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【ふなログ695】人生は「ミッシングリンク」を繋いで伏線回収し続ける旅。


本日、
国立競技場Enjoyマラソンリレーマラソンに参加します。

「10月に入ってから毎日5km練習する!」
とか鼻息荒く月初に書いていましたが、

「一週間坊主」であとは、
ゆるく2km走ったり歩いたりする程度で、
ゆるゆると繋いでいました(やらないよりも全然マシ!)。


先ほども軽く2km走ってきました。
「天高く馬肥ゆる秋」とばかり、
良い天候で程よく汗をかく。

「天高く俺肥ゆる秋」になりそうだったので、
少しだけ現実に戻されました(笑)


最近、色々活動したり動いてはいるものの、
「編集」とか「ブレンド」「調合」
のような段階であるように感じています。

何も考えずに、ただ行動しているだけでも
「やり散らかし」になるだけですし、
「俺色々やってんだー」と自慢にもならない自己満足に
気づかないうちに陥っていたりもする。


しかしながら、
行動しないで考えているだけでは
何も起こらないのも事実。

昨日は、
午前中の専門学校の授業を
初めてシェアオフィスの中でやってみました。


土曜のシェアオフィスは閑散としている分、
自分の声が部屋に響く。

恥ずかしさもあって、
自分の部屋の中と違ってちょっと素を出せなかった。

これもまた
一つの発見であり一つの経験。


ドラクエでも、
スタート地点の「ラダトーム城」とか
「ローレシア城」とか
「アリアハン城」から一歩も出なかったら、何も起きません。
(ドラクエⅠ、Ⅱ、Ⅲのスタート地点となる城)

特にドラクエⅠは、
ラダトーム城の目と鼻の先に、
ラスボスの竜王の居城があるのですが、
海を隔てていた島にあるため、最初から乗り込めません。

竜王の城に行くために必要な
アイテムを集めるために
色々な場所を遠回りします。


しかしそれも、
最初から分かっているわけではなく、
色々な場所を回っていく過程で、
アイテムの存在が必要であることがわかり、
そのアイテムを集めるために必要なものも集めたりします。

これ、
「動けば次に繋がる道が分かる」
「伏線が見える」といった過程として分かりやすい
比喩として使えます。


それに対して、
「色々と点在した伏線を回収する」
という捉え方もあります。

推理小説などで、
最後で探偵?的な人物が数々の証拠を立証して、
容疑者の中から犯人を特定する
というシーンです。


それもそうなのですが、一方で
「過去の出来事のそれぞれを事後的に再解釈して、
伏線を繋げていく」という捉え方もあります。


最近、実は
ガンダムシリーズの過去の作品を
再解釈してコミック化された物にハマっています。
(仕事しろー!なんですがw)

オリジナルの原作で登場した人物や、
出来事などを、別の作者が再解釈して
オリジナルエピソードやセリフを挿入した作品です。


ある作品のAmazonレビューを拾い読みしていたら、
「この人物とこの人物とのミッシングリンクが繋がるようなエピソードで素晴らしい」
のようなレビューコメントを見つけました。
(詳しくは覚えていませんが)

別の作者なんですが、
多分思い入れが強い故にバラバラの物語を
一本の物語として再解釈出来ているようなのです。


これ、
「自分の人生にも同じことが言えるのではないか?」
と、最近思っています。


ここの出来事や行動、
出会った人は、事実としてはバラバラなのですが、
解釈を加えることで一本の物語として
繋がっていく感覚。

後から一本に繋がっていく
スティーブ・ジョブズの「Connecting the dots」のよう。


ただ、解釈する本人が
「どのような人生を生きたいか?」の意思を持って、
再解釈を加えることで、個々の出来事が再構築され、
新たな原動力が湧いてくるのかと。

昨日は小休止して、
「自分の欲求が何処に在るか?」を
ぼんやり振り返る時間としていました。


これが冒頭で語った
人生での
「編集」とか「ブレンド」「調合」の段階。


自分の人生にも
ミッシングリンク(失われた繋がり)がないか?

そんな「失われた繋がり」を
色々な出来事や出会いに繋げていく旅が
人生になるかもしれません。


さて、国立競技場に向かう道中の電車の中で
書いているコレですが、
マラソンリレーもミッシングリンクを繋げる
旅の行程になるか?

楽しんで走ってきます!


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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