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この街(モリオカ)で映画を観ること

映画館通りがあることから「映画の街」と呼ばれる我が街盛岡。
この街で映画を好きになってもうかなり長くなるが、この半年でその状況がいろいろと変わりつつある。いや、これまでになく激変していると個人的には思っている。というわけで、この半年にあった映画がらみの出来事を独断と偏見でまとめてみた。

全国コミュニティシネマ会議2022in盛岡

昨年11月18日(金)と19日(土)に、我が地元岩手県盛岡市で初めて開催された、全国コミュニティシネマ会議2022in盛岡に参加した。
この会議ではミニシアター運営者や映画上映団体、配給など映画上映に関わるあらゆる団体や個人が参加し、映画上映の現状等についての報告やディスカッションが行われた。
まずはネットで拾ったレポートを。

↑全国各地の映画祭を取材しているシネマトゥデイの中山治美さんのレポート。

↑日本経済新聞より(有料記事)

↑八戸のフォーラム閉館を受けて結成された有志団体「これからの映画文化を盛り上げる会@青森」のメンバーによる感想。

では一般市民の感想。というか、フィルム上映会(後述)ならともかく、この会議に果たして私のような一般人はどれくらい参加していたのだろう、ということをまずは気にしてみる。
え、オマエ一般人なのかよ、とつっこまれそうだが、そうです一般人です。
確かに映画上映のお手伝い等もしておりますが、あくまでも劇場での映画鑑賞を楽しむ一般市民である、私は。

私が学生の頃、映画館にはメジャー邦画やハリウッド系洋画が上映される封切映画館と、世界各国の映画が上映されるミニシアターの2種類あると認識していた。映画を好きになり始めた頃は前者によく行ったが、2度の留学を経て帰国した後は、東京のミニシアターに通うようになり、ハリウッドメジャーより中華圏の映画や欧米のインディペンデントな映画を好むようになった。
就職で盛岡に転住し、街中に東京から何か月か遅れでミニシアター系映画も上映してくれる映画館を見つけ、そこから香港映画ファンになったのは以前も書いた通りだが、2000年代中盤からは香港映画が来なくなったので、それ以外の映画を観るようになった。でもその頃から、上映される映画に変化が見え、洋画よりも日本映画の上映が増え、週ごとの動員数が発表されるようになって、動員数で上映回数が決まるようになったと感じるところがあった。それは即ち、小規模の作品がここまで回ってこなくなったということだ。それはちょうど全国的にもシネコンが増加してきたころとも重なる。
それに気づいた時、私の好きな映画館の風景はすっかり変わってしまっていた。
それでも、私の居場所は映画館だと思い、通い続けた。

私の好きだった時代の映画館の話はこちらが近いかもしれない。
学生時代にはそれほど通わなかったシネマライズだが、地方に移って地元まで来ない映画を先取りするために上京した時によく観に行っていたし、『ブエノスアイレス』が半年間ロングラン上映されたので、盛岡での上映が終わった後でもここに観に行った。

現在のミニシアターはすっかり変わってしまった。
評価の高いアート系作品をじっくりと上映する館から、年に1000本以上上映される映画の大部分を占める小規模作品をかけるようになった。だから、常に上映作品を気にして、機会が合えばそこで観に行かないといけなくなった。これは東京だけでなく、地方のそれも同様である。
(その現実に光を当てて撮られたのが『あなたの微笑み』である)

盛岡には「映画館通り」という名の通りがメインストリートにあるが、映画館の数は多くないし、盛岡以外の県内都市にある映画館もわずかである。特に沿岸には宮古のシネマリーンが映画館としての営業を終えた後、常設館はなくなってしまった。
そこで必然的に増えるのが自主上映である。シネマリーンを運営していたみやこ映画生協は震災直後から、被災地を始め、県内外での移動上映を続けていることが高く評価されたが、それ以外にもシワキネマのような自主上映団体も多い。

確かに自主上映は大変だけど楽しい。私も自主上映の手伝いをしてきたからそこはよくわかっている。これまで見過ごされてきた映画や、劇場にかからない自主製作作品やドキュメンタリーを見つけてみんなと一緒に観てあれこれ話し合う、そういう面白みをこれまで体験してきた。
しかし、それでも見過ごされたまま配給権が切れてしまう映画も多く、せっかく上映会のチャンスがあっても上映したい作品の上映権が切れてしまってできない、というのがあるのだ。特に小規模上映される香港や台湾の映画に多い。『BF*GF』『あの頃、君を追いかけた』『花蓮の夏』などなど、地元で上映されていない傑作台湾映画の上映権は皆切れてしまった。切ない。
それもあるから、新作を劇場で観ることにこだわるし、皆が観ない映画を劇場で観て、感想を言うことにこだわるのだ。
もっとも、そんなことをあの会議で言ったとしても、オマエは贅沢だ、と言われそうだから言えなかったが。

フィルム上映会で使用された35㎜映写機。クラシカルな公会堂に馴染んでいた
上映作は軽米でロケが行われた『息子』と大友啓史監督の長編劇映画第1作でもある『ハゲタカ』

なんというか、自分はこのまちの映画好きとしてはあまりにも異端なのかな、はたしてこの場にいてもいいのだろうか、とも思ったりもしたが、いろいろと考えさせられた2日間であった。
うまく言えないのは、もう時間が経ってしまったからかもしれないが、また思い出したら、ぽつぽつと言うことにしよう。

アートフォーラム(ニッカツレインボービル)閉館

4月20日夜撮影。7月1日時点まだ建物はあるが、もう明かりはつかない

この春、ずっと通っていた映画館が閉館した。しかもその映画館が入る前から別の映画館も入っていたビルが老朽化のために閉館した。その名はニッカツゴールデンビル。かつては日活系の映画館が入っていたビルらしい。
…「らしい」と推量しているのは、その頃のことを私が全く知らないからだ。私がこの街に来た頃、このビルに入っていたのは、松竹邦画&洋画系を上映する名劇という映画館だった。

この映画館通りについて語られる時、よく地元の人が話題に上がるのが「かつてここには日活や松竹や東映があった。人口に対する映画館の比率が高いからここは映画館通りになった」ということ。
でも私が住み始めた平成初期、この映画館通りにはすでに松竹と日活の映画館はなかった。少し離れた官公庁街にあった2階建てのクラシカルな劇場も来て間もなく閉館してマンションが建ってしまい、大通を挟んだ下りにあった東映も2000年代に閉館し、映画館などが入らない商業ビルになってしまった。この街に来た時には、すでに映画館通りは大きく変わっていく時期だったのだ。
だから、この街で生まれ育ったわけではない私には人々が語る「懐かしの映画館通り」の話がどうもぴんと来なかったし、公的に行われる映画イベントで「かつての映画館通り」がフィーチャーされても、同世代の人とそれについて語れず、ただそれを黙って聞いては蚊帳の外にいるような気分になっていた。

左奥が盛岡中劇。現在はアート系作品もかけるようになった。

この盛岡の中心街に映画館を誘致したのは、このマップによると、街の発展に寄与してきた木津屋の池野氏と三田商店の三田義正氏だという。文房具やオフィス機器を扱う木津屋も、火薬や住居素材、デザイングラフィックも手掛けている三田商店も地元を代表する総合商社であり、個人的にも縁がある会社である。

MORIOKAまちうら噺
クロステラス盛岡とMOSSビルが昨年末に共同制作した街裏MAP

「大通の開発を手掛け、中心街の賑わいを呼ぶために映画館を据えることを発案したのは三田義正である」ということは、2013年に開催された街づくりを考えるイベント「ジモト想像会議」でも言及されており、この会議に参加したことで実は初めて知ったし、映画館通りの中心にある中劇こと盛岡中央劇場も三田商店の子会社になっていたことも合わせて知った。
昭和中期まで、映画は市民の大きな娯楽として好まれてきたことを思えば、映画館を主に置いた街づくりというのは理にかなっているとは思う。でも、この30年間で映画館通りから映画館も減っていってしまい、中劇・南部興行の経営するピカデリーと共にニッカツビルで上映を続けてきたアートフォーラムが閉館してしまったということは、映画館通りの黄金期やら往年の大通の話に疎く、興味も持たない薄情な私であっても、一つの時代が終わってしまったと感じて呆然としたのは言うまでもない。

それでも、私はこの街で映画を観たい

映画上映をめぐる状況は全国的に2000年頃からすっかり変わってしまい、郊外のショッピングセンターにシネコンが次々と開館し、中心街の映画館の減少と共に大都市圏でも再開発でシネコンが開館していってるが、市内には映画館通りから歩いて5分くらいのところにシネコンのフォーラム盛岡がある。
ここはかつて映画館通りにあった洋画上映館兼ミニシアターで、東北を中心にチェーン展開を行っている。映画館通りにあった頃から会員制度を取り入れてて、年会費を払えば1本1,000~1,100円で鑑賞することができた。やがて対象は全チェーンに広がったので、盛岡で上映されない映画を仙台の姉妹館(ここはミニシアター)に観に行ったこともある。しかし昨年11月に会員制度が終了し、今年の夏からは1本1,500円(リピーター割引あり)と実質上値上げした会員制度にリニューアルした。他の市内の映画館のネット割引が200円引き(一般1,600円)なので、割引率的にはお得ではあるが、それでも実質500円の値上げはなかなかきついし、先に書いた系列のアートフォーラム閉館によるスクリーン減で、観たい映画もますます来なくなりそうな予感がするし、それに伴って劇場鑑賞本数も減りそうである(現に減っている)
昨年の暮れには、アートフォーラム閉館を受けて、映画館通りの終点にある百貨店カワトクに新たに映画館を入居させるという計画もあったのが、建物の構造か映画より催しの方が利益があると思われたせいかその計画も頓挫した。ニッカツビルの跡地も映画館は入居しない様子なので、どこかに新館がオープンしない限り、私の愛する小規模な香港映画(申し訳ないがジャッキー・チェンは含まない)や台湾映画が地元で上映される機会はますます経てしまい、それを観るために遠出する機会も増えそうである。

それでも、私はこの街で映画を観たい。
今までも文句はあれこれ言ってきて、今後もますます文句は言うかもしれないが、生まれた街以上の時間をこの街で過ごしてきたから、あれこれ言う権利は私にだってある。エゴまみれで申し訳ないが、同じことを思っている人はいないかもしれないけど、それでも言いたいし、今後とも言う。
配信や自宅で観る映画もいいが、街で観る映画だって楽しい。まして盛岡は街のサイズがちょうどいいし、映画を語り、じっくり深掘りできるようなお店も多い。映画も街も愛しているから、これからもあれこれ言いながら、この街を離れる時が来るまで私は映画を観ていく。

あとがき、そして調子に乗って宣伝

昨年秋にコミシネ会議に参加して、すぐ感想を書こうと思ってこの記事を書き始めたが、本業に追われて執筆時間が取れなかったこともあり、何を書こうかと迷っていた。そこにアートフォーラムの閉館の報を聞き、改めて自分が盛岡で映画を観てきた日々を振り返った。
うまくまとまったらネットだけではなく、ZINEにする計画もあったのだが、そうするにはあまりにも口の悪い文章すぎる。でもこの街で映画を観ることについて本にまとめたい、と考えて、この記事と同じ題名の映画についてのZINEを作った。

これが表紙。上の写真を使用。

以前ここでも書いた、去年観た映画の感想を簡単にまとめ、散文を書き下ろしてZINEにしてみた。口下手なのに書き文字に言語化すると途端に口が悪くなる私だが、多くの人に見てもらいたいし、手に取ってもらいたかったので、暴言は控えた。
先月の文学フリマ岩手で初売りし(参考としてこの記事をリンク)、もうすぐ始まるART BOOK TERMINAL TOHOKU 2023にも出品したので、もしよろしければお手に取って読んでいただきたい。一応、この記事と対応するZINEになっている(はず)。更によろしければ是非ご購入を…とみなまではいわないでおく。

↑通販ページもあり(現在準備中。7月上旬オープン予定

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