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紙の本が電子書籍に淘汰されなかった理由を考える

CDは売れなくなり、雑誌は廃刊が止まらない。
だけど、「本」は未だに無くならない。

一部のヒット作に集中する傾向はあるが、電子書籍の黒船Amazon Kindleが発売された2000年後半以降も、紙の本がデジタルに淘汰されることはなく、共存関係を続けている。

なぜ紙の本は無くならなかったのか

「読む」という行為の定義をあらためて紐解くと、「紙をめくり文字を目でなぞる」紙媒体を前提とした世界共通の作法として人々の意識に根強く存在するからではないだろうか。

つまり、紙の本以外から得る活字は「読む」ではなく「見る」「眺める」という感覚に近くなるわけだ。

本は「読む」 タブレットは「見る」

その根拠として、タブレット化した電子書籍に消極的な人々は、

「電子書籍は読んだ気にならない」
「電子書籍は疲れる」

このように違和感と疲労感を訴える。本を見るとは言わないし、タブレットを読むともあまり言わない。このささいな違和感こそ本の紙文化を強固に守る砦となっているのではないだろうか。

音楽を「聞く」とは

それで音楽はというと、レコードであろうとCDであろうとダウンロードアプリであろうと、どのような形式であっても「聞く」行為としてすんなり受け入れられている。時代が過ぎる寂しさは感じても誰も違和感を持たない。そして音楽メディア媒体は殆どが淘汰された。


本と雑誌の明暗は「作者」の存在

ここで疑問が湧いてくる。本は力強く生き残っているが、同じ紙媒体である雑誌は小康状態から脱せず、力尽き、廃刊・休刊が後を経たない。宣伝媒体として弱体化し動画コンテンツに食われてしまったせいだと見方もできるが、明暗が分かれてしまった理由は、「作者」の有無ではないだろうか。

本には必ず作者という大きな存在がある。しかし雑誌には読み手にとって象徴的な書き手がいない。優秀な記者、ライター、カメラマン、編集者など多様なプロフェッショナル人材が確かに関わっているのに、本から伝わるような作者の息づかいは感じられない。
つまり、本は作者個人の生き様やメッセージを映した結晶体であり、雑誌は会社組織による情報の集合体である。

読み手は役に立つ面白い情報を求めると同時に、他者との触れ合いを求めている。そもそも本はひとりでいる時間に読むものだ。ひとりになりたいと願いながら、誰かと繋がりたいとも願う。本を通じて作者と心を通わせ、登場人物に自分を重ねる。連載小説やコラムを除いて、雑誌ではまず満たされることはない欲求だ。
同じ紙媒体のメディアでも、ここまで読み手にとっての役割が違うというわけだ。

まとめ

「読む」行為が紙媒体を前提とし、作者や登場人物と擬似交流できて寂しさや好奇心を埋める役割をこれからも「本」が果たせるのならば、淘汰され無くなりはしないのだろう。

最後に


人類の歴史上で最も売れた本は、言うまでもなく聖書である。聖書の作者は、使徒ヨハネであったり40人著者がいるなど諸説あるが、聖書を信じる人にとっては、神が人の手を借りて書いた本に他ならない。

さゆぱん

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