私とアイドル

旧ジャニーズと私


私にとって旧ジャニーズ所属(ここでは面倒なので以後ジャニーズと称します)のアイドルとは【青春】そのものである

といっても過言ではありません。



私は映像クリエイターという仕事をしています。
その仕事自体、やろうと決めたのは中学生の時。

今の形に落ち着くことまでは想像してませんでしたが
とにかく「発信する側になりたい」と思ったのは
今でもよく覚えています。

そしてそのきっかけが
当時国民的アイドルグループと呼ばれていた「嵐」でした。


私にとっての嵐


当時、私は友人関係を築くのに躓いていた時期でした。
思い返せば私にも原因はあり、端的に「いじめられていた」と言うには
あまりにも雑かなとは思うのですが
まあ、多分いじめられていたと思います。

私に話しかけてくる人はほとんどおらず
休み時間は教室の白い壁をずっと見ているか、図書室で本を読むか
この2択でした。
過剰な表現だと思う人もいるかもしれませんが
本当に、誇張なくこの2択でした。


私はかなりの田舎育ちで、周りは山や田んぼに囲まれていて
かなり閉鎖的な街で育ちました。
それも当時の私には息苦しく

「私はこんなところでこんな風に終わるような人間ではない」
といじめられているにしては強気な思想を持っていました。

いじめられているということはある種受動的な日々で
能動的に何かを成し遂げなければ私の世界は変わらない
という焦燥感が常にあったと思います。

そんな時にテレビで見たのが嵐でした。


NEWS ZEROという嵐のメンバーの櫻井翔くんが
メインキャスターを務める報道番組で
本当にたまたま見たのですが、その時は嵐の5人が全員出演していて
まさに「いじめ」について議論をするという回でした。

そこで二宮和也さんがこう言います。
「俺もいじめられていたと思う」


その衝撃たるや。
忘れることができません。

こんなにキラキラしたアイドルでも
いじめられたことがあるのか、という驚き。
そしてそれを惜しげもなく発言する、ということ。


どこかで恥ずかしいことと思っていました。
多分今も少し思っています。
この話をすると腫れ物を扱うような表情になる周囲に
自分も知らずに伝染してしまうから、話すことはほとんどありません。

でも二宮さんは、公共の電波に乗せたのです。


その意味が、大きさがわかりますか?
かくいう私もそうですが
当時同じ問題に悩んでいたティーンは、どれだけ救われたでしょうか。

そこで私は思うのです。
「私もこんな風に、受信するだけではなく
発信していける人間になりたい」


憧れと夢が、「嵐」になりました。


青春=嵐


そこから私の青春はほとんど嵐と共に、です。
中2頃からおそらく大学2年生くらいまで。
課題や就活で忙しくなってしまう頃まで
数え切れないほどの膨大な時間を費やして追いかけていたと思います。

デビュー当時のコンサートDVDからその当時の最新のものまで
リリースしたアルバムも全て
シングルは特に好きな曲や、B面が好きなものを選んで
グッズも、遠征も、コンサート参戦も、ワクワク学校などのイベントも
出ているバラエティーもドラマも映画も雑誌も


もう全部。収集できるもの、参戦できるものはほとんど
その頃のお小遣いやバイト代を費やしていました。
今でもイントロが流れただけで曲名がわかるし
歌詞を見ずにカラオケで歌えてしまうのは嵐だけです。

親と喧嘩した時も
部屋にこもっていた私に向かって父親が
「テレビで嵐がやっているからリビングにおいで」
と声をかけてくるのが仲直りのきっかけでした。


中学を卒業し、高校に入学したときも
今度は友人作りを間違えないようにと意気込んでいたところに
「嵐好き?」と声をかけてくれたクラスメイトをきっかけに
コミュニケーションに抵抗がなくなり
たくさんの友人ができました。

もちろんツイッター(現X)などで募った顔も知らない
ヲタク友達もできて、遠征先で出会ったり


嵐によって彩られたと言っても過言ではない。
私に最高の青春をくれたのは嵐でした。

忙しくなってファンクラブを抜け
グッズなどを手放した時
青春時代を駆け抜け「終えた」感覚で
少し大人になった気持ちになったことも覚えています。


映像制作という仕事


嵐をきっかけに抱いた「発信していく」という夢。
最初は「一緒に仕事がしたい」という思いもセットでした。
とんでもないハッピーセットですね。世間知らずとはこのことです。

ただ中2から本当に一度もブレたことがありません。
可能性を広げるため、高校は県内有数の進学校へ進学し 
勉強もかなりしました。
周りはMARCHや国公立、医学部や教育学部を目指す人が多い中
私の志望校はとある私大の「芸術学部」。

そこには業界で少し有名な「映画学科」というところがあり
四年制大学に通いながら映像制作を学ぶことができる大学でした。


志望校欄に書いたとき担任の先生には
ゴミを見るみたいな目で見られました(笑)
正直その高校で過去実績がなかったというのもあったと思います。
「正気か?」みたいなことを何度も聞かれましたが
本当にブレたことはありませんでした。

私は文系でしたが、
たまたま映画好きな物理の先生に拾って(?)もらい
入試対策にもお付き合いをいただいて見事合格。

大学では上京して映像制作を学びます。


ただその道は言わずもがな険しく。
決定的な打撃があったわけではないですが
周囲の才能や自分の根性のなさに
緩やかに挫折をしました。


おそらく「好き」と「得意」はイコールではない。
ということをそこで知り、何度も悩みましたが
やはりどうしてもこの夢だけは
手放すことができず
少しの突起に指をひっかけ続けているような感覚で
今もなんとか生業として生きています。


当時憧れた「マスメディア」で「発信する」という映像ではないですが
それでも特定の誰かには届くように
心を動かせる映像を作ること己なりに掲げて
自分なりの信念は持って仕事をしています。


こんなかっこいいことを言っていますが
こんなかっこいい今をくれたのが嵐であり
つまりはジャニーズ、アイドル、なのです。


いろんなものを経て、今


趣味と呼ぶようなものは多数あって
フィルム写真とか、動画作りも仕事であり趣味かな?
料理もだしメイクや美容も?

ただ突き詰めたものはなく、強いて言えばお笑いが好き。
芸人さんにもアイドルとはまた違った美学を感じるのですが
そんな私がアラサーになり、30歳目前で堕ちたのは


中丸雄一(KAT-TUN)


懐かしいです。
非常に懐かしいこの感覚!!!
結婚もしていますが、今目の前に中丸さんが現れて
どうにかこうにかなれるなら
離婚して中丸くんと結婚したいくらい。(旦那まじごめん)

これから趣味、中丸雄一と名乗っていこうか。


久しぶりにファンクラブにも入りました。
え?アラサーが?みたいな気持ちも正直あったんですが
それより中丸くんの破壊力が上回りました。


そしてやはり、アイドルのすごいところが
「活力を与えてくれるところ」なのです。


結婚をして、正社員を辞めて独立をして
なんとかギリギリやっていけるような収入の中
地道に地方都市で頑張っているのですが
歳なのかなんなのか、やはり若い頃とは違い
「無謀な目標」を立てなくなりました。

来年か再来年あたりに実現できそうな、近しい未来を
予測して立てる目標。
大人になった証拠かもしれないし、
それをリスクヘッジと呼ぶのかもしれない。

着実に達成していける喜びはもちろんあるのだけれど


どこか物足りなさを感じていました。


中丸くんの動画制作の趣味、毎日あげてくれるブログやラジオ。
SNSを頻度高く駆使して近況を近い形で伝えてくれる中丸くんは
漫画家デビューも果たします。

彼は今年40歳です。

私は今年29歳。
え?何燃え尽きてんの?と思いました。


疲れます。正直。
無謀な夢や目標って底なし沼に全力投球投げ続けるみたいなもので。
そもそもこの歳になると「夢」とか言っちゃうのもどうなの?って
思うタイプの人間で、私。
全くわからない「いつか」を夢見て
消費していく感覚や
また挫折、叶わないもどかしさを経験するのか?という恐怖。

人生100年時代にざっと30年足らずで
だいたい学んでしまうじゃないですか、人間って。


推しと一緒に仕事がしたくなりました。
推しの映像制作に携わってみたくなりました。
彼で一本作りたくなりました。


ただあの頃と違うのは
私は無知ではないということ。

培った知識と技術は確かにあります。
彼がフルーツを綺麗に切り、専用の道具を揃えたように
カメラに抜かれたいがためにボイスパーカッションという
未知の領域に若くして踏み込んだように。
そしてその日々更新される技術を今も怠らず取り入れているように。
漫画という新たなフィールドで、いつでも立場に奢ることなく
心新たに挑戦し続けているように。


私も今の私のできる形とできるペースで
叶えたい「夢」ができました。


推しとお仕事!!
そして感謝を!!!!!!!



ジャガイモになれて幸せです。
もといハイフンになれて尚、です。

中丸雄一!らぶです!!!!



#創作大賞2024 #エッセイ部門


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