先生と私

先生と私_第18話「オリジナルとは」

  
オリジナルって何でしょうか。

先生 
今日はどうされましたか。

私  
医者が患者に放つ言葉みたいですね。

先生 
こういうスタイルでやるのも悪くはないかと。

   
相手の発言がどこかから借りてきたものにしか聞こえない時があって、本当に頭の中で考えて導き出したオリジナルの言葉なのかなと疑ってしまうことがたまにあるんです。

先生 
スルーしていきなり語り始めましたね。・・・では今日のテーマは「オリジナル」にしましょう。

私  
はい。

先生 
まず大大大前提ですが「自分の言葉」などというのは存在しません。新しい造語や表現も一見するとオリジナルに思えるかもしれませんが、そもそも型がなければ新しい言葉などは生まれません。又、近年生まれたとされる造語・表現が、実は過去に何人もの人が思いついていたものの、認知されずにいた場合が十分にありえるのです。これについては大丈夫ですか?


はい。

先生
TV番組で料理を食べたり、アート作品を鑑賞したりするタレント達のコメントが誰かの言葉を継ぎ接ぎして作られたつまらないものであることは確かなのですが、しかし「誰の感想を選びつなげるか」という点でそれはそのタレントのオリジナルとも言えるのです。


別に私はタレントのコメントがつまらないとは一言も言ってませんけどなるほど。

先生
他人が使っていたor使っている言葉を使うことがオリジナルではないとするのであれば、リンゴを食べたときの「美味しい」「不味い」という表現もオリジナルではなくなります。「ほどよい酸味が甘味を強く引き立てていまして美味ですわ」と表現してもオリジナルにはなりません。「カブトムシの味だ」と答えればこれはオリジナルになり得るのです。何故ならリンゴをカブトムシの味と感じる人は稀で、そもそもカブトムシを食べたことがある人は圧倒的少数であるからです。


私の説明が不十分でした。私は、言葉による表現力の限界云々について語りたいのではなく、相手の発言内容に対し「その発言は理解した上で述べられているものなのか」と疑う行為について話したかったのです。見下しという愚かな行為であると自分では理解しているつもりです。

先生
なるほど。Soshina君のそれは、やたらと専門用語を使うコンサルや意識高い大学生をどこか嘘くさく感じるそれですね。


はい、仰る通りです。

先生
「この人、所々で難しい言葉使うわりには、教養があるようにみえない、、」みたいな想像が根底にある訳ですね。


はい。

先生
ということは、Soshina君のオリジナルの定義というのは「理解している知識か」どうかということになります。その定義の問題点は、他者の理解力より、自身の想像力に左右されることが大きい点にあります。全て盲信すれば違和感はなくなります。ということは、他者依存であり、その他者の脳内を客観的に認識することが不可能な点でその定義は不完全であると言えます。Soshina君の言うオリジナリティとは所詮その程度の認識だということです。


その程度、ですか。

先生
はい。ショー◯Kのように嘘が上手ければオリジナルに見えてしまうという危険性があるということです。


なるほど。

先生
人間の理解や感覚というのは実に曖昧なものなのですよ。どこからどこまで自分が理解して話しているかなんて本人にさえわからないのですから。



終わり