「解放」
そういえば先週33歳になった。
タイムラインやコメント欄やDM、ストーリーズ、レター等、沢山のメッセージ本当にありがとうございました。
っていうほどもらってないけど。
あえてもらわないようにした。
気付いた人もいたかもしれないけど誕生日だけFacebookを利用解除にした。
誕生日も公開しないようにしたし、タイムラインの投稿も出来ないようにした。
レターポットも退会、DMなども仕事以外一切見ないようにした。
今年は何も誕生日を感じずに生活したかった。
今年は一人で誕生日を過ごした。
お祝いするよと言ってくれた友達もいたけどお断りをした。
今年は「おめでとう」を受け取る心の余裕がなかった。
ここ2年いろいろなことがあって、今年は一人で自分のことを祝おうと2〜3ヶ月前から決めていた。
ここ最近の誕生日は思い出が濃すぎて、ちょっと休憩したかった。
誕生日がなんだか非現実的な日に感じていて、誕生日が終わった後の空虚感がいつも心地が悪かった。
誕生日もいつもと変わらずただの日にしてみた。
よくよく考えてみると誕生日に誰にも会わないのは生まれて初めてかもしれない。
学生時代は友達がいたし、卒業してからは前の奥さんがいたし、なんだかんだで自分の誕生日には誰かしら周りに人がいた。
今まで自分は恵まれていたんだな。
たまたま今年の誕生日は仕事が休みだった。
どこか行ったことのない落ち着いた場所にでも行こうかと思ったけど、結局行ったのは結婚していた時に住んでいた浜田山だった。
息子と遊んだ公園に行って、よく二人で電車を見た場所に行って、オリンピックでラーメンを食べて、スタバで幡野さんの本を読んだ。
夜は自分が観てみたかったアーティストのライブがたまたま誕生日に公演があり、自分へのプレゼントで行ってきた。
人数も少なく、のんびり大人な雰囲気でライブを堪能出来た。
やっぱり行ってよかった。
今年に関しては周りの声をシャットアウトして一人で誕生日を過ごして良かったと思った。
友人からのおめでとうメールは完全に止めることは出来なかったけど、DMをくれた人はなんからしいなという人ばかりだった。
Facebookの過去の投稿で毎年誕生日を迎えた後の気持ちを綴っていたけど、どれも前向きで感謝を示していた。
でも、自分の誕生日って無くてもいいなって思ってしまった。
産んでくれた母には本当に感謝してる。
父には感謝してないけど。
父とはもう縁を切ることにしている。
もう他人だ。
32歳は出来ればしたくなかった選択をしたり、生きることを一度真剣に考えたり、コロナのせいもあるけれど結構苦しかった。
本当にこれで良かったのかと今でもたまに思う。
よく言うと地を固められて悪く言うと引きこもっていた年でもあった。
でもそのおかげで改めて今一番何が大切なのかを知ることも出来た。
するべきことがハッキリとした。
より"自分のため"に生きることを意識した。
今は自分を守ることを第一優先にしている。
だから最近顔付きが変わったとか、いい顔になったねとか言われるのかもしれない。
「変わらなくていいよ」って言われるけど、その言葉は呪縛に近い言葉に今は聞こえる。
変わらなきゃいけないんだ。
このままだと僕は誰も救えない。
きっと来年の誕生日もどうなってるかなんて想像出来ないし、今思ってるものと全然違うものになっていると思う。
そもそも生きてるのかもわからんし。
予想もしなかった場所で、予想もしてない人と一緒にいるかもしれないし、来年も一人で過ごしているかもしれない。
未来は誰にもわからない。
33歳はとにかく余計なものを取り除き、ただひたすらに進む年にする。
よりシンプルに生きていく。
なんかわからないけど、明るい未来が待っているような気がしてる。
ちゃんと恩返し出来るように頑張るから、もう少し待っててね。
happy birthday to me.
photo by 今田 有香 シャンシャン
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