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グルジエフのムーブメンツ

「グルジエフ」もしくは「グルジェフ」という人物について、”神秘思想家”、"神秘主義者"っていうのは怪しくてスルーしそうになったんだけど、アルメニア出身と聞いてがぜん興味が湧いた。

”グルジエフ”から想起されたもの 

名前に聞き覚えはあるけどよく知らず、たまたま見た動画で出てきたグルジエフさん。アルメニア出身と聞いて、名前もグルジア(現:ジョージア)を思い起こさせるからセルゲイ・パラジャーノフ監督の映画のイメージが想起されて、どうにも気になってしまった。

検索で出てきたのは、先ずもってこの方はエニアグラムという性格類型の元になった図形を最初に提唱した人物として有名らしい。エニアグラム、聞いたことはある。やったことないし今まで興味もなかったけど。
"神秘主義者"の面についてはどちらかと言うと避けたい事項なので後でわかればいいかなという感じで、そんなことより先ず気になったワードが、グルジエフが提唱していた、

「ムーブメンツ」というダンス

があるらしい。
そのままスバリなネーミングに、パントマイム的なもの、昔のバウハウスのダンス、あるいは野口体操のようなものが浮かんだ。どんなダンスなんだろう? コンテポラリーダンスの一種? 名前の「ム」と「メン」「ツ」のせいかムメンシャンツのパフォーマンスも浮かんたぞ。
そもそもこの方どの時代の人なの?
それも後でわかるだろうとおいといて、
次に気になったのが、

映画「Meetings with Remarkable Men(注目すべき人々との出会い)」

という、なんとグルジエフとムーブメンツに関連した映画があるらしい。
しかも、えええ? いきなりピーター・ブルック監督?
そうか、昔読んだピーター・ブルックの本で名前が出てきてたのかも?と思うけど覚えていない。

ようつべでみつけたので早速見てしまいました。
ええ、わたくしはなんでも、あまり知らないうちに先入観無しで映画とか見るのが好きなので。

映画「注目すべき人々との出会い」

(Meetings with Remarkable Men)


乾いた土地、中東の。乾いた石がゴロゴロの乾いた谷間。良いですねえ。
冒頭に少年が出てくる感じからして、グルジエフの人生を描いたものらしい。
耐えられるかなと思いつつ、結局早送りもせず全部見てしまった。
結果、このサムネ、そこじゃないだろうwwwって感じですが。

ざっくりとあらすじ:
子供の頃から生きる意味を追求し、考古学に携わりながら中央アジアやエジプトを放浪、遠征、各地で友を得て、別れもあり、後半、カフィリスタンの地から目隠しされてサルムングの僧院へ連れて行かれて、かつてエジプトで出会った旧友のロシアの皇子ルボヴェドスキーに会う。
英国の探検隊の話などが出てくる辺り、時代は1800年代後半から1900年初頭かなと思う。
映画ではグルジエフの一生ではなく途中までで、皇子ルボヴェドスキーのオルマン修道院への旅立ちを見送るというところで終わっている。ルボヴェドスキーの勧めもあってグルジエフはしばらくサルムング教団に留まることになる。
一貫して「道」を探求する思想家そのものですな。”神秘”の面は置いといて。

ヤズィーディー教徒、サルムング教団、ダルヴィッシュ(スーフィーの苦行僧)、アムダリヤ川、カフィリスタンなどなど、いやあ知らないことがいっぱいで。

てか、ダルヴィッシュってそういう意味だったんかーい。

これは1963年に出版された同名の自伝を元に、ピーター・ブルックが監督した1979年の映画なのだそう。タイトルの”注目すべき人々”とは、親や途中で出会う人々や友らのこと。

ルボヴェドスキー役が、テレンス・スタンプという英国の役者で、これまた名前を聞いたことがあるなと思ったら、パゾリーニの映画「テオレマ」で問題の訪問者の役の人だった! 時代が時代だけに、いろいろ繋がっているんだなあ。

で、サルムングの僧院で出てきました、

映画の中のムーブメンツ

いろんなグループがいて、なんで踊っているのかはっきりわからないけど、やっぱり自己探求や真理の追求のためのエクササイズなのでしょうか。

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わりと幾何学的な動きをしていて、現代で言ったらゆるいヴォーギングのような、昔で言ったらギリシャ悲劇のコーラスだけを抜き出してダンスにしたような集団の動き、儀式めいた雰囲気もある。スーフィーのスカートで永遠に回り続けるやつも入ってる。

というかもしかして、ボレロのモーリス・ベジャールとか、ピナ・バウシュとかか、かなりこれの影響受けているのでは?と思ってしまった。実際どうなのかは後で調べるとして。

映画は1970年代に英国人が監督したものだから、西洋人の視点で演出されているのだろうけど、とても興味深かった。

でもこの映画(自伝)自体、事実かどうかわからないらしいのです。
つまり、彼の思想やムーブメンツはグルジェフの創作で、サルムングのような秘密の僧院は存在しないという説もあるようです。

グルジエフのその後をざっくり

とりあえず、以下、ウィキなどを参考にしました。

若い頃はロシアやオリエントの各地で考古学や発掘、現地の古代文化や教えを調査することに携わり、それから同志と「真理の探求者たち(the Seekers of Truth)」というチームを結成して中央アジアも偏在しながら隠された僧院やコミューンを巡り、伝承、象徴、音楽、舞踏などを研究したそう。そして生の意味の究明、集団催眠の解除法などの探求に努めたそう。

1912年モスクワに住み、そこで思想家や音楽家と出会って活動を広げ、作曲を始めたり、自身の教えを理論的にまとめ上げた。
ロシア革命が勃発するとモスクワを脱し、1919年にはグルジアのトビリシに活動の拠点を移して、そこで「人間の調和的発展のための学院」を創設して、システムと呼ぶ教えと、ワークと呼ぶ実践を教え始めたそう。それからムーブメンツも。

グルジアの情勢が不安定になると、コンスタンチノープル、ベルリンと移りながら、ムーブメンツの公演を行う。
そして1922年パリへ。ここに至ってグルジェフの思想はヨーロッパで知られるようになる。
1924年に自らの教えを広めるために弟子を引き連れてアメリカへ渡り、各地で講演やムーブメンツの披露を行った。

フランスに戻って程なくして交通事故にあい、そのせいもあって学院のの維持が困難になる。弟子を追い払い、執筆活動と作曲に専念する。1940年パリがドイツの占領下に入る。その頃になると依頼を受けるなどして小さなグループの指導、ムーブメンツの振り付けを再開するようになり、徐々にその規模は大きくなっていった。1949年永眠。

で、ムーブメンツとは

神聖舞踏、覚醒の舞踏、西洋の禅など呼ばれているようで、内面と身体を鍛えて覚醒するための体操、舞踏と言えそうです。ざっくりとですがー。

リトミックへの影響はしっかりあるようです。
オイリュトミーとの相互作用もあるようなないような、トリアディッシェス・バレエともなにかしら影響し合ったのか?、野口体操とも関連があるようなないような…。わりとミニマムで幾何学的で、思想などとも結びついていて、だけど感情は出さない、表現をするというわけでもない。筋トレでもない、どこか根源を探る感じというか。

たまたまそういう系統の体操ダンス?(とひとくくりにしては申し訳ないけれど)がこの時代、世界各地で展開したのはなぜなのでしょうか。

またいつかこのことについてわかればいいなと思います。

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