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自分の名前を、好きになるということ。

私の名前は、「ふくみ」という。漢字を当てるなら、「富久美」になる。

母から聞いたところでは、これは、父方の祖父がつけたのだという。

私は、一族の初孫で、しかも女の子だった。両親は、男の子を望んでいたので、かなりがっかりしたらしい。特に、母は長男の嫁、という立場だったから、跡継ぎをなどと考えていたらしい。

もっとも、私に言わせれば、そういう発想が”はぁ?!”だった。ことあるごとに、「お前が、男の子だったら・・・」と言われ、否定され、したがって、自分を自分で受け容れるのに、何十年もかかった。

今、私が、”家”よりも”個人”に重きを置く考え方をするのは、この時の自分の経験からきている。”人”があっての”家”じゃないか、というわけである。

少し、話がそれた。

先にも言ったように、私の名づけ親は、父方の祖父だ。両親は、私に失望したけれど、祖父にとっては、血のつながった女の子は、私が初めてだったらしくて、とてもかわいがってくれたようだ。

祖父は、私が5歳か6歳の時に、亡くなったので、記憶がほとんどない。唯一覚えているのは、祖父と叔父(父の弟)の3人で、水族館に連れて行ってもらったことだ。ただ、私の記憶にあるのは、水族館の魚たちではなく、レストランで、お子様ランチを食べたことなのだけれど。ゴリラのおもちゃが、オムライス(だった気がする)のてっぺんに乗っていた映像が、頭に時々よみがえってくる。

後年母から、この時、私が買ってもらった新品のビーズのバックを、何処かで落としたのだそうで、私を家まで送ってくれた祖父は、母に「富久美を怒るなよ」と言ってかばった、と、聴かされた。祖父につらく当たられていた母は、「あんまり、じいちゃんが優しいから、随分びっくりした」と、言っていた。

私の祖父母は、比較的早く亡くなっている。だから、名付け親の祖父に、何故、「富久美」とつけたのか、その由来は聴いていない。

しかも、私は、自分の名前が長い間、嫌いだった。「ふくみ」というのは、濁点がつけやすい。それもあってか、私は随分長い間、いじめっ子たちから、「ぶくみ」と呼ばれて、からかわれていたのだ。小学生時代、比較的身体が大きいほうだったこともあるのだろう(中学生になって、そうではなくなるのだが)。「デブでブスで、バカ」という意味から、彼らは、私を濁点つけて、呼び続けた。

香川の田舎町は、きわめて世間が狭い。小学校から中学校まで、ほとんどが同じメンバーだから、私のいじめられネームは、思わぬところから復活したりする。まぁ、同級生は、さすがにそういう呼び方は中学になればしなかったが、年下で悪ガキな連中が、同級生が呼んでいた呼び方を覚えているのだろう。街中で突然、すれ違いざまに、「ぶくみ!」と呼ばれ、あざ笑われることも一度や二度ではなかった(相手は、自転車で走り去るのが常だ)。

両親から性別で否定され続けたことや、いじめられることが多いこともあって、私は、祖父がつけてくれたという名前を、何度呪ったかわからない。何故、濁点がつけやすい名前にしたの? もっと、呼びやすくて、かわいらしい名前は、思いつかなかったの? じいちゃん!!! 

しかも、使ってある漢字が、あまりに現実の自分とかけ離れすぎていて、名前負けしているプレッシャーも強かった。経済的にも決して楽ではないし、美人でもないのに、なんで、こんなすごい字を当てたの? 名前観て、私を観て笑う人もいるんよ!!!!

常に自分を否定する癖が身についてしまっていた若いころの私にとって、自分にかかわるすべてが、嫌だったのだ。

そういう私が、少しずつ変わっていったのは、やはり、家を出て、知らない遠い土地に出たからだろうと思う。人の数だけ、物の見方がある。そんな簡単なことを、やっと、上京して理解したのだった。

自己紹介しても、苗字しか言おうとしない私に、「下の名前は?」と、訊く人が少なくない。それで、しぶしぶ答える。字を聴かれて、またしぶしぶ答えると、相手が、「いい名前じゃないですか!」と、お世辞ではない表情で言ってくれるのだ。その反応に私が、びっくりしていると、「富久美さんなんて、ステキな名前ですよ」と、重ねて言ってくれる。

或る時、職場の人と名前のことで、話をしていた。その時、「私の名前は、父方の祖父がつけたらしいんですよ」と話した。すると、その人が、「おじいちゃん、かわいい孫の幸せを願ってたのね!」と、言う。私が、きょとんとしていると、「おじいちゃん、あなたが、豊かで楽しい人生を送れるように、って、願って付けたのよ! 女の子だから、”美”って入れたんじゃない? きれいな子になれって」

「でも、名前負けしてますよね、これ」と、自嘲気味に応えた気がする。そうしたら、「何言ってんの?! まだ若いんだから、これからでしょうが!」と、背中をどんとたたかれた。

その時。頭の中に、うんうんと笑っている祖父のイメージが浮かんだのだ。覚えている祖父の顔は、固い表情をした写真のものだけれど、頭に浮かんだイメージの祖父は、もう少し穏やかで優しげだった。祖父は、大酒のみで、それが原因で肝臓を悪くして、苦しんで逝ったと、聴いている(私もお酒は好きで、若いころから飲んでいるが、母はそういう私を観るたびに、眉をひそめ、「あんたは、じいちゃんの血を引いとるんやなぁ。女の子の大酒飲みなんて!」と、嘆いていたものだった)。

けれど、そうした苦しみからとっくに彼は、解放されているのだろう。無鉄砲な孫を、ハラハラしながら見守ってくれているのかもしれない。

そうか。じいちゃんは、初孫が、お金に困らないで、健康で長生きをして、きれいな娘になるように、と、願って付けてくれたのか! そう思ったら、今まで意地を張るように、自分の名前を毛嫌いしてきたのが、申し訳ないような、もったいないような気がしてきたのだ。その時、30歳は過ぎていたように思うが、物心ついてからでも20年以上憎んできた感のある名前へのこだわりが、すーーっと、消えていった。

この辺りから、私を名前で呼ぶ人が、少しずつ増えてきたような気がする。私自身は、なかなか人を下の名前で呼ぶのは、慣れないけれど、そうすることが自然なタイプの方もいる。そういう方は、もちろん、私のことも名前で呼ぶのだ。

自分の名前の由来に想いを馳せること。それは、私には、自分を受け容れるための不可欠な作業だったようだ。なかなか奥が深いなぁ、と、改めて、思うのだ。




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