫。ありがとうね」
ぽつん、と水滴が一粒、雄太のワイシャツに落ちる。
「さき?泣いてるの?」
後ろから覗き込むようにして、首をひねる雄太の横顔が、目の端に映る。視線を合わせないまま、私はつぶやく。
「うん。うれしいの」
ぽたり、ぽたり、と、涙がとめどなく流れ出し、雄太の袖にいくつもの染みを落とした。
それ以上、雄太は何も言わず、ただ私を抱きしめる腕に、やさしく力を込めた。
もう、大丈夫。
私には、この腕がある。
いつでも、自分をさらけ出せる場所が、ある。
「コーヒー、いれてくる」
私が落ち着いたのを見計らって、雄太が名残惜しそうに腕を解く。
キッチンへ向かう雄太の足音を聴きながらゆっくり目を瞑ると、ふくらはぎに柔らかい毛の感触。
真っ黒なふわふわの毛の塊をそっと抱き上げ、膝に乗せると、喉元を人差し指でゆっくりなぜる。
気持ちよさそうに顎を突き出し、フガフガと鼻息を荒くする黒猫は、時折耳をピクピクと動かし、雄太が台所でたてる物音に耳をそばだてている。
「ダイジョウブ。ワタシハ、ココニイル」
手の動きに合わせて、魔法の呪文のように、そう呟くと、くうたを抱き上げ、雄太のいるキッチンへとむかった。
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