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発達障害は改善を目指すべきではないのか

おはようございます。
「ハッタツ民と定型社会の架け橋」を目指す
凸凹日記です。

今日は真面目に私が常日頃考えているテーマについて書きます。

発達障害と一言でいってもグラデーションなのでその濃淡、状態、困り度合いも本当に様々。
そのため、主語を発達障害、にして不用意につぶやくとすぐに炎上します(良くやります)。

その中でも炎上しやすいテーマとして「発達障害は障害なんだから絶対に治るものではない」「だから改善を目指すべきではない」「改善したというヤツはただの生存者バイアスだからコメントするな」というものがあります。

それは人によるとしか言えません。もちろん、努力して治せるような状態ではなく苦しんでいらっしゃる方が定型発達者など目指す必要もないと思います。福祉を活用して支援を受け、自分でできることを無理なく楽しむ生活ができたら素晴らしいと思います。私は実の兄弟が、発達障害とは知らない両親から一般社会で活躍することを強要され、二次障害から自殺企図を繰り返し、本当に苦しい経験をしました。今は障害者手帳を取得して、働くのは無理なので社会には出ず、地元で老いた両親のサポートをできる範囲でしてくれています。私は東京から離れられないので今はとても感謝していますし、「働かない人間はダメ」という両親からの呪縛から解き放たれて初めて、穏やかに生きることができるようになったように思います。

翻って私については、白に近いグレーという状態で、「頑張ればできる」ものがそれなりにあるため、人生の後半でかなり社会的には挽回したパターンになります。もちろん、努力しても全くできないものもたくさんあり(例えばプログラミングなんかはどんなに勉強しても普通の人ができるレベルにも絶対にならないでしょう)、先送りグセなどは病的なレベルで、例えば「歯を磨かないで、お風呂に入らないで、服を着たままソファでうたた寝」は、何をどう工夫しても若い頃から一向にやめられません。努力しようにもできないので、ほんの一例ですがこのレベルの悪癖については間違いなく一生治らないと思います。また脳内で常に忙しく思考し続けているとか、試行錯誤しないと気がすまないとか、物を恐ろしくなくすとか、このあたりも治らない気がします。

しかし、仕事の時だけは「何をおいても失敗してはならない」という意識が(社会人後半でやっと)働くようになったので、QOLも年収も全く別物になりました。もしこのnoteをお読みの方で、かなりの凸凹だが死ぬ気でやればなんとかできたりする、というタイプの方がいらっしゃったら、私は成功した人の事例やライフハック、または自分なりの対処策を試して見ることをおすすめします。

もちろん再現性がどれだけあるかわかりません。やってみたけど、疲れるだけでダメだったということなら、やめれば良いだけで。

ヤダヤダ、ダメだダメだと言いつづけるのもストレスだと思うので、どうせストレスなら努力をしてみませんか!と、、少しもったいないなと思ってしまう部分が正直あるのです。

少なくとも、発達障害傾向を強く感じていても、努力して何かに成功することで、少なからずこれまでより生きやすくなる人も存在するのですから、主語を大きくして「発達障害は障害なのだから絶対に治らない(それは事実です)。だから改善しようなどと思ってはいけない。」というのは極端であるし、努力が良い結果を生むことも実際ありますので、「絶対に」と思い込みすぎないほうが良いと私は考えます。

やってダメだったら、「ありのままで、自分ではない何かを目指す人生から卒業!」というのも清々しくていいですね!
一番憧れる生き方でもあります。

私は(イヤダイヤダともがき苦しみながらも)努力がプラスに働くことが多いのでこれからも、苦手は避けながらズルーくチートして、得意分野を前面に出して定型社会を渡り歩いていこうと思っていますが、愛する我が息子のような「いいヤツだけどぶきっちょくん」は、ありのままで自分を受け入れられる価値観を持つことが彼を守ることになると思うので、そういうゆっくり民族が生きやすい社会を何処か一端にでも創れたらなぁと、、

それが今の私の夢でありライフワークです。

色々なタイプ・状態の発達障害の方々の生きる道を、色々な方々の思いを受け止めながら考えていきたいと思っています。

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