ボトムアップ科学技術⑨〜過去を見つめる〜

お察しの通りイノベーションについてはお休みです。
それよりも書かなければならないことができてしまいました。(あとは進捗が微妙というのもあります

皆さんは水俣病については日本で生まれ育った方は誰しも聞いたことがあると思います。4大公害病とされているものの一つで、大抵小中高の教科書には載っているものです。今回はその話題について扱います。

1.水俣に行った時の話

おそらく3年前か(つい先日ケータイのデータを飛ばしてしまったのであまり正確に確認できない。写真がないのも大変残念だ)水俣へ足を運んだ。
特に深い理由はなかったはずである。ただ、一度は見ておきたいという感覚を持っていたのだろう。
水俣の場所は熊本のはるか南の方であり、同じ熊本県で括るにはだいぶ文化も異なるのだろうなと思っていた。海沿いの水俣の資料館に着いたところなんと休館、、、😅
このまま帰るのもなぁと思って街中をぷらぷらしていると相思社という別の資料館があることを街の方が教えてくださいました。

そして私はこちらの資料館のことを知りませんでした。
この場所は街中にはなく、かなり山を登ったことを記憶しています。一名の若いスタッフの方に出迎えていただき、展示を観ました。
想像以上に水俣の歴史は複雑なものでした。複雑と表現したのは普通、公害と言うと悲惨な状況に対して、住民が一致団結して悪の組織に立ち向かって、、、という姿を思い浮かべますが、水俣の場合は街の中に加害者も被害者もいる状況だったり、一度解決したかのように見えた(見せかけた)こともあったり、原因の特定に複数の案が出たりと実際には決して公害が発覚して真っ直ぐに解決に向かったと言うわけではありませんでした。
少なくとも教科書で読むだけでは一生わからないだろうなと思ったことを覚えています。

最後に、去り際に職員さんから「公的な資料館とどんなところが違うと思う❓」と問いかけられた。実際に見れていないし宿題はもらったなと思うけれどもその問いが胸に残っている。

2.東工大、立志プロジェクト

話は飛んで現在である。大学院修士2回生となった私は学部生一回生が皆受ける授業である立志プロジェクトのファシリテーション実践をおこなっている。授業の詳細についてはこちらを参照されたいが、リベラルアーツ教育の根幹となる大事な授業である。

さて、その講義の中で相思社の方のお話を伺う機会が先日あったのでその内容と感想を認めたい。

講義内容

先生の講義はどこまで詳細に書いて良いものなのかはわからないためふわっと書いておく

・先生は水俣病の患者ではないが水俣出身というだけで友人に病気がうつると言われた過去があり、しばらく出身地を隠して生きていかなければならない負担や生きづらさを感じていた。
・相思社の目標は水俣病を繰り返さないことであるであるが
歴史は構造的に繰り返してしまうbyヘーゲル
・(直接的な主張はなかったが)病気が地元の会社であるチッソが原因ではなく腐った魚の有機アミン説を主張した東工大の清浦雷作についても触れられた
・(中でも有名な話であるが)チッソ側は排水浄化装置を作ったが、水銀を浄化する機能はなく、9年間その後毒が流されたこと。チッソは原因を特定していたのに、見舞金契約では新たな補償は行わないとした上、金額も少なかった。

また、東工大の教員との対話では

・今の子供たちは相手を傷つけるために知識を持って使っていること
・経験や感情は個人に固有だが、他者に共有することができるし、客観視することはできるので文化人類学的な視点が大切。
・ある問題や当事者と接するのはきっかけが大事なのではなく、その後の関わり方のほうが遥かに大切。
・自分の言葉で語ること。言葉は育て合うもの。時には闘争、時には対話、しかしまだ、相手のことを理解しきっていないという態度も必要。

ということも仰っていた。非常に現在争いが絶えない2022年の今の論点とも共通するような問題提起をしていただき、ハッとさせられながらお話を聞いていた。

私の感想

・もし、逆の立場でチッソと関わりの強い人生を送っていたとしたら、チッソ側の人間と同じことをしたでしょうという先生の断言は、物事は個人の感情だけではなく様々な立場があり、だからこそ少しでもよくしようとする運動や構造への見直しが必要なのだろう。立場や歴史、経験、お金、名声、公害を憎んで本質的な人を憎まずという姿勢の表れだと感じたし、なかなかそう思えることではないはずだ。
・相思社に一度訪れていてメルマガ会員でもあるためある程度他の人よりも知っているという意識がどこかで持っていたがそれこそ謙虚さが足りないしもっと学んでいきたいなと思わせてくれた。有名な『苦海浄土』も本全体を読めてはいないし、『常世の舟を漕ぎて』も読みたいと思いながら読めていない。『MINAMATA』も観に行けなかった。どこかでそれを見ることが大切だという理性が先行して、思いを寄せるだけで心から感じることができているだろうか、今一度問い直したい。
・東工大に来て水俣の話を聞くことの意味もすごくあった。有機アミン説をとなえた理系最高峰の大学。作動中の科学とはよく言ったものだがその意味をより考えたい。予防原理原則は今有効に働いているだろうか?

3.新入生の対話

さて、この授業の醍醐味は講義だけでなく、新入生同士の対話の時間が醍醐味である。そこにファシリテーターや教員のサポートをすることで自身の学びとするのだが結論から述べれば、とても勉強になった。お灸を据えられた感覚だ。

グループワーク自体はzoomで時間を区切って行われる。ファシリテーターと言っても身一つで複数のグループを見なければいけないので対話カフェのように対話の中に入ってファシリテーションをするよりかは見回って困ってるところがないかチェックするのが主な役割である。
事件が起こったのは対話後の共有の時間であった。グループの代表がどんな話をしたか述べるというものだが学生の意見としてこんな意見があった。

・「先生は当事者とは何でしょう?とか誰までが当事者なのか?と疑問を述べていたがわかっていないのであれば話さないでほしい。先生自身も当事者のふりや被害者ヅラしているといいたいことを言っているだけなのではないか?」
・「東工大の教員でさえ間違えた説を唱えてしまったくらいなので致し方ない。科学は失敗や犠牲がつきものだ。」

これらはなるべく発言の意図を損なわないように注意しつつ書いたものであるが、字面だけ見るといささか極論に感じる。が実際は心理的安全性を保った対話の中で、学生たちが自然と持った意見であることや、これ以外の意見もたくさん様々な水俣に寄り添う発言や科学技術の安全について真剣に問い直したいという旨のものもあった。

「わからない」というのを字面通り受け取っているし、東工大の有機アミン説の中身を知ると科学的な間違いとは到底言いづらいものである。
正直、私は面食らってしまった。
もちろん、対話であるので他者を傷つけることを意図したり、発言すること自体や存在根本から否定するのは対話ではないと思っている
今回の場合は真摯に対話をしていたのは知っていたし、この場合には当てはまらない。

それでもどこかでこの発言自体を否定したい。無かったことにしてしまいたいとどこかで思っている私がいることに気がついた。

ちなみに、この顛末としては教員がそれに対して、コメントは発言が適切かどうかもう一度発表者に尋ねたうえでグループの他の人の意見を求めるものだった。そのうえで発言の中から妥当な意見をうまく引き出して軌道修正をしていたように思う。鮮やかなものでした。
それに対して私のコメントは情報量を足すことをしたが逆の立場だったら特に響かないだろうなと感じた。
もちろん私には何かを教える権限は全く与えられていない。

それでも、水俣病と話を小一時間聞いてわかった気になって結論としてしまうのはあまりに勿体無いし個人的に違和感を覚える。(それこそ講師が講義中に問題視してきた点だ)
この葛藤は今も残るし、より科学技術を問い直すきっかけとしてのワークショップの研究を進めようと誓った。

4.最後に

一つ一つの経験や感情は本来とてもビビッドなものである。のっぺり言語で記述してしまうとやはり冷めて色あせてしまう。こう書いている私の感情もどこまで伝わっているだろうか?もちろん万人に響けば良いというものでもない。叫ぼうかしら(笑)
リベラルアーツ協会をやっている理由はこんな話を聴いてくれたり、反応してくれたり、共感してくれたり、批判反論してくれる仲間同士が様々な世代にいてほしいという単純な思いからである。
7アンバサダーの皆さまが記事を投稿してくれるのでよりそのきっかけが増えてきていると感じてます。

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