見出し画像

先生の名前を、わすれた話 その2

わたしが通っていた当時、その高校の学年担当は持ち上がりでした。
初学年から、転勤などがないかぎり学年主任を含め、ずっと教諭のメンバー構成はほぼ変わりません。

公立高校教諭の昇進事情なんぞ知りませんが、「この学年は国公立大学進学者をバンバン出せる!」と踏んだのでしょうか。
0時間目やら、夏期補講やらを頑張ってくれていました。

もちろん、先生方もお仕事ですし、一生懸命やるのは当たり前です。
そういったご厚意は大変ありがたかった、のですが、高校三年生になった頃、同時に違和感も感じました。

なぜか高校三年生の時から急に毎日の登校時間がなんの説明もなしに20分くらい繰り上がったり(0時間目や特別行事などもない日)。
果てはセンター試験の前に演説会?みたいなものが開かれ、教諭の話を聞かされ、別にそこまではいいんだけど、思い昂った教諭が、「わたしたちの受験」とは直接関係ない自分の生い立ちを話し始めたり。

「なんだかなぁ」

最後の方は本当に宗教めいていてかなり気持ち悪かったな。

違和感を感じつつ、センター試験後、成績の振わなかったわたしは国公立大学の試験を受けるのをやめようかどうするかを相談しに学校に行きました。
タイミング悪く、その日、担任の先生はなぜか学校に登校していませんでした。
(本当なんでだったんだろ。)
帰ろうと思って職員室を出ようとした時、我々の受験に熱心な教諭(わたしたちの学年を持ち上がりで担任していた人)が話しかけてきました。

「センターどうだった?」

「びっくりするくらいダメでした」

「…そうか」

「びっくりするくらいダメだったんで、国公立大学の後期試験も受けるかどうか迷っています」

すると、教諭は今まで見たことのないような怖い顔で言ったんです。

「とにかく国公立は受験しろ」

その教諭の顔は、何かに取り憑かれた般若のようでした。

その時、わたしの胸には一気に違和感が押し寄せてきました。

国公立を受験するにもお金はかかります。
移動費、宿泊費も、高校生のわたしだけで払える金額ではなく、両親に頼まなくてはなりません。
もちろん学費は国公立大学の方が安いかもしれないけれど、どう考えても手の届かない成績を取ってしまった今、地元の私立大学を専願するのはそんなに悪いことなのか?
私大を受験するも、国公立を受験するも、わたしの勝手なのでは?

自分の人生を、どう決めようとわたしの勝手では?


感じていた違和感の正体はこれだったのです。

「国公立大学に行けば明るい未来がある」
「だから他の道を考えず、とにかく機械のように国公立大を目指せ」

わたしたち生徒を指導する上で、そんな意図はなかったのかもしれません。
ですが、あの頃のわたしたちにはそのような雰囲気は少なからずあったように思います。
少なくとも、その時の怖い顔からは「国公立大学を目指さない者は許すまじ」みたいな感じが見て取れましたよ、先生。

そして、自分の相談を「とにかく国公立は受験しろ」で一蹴されたわたしは呆然と高校をあとにしました。

あれ以来、わたしは確か母校の敷地には足を踏み入れていません。



まだちょっと続くので、その3 でお会いしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?