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Uniswap-24歳無職が3000億円を集めるまで(第4話)

このnoteは第4話です。
第1話はこちら、第2話はこちら、第3話はこちらからご覧ください。

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第3話ではプロジェクトの最初の資金提供者の登場から、HaydenさんがUniswapの一般リリースを決意するシーンをお伝えしました。
第4話ではとうとうUniswapのプレα版が登場します。

NYC Meshでの取材をキッカケに旧友と再開

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2017年の12月、Haydenさんは友人のKarlさんと共に、ニューヨークのMesh というサービスが主催するイベントに参加しました。
(Meshは、自宅のインターネット共有サービスです。同サービスは暗号通貨との相性が良いとに思われていたものの、サービス創業者のBrianさんが導入に否定的なコメントを出しており、これにHaydenさんは興味を持ったようです。)

すると、Karlさんが参加しているのをCoindeskの記者が見つけ(この頃同氏はEthereum界隈の著名人になっていました)、Meshnetと仮想通貨間の連携についてコメントを求められました。Karlさんは回答を拒んだものの、偶然横にいたHaydenさんが代わりに答えることになりました。自身もほとんど理解してもいないLayer2のソリューションについて、無駄話をしたところ、その内容が記事に掲載されました。

https://www.coindesk.com/plan-b-ethereum-innovators-reviving-fight-net-neutrality

すると偶然この記事を読んだ友人のCallillが連絡をくれました。彼とは6年間会っていなかったそうです。彼は、マイクロソフト、Googleでデザイナーとして働いた後、近年はEthereumにはまりこんでいたようです。

Uniswap プレアルファ版

2018年1月後半、ほぼ全てのスマートコントラクトの問題が解決されました。通貨の交換契約は、それぞれの流動性プロバイダの担保と手数料を元に内部的に流動性トークンを利用することで、複数の流動性プロバイダ(Liquidity Provider)を利用できるようになりました。

製造契約(A factory contract)によって、誰もがUniswapにトークンの種類を追加できるようになりました。全てのトークンをETHに紐付け、媒介物として利用することで1回のトランザクションでどんな仮想通貨であっても交換出来るようになりました。
(誰でも、どんな通貨でも"上場"のようなことが出来るようになったのは、革新的な仕組みですね!)

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Haydenさんは、Uniswapのスマートコントラクトを更新した直後にCallilさんに再度連絡し、プロジェクトについて長時間議論しました。Uniswapは、コントラクトの開発が進む一方でフロントエンドの開発が遅れていましたが、Callilさんがその部分を手伝ってくれることになりました。Callilさんは自身の他のプロジェクトを進めている合間に、Haydenさんが「とてつもなく酷い出来」と自嘲するReactで書かれたUniswapのデザインをとても格好良いものに変えてくれました。

この数週間後、(Haydenさん曰く)彼の書いたReactのコードが保持しきれないほど悪いことが明確になりました。運良くも彼は、大学時代の友人であるUcielさんと再度連絡を取り合う機会がありました。Ucielさんはちょうど(Haydenさんの共通の友人であるKarlのアドバイスで入学した)コーディングブートキャンプを修了したところでした。

■コーディングを学ぶべきだーーKarl Floersch


Ucielは、履歴書や経歴に箔が付けられるかもしれないということで、Uniswapのフロントエンドのコードのリファクタリング(プログラムの動きを変えないまま、ソースコードを書き換えること)をしてくれることになりました。
そして、2018年3月、3人でUniswapのすべての機能を包含したデモを作り上げました。もちろん、自分がホスティングしたものです。
これが実際のサイトです。

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(Uniswap.orgから引用)

Vitalikさんとの面会


2018年4月になりました。解雇され、無職の状態で10ヶ月が経ちました。
その頃、仮想通貨価格は75%下落しており、急激にHaydenさんの個人資産は減少していました。こんな状況下でしたが「人生一度きり」と言い聞かせ、同氏は韓国のソウル行きのチケットを直前購入しました。24年間の彼の人生の中で北アメリカを離れるのは初めてのことでした。半ば個人旅行で、Deconomy2018の開催と同時のタイミングでした。

チケットを買わずに会場に入ろうとしましたが、当然強く断られてしまいました。しかし、友人のKarlさんがちょうどEthereum財団の他のメンバーとともに会場入りするところで、連れて行ってくれ、Vitalikさん(Ethereumを産んだ天才開発者)に私を紹介してくれました。実はKarlさんは過去VitalikさんとUniswapについてを話をしたことがあったようです。会話は、こんな感じでした。
Karl:彼は私の友達のHaydenで、Uniswapの開発者なんだ!
Vitalik:会えて嬉しいよ。Uniswapはオープンソースなの?
Hayden:もちろんです。
Vitalik:URLを教えて!
Hayden:https://github.com/haydenadams/uniswap
 Vitalik:(スマートフォンで私のスマートコントラクトを全て読む)
Vitalik:Vyperで書こうと思ったことあるかい?あと、Ethereum財団の助成金に応募すべきだと思うよ。

Vitalikのコメントに失望するようなことはなく、(Vitalik's ideas had yet to fail me.)ソウルから帰った直後、2週間かけてVyperでコントラクトを書き直しました。Solidityのようにデベロッパーツールはなかったけれど、参考として、CasperFFGの原文を利用することができました。その頃、コアのVyperレポジトリの中で、単純なサンプルコードを除き、唯一見つけることのできたコントラクトでした。

友達を作る

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この頃、Haydenさんの仮想通貨業界での親友は、Karlさんだけでしたが、これが変わろうとしていました。イベント会場から出る直前に、KarlさんはHaydenさんを小さな集まりに呼んでくれました。
そこでHaydenさんは、PhilipさんとDanさんとAndyさんと出会い、友達になりました。素晴らしい人たちと友達になれたというだけではなく、皆Uniswapの成功と将来の方向性検討において、重要な仲間となりました。

第4話はここまで。
Uniswapのリリースに向けて、だんだんと友人が増えていくHaydenさん。
第5話でもイベント参加を通じて、Uniswapに協力してくれる仲間が増えていきます。

第5話は、こちら

※参考文献:Uniswap-history

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