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【経験から知った】 その人を何か一つでも尊敬できれば「心の底から嫌いにならない」

人間社会の中で行きていると、「気が合う人だけ」で仕事やプライベートをやっていきたいなと思うことは沢山ある。

しかし、そのようなことは絶対になく「自分と合わない人」ともどれだけ関係を築き社会生活を送るのかが「社会」である。

肉親である「親・兄弟姉妹・子」などであっても「合わない」ことは多いもの。

各自が一人の人間である以上「いくら肉親だからといって、自分と合うとか限らない」

だから人との関係を築くことは、言葉で言う以上に難しいものではないかと自分は思います。

合わない人だから「避ければいいのか?」

合わない人に対しては、避けることが一番楽な方法です。

合わない、苦手な人とは関わらないことが一番良く、プライベートであれば近づかなければ良いのです。

しかし、仕事で関わるなどの場合、避けることが出来ないことの方が多いはずです。

仕事である以上は一緒にやらなくてはなりません。

しかし仕事であったとしても「長時間合わない人と一緒にいると心がすり減ります」

「合わない人・自分の考えと逆な人」には、ある程度距離を取るようにする必要があり、これを学ぶのが「人間社会」ではないかと思います。

人はどんな人にも「適応するようにはできていない」

自分自身の心が弱っていることに対して「責める」人がいます。

自分が弱いからいけない
自分が仕事が出来ないからいけない
自分が人に合わせならないからいけない
自分が人に迷惑ばかりかけているからいけない

人間である以上、気持ちの浮き沈みはありますし、失敗をして反省をしなければいけないこともあると思います。

しかし、必要以上に自分自身を責める必要はありません。

このような状態の中で、自分と根本的に考えが合わない人は相当な負荷が掛かります。

「一時的に合わせること」は出来ると思います。

しかし、それを「継続して続けていくことは本当に辛い」

だからこそ、人とは「適度な距離感」というものが必要であり、それを学ぶ必要があります。

「合わない人」と「嫌いな人」の違い

合わないは「単純に考えが合わない」こと。
→相手の立場になったり、物事の見方を変えると「そのような考え方も出来るのか」と尊敬出来る部分がある。

しかし「嫌い」は「その人の考え・行動そのものに嫌悪感」があり「人として尊敬が出来ない」ことを指す。

僕はこのように思っています。

その特定の人の事を「心の底から嫌い」にならないようにするには、「その人の尊敬できることを一つ見つける」ことです。

ほとんどの人は「何か一つは尊敬できるところを思っている」と僕は思います。

逆に「この人からは何も尊敬できることがない」と感じる人に対しては、嫌いになってしまっても良いのではと思います。

無理に人を好きになる必要はない

子どもの頃に多くの人と知り合い、仲良くなりなさいと教えられている人も多いと思います。

経験として、多くの人と知り合いコミュニケーション能力を学ぶことは良いことであると思います。

しかし、出会った人「全員と仲良くする必要はありません」

これは気に入らない人をあからさまに邪険に扱うという意味ではありません。

「相手と自分とは合わない」ということを理解し、その上で「ちょうど良い距離感の人間関係を構築するためにどのように付き合うのか」ということを考える必要があるということです。

人間関係・社会を学ぶということはこのことを言うのではないでしょうか。

全く尊敬できない人を「無理に好きになる必要はありません」
しかし、邪険にする必要もありません。

ちょっと自分とは合わないと感じた人に対して、ほどよい距離感を保ちながら「この人の尊敬できることは何かな?」という姿勢が大事なのではと思います。




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