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【ふなログ636】最後までやり切る。「自分なんか」という言葉は死んでも発しない。


先週末の話になるのですが、
娘のピアノの発表会を鑑賞しに行きました。

※前回、
『ファイトクラブ的な朝活に殴り込み(前編)』
という記事を書きましたが、
後日談に進展があり次第「後編」を書かせて頂きます。
(「ギリギリ起床して間に合った(冷汗)」とだけ書かせて頂きます)
→ま、みんな覚えてないでしょうから、しれっと書きます(笑)


ピアノ教室に通っていて、
ピアニストに育てるような英才教育は全く考えていませんが、
小さい頃からリズム感があり、絵画や音楽に強い興味を示し、
情操教育にもなると思い数年前から通わせていて、
今年初めて、発表会に参加することになりました。
(本人はデザイナー志望)


先生に引率されてステージに入り、
グランドピアノの前に座る。
引率されている時、緊張感が伝わりました。

大勢の人を前にしたステージというのは人生初。

少々ぎこちない部分もありましたが、
最後まで弾き切ることができ、演奏を終えました。


「親としてどうか?」とも思ってしまうのですが、
正直な話、
上手い演奏ではないと思いました。

ただし、
途中明らかに譜面を忘れてしまった(あるいは頭が真っ白になった)ような時があっても、
狼狽えることなく止めることなく最後まで繋いだことは、
「よくやったな」と感動を覚えました。


緊張のあまり頭が真っ白になり、
何もできなくなってもおかしくない場面でも続け、
自暴自棄にもならず最後までやり切りました。

きっと先生のご指導のお陰とも思いますが、
私の方が重要なことを学んだ思いでした。


我々大人であっても失敗を恐れたり、
高い壁を目の前にして
諦めそうになったりすることが沢山あり、
その時に完全に身動きが取れなくなることもあります。

しかし、失敗しようとも動き続ければ、
紆余曲折しながらも前に進むことができる。


多少、騙し騙し進めてしまうことはあっても、
「放送事故」のようにストップさせず、
最後まで自分に課した「バトン」を
未来に向けて、
最後まで渡し続けることが大切です。

完璧にできないとしても最後までやり切る。


中断することよりも、
「動きのある不完全さ」の方に人は関心を持ちます。

中断させた瞬間、自ら可能性を閉ざし、
周りからも関心を失うことになります。


自分が決めたことを最後までやり切る。

それが「荒唐無稽」であったとしても、
色々な可能性を模索しながら、
起床してから寝るまでずっと考え続けて、
とにかく動いて未来に繋いでいくのです。


完成、ゴールまでは険しい道のり。

最後まで弾き切ってステージを終えた
娘の発表会を通して、
改めて、
死んでも「自分なんか」という言葉を
思わない、口に出さないと決めました。

「自分なんか」という言葉を出した瞬間、
今の取り組みから逃げることになるからです。


最後まで続けていくためには、
最も口に発してはならない言葉です。
最後まで自分を信じた者だけが
悲願を達成できるからです。

過去、
口グセとして「自分なんか」を
私はよく発していましたが、

発している間、良かったことは一つもなく
明らかに闘志を
自分自身で奪っていました。


だから、
自分で自分の闘志を削いでしまう言葉は
死んでも発しない。

最後までやり切るために必要な心掛けです。


ついでに余談申し上げますと、
つい先日に誕生日を迎えました。
改めて、闘志を削ぐ言葉を発しない。
闘志を高める言葉を集めていく。

そんな新たな己(おのれ)を
スクラップ&ビルド、破壊と再生、
再起動、誕生させるRe-Birthな日。


誕生日を迎えながらも
登っているような登っていないような
踊り場のような日々が続いていますが、

そこで自分を諦めたら、
そこで試合終了ならぬ登山終了です。

そんな時期こそ「エネルギー充填の時期」と捉え、
最後までやり切る初心に返って突破あるのみです!


今回の気付きは娘のピアノ発表会から。
最後まで演奏し切った娘には、
「自分なんか」という言葉はなかったはず。

今年は他者と積極的に関わり、
まずは、
見込み客を増やすところから力を入れていきます。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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