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169 心を耕す

雨が去ったと思ったら雲が残って、ぐずぐずした空が続く日々。
叔母の家の近くにある山には、もうリンドウが咲いているらしい。
濃い青色の花は涼しげで、秋の訪れを思わせる。
季節がゆるやかに、でも確実に移り変わる中で、私はコーヒーを飲みながら仕事をして仕事をして仕事をしていた。

私はわりと細かくこだわる方で、例えば人の文章の校正をする時に、気になる言葉があったらとことん調べてしまう。特に専門外のことだと、その言葉の説明に使っている言葉の意味がわからないことがあり、迷路に入ってしまったようになる。

そうやってどんどんダンジョンのような知識の中を泳いでいる途中で、はたと「あ、今ここまで調べなくていいんだった」と思ってまた校正作業に戻る。
そんな寄り道を繰り返していると、自分でも効率悪いなぁとおかしくなる。

とはいえ、過去に人から「それ、何の意味があるの」と言われたときはややショックだった。

たしかに。
いやいや、仕事の仕上がりには関係ないかもしれないけれど、意味がないわけではない気がする…。そんな風に思いながらも、小心者なのでヘラヘラしていた。


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先日友人から連絡があり、久しぶりだったこともあって長電話を楽しんだ。

その友人は私と正反対な華やかタイプだが、家に花を飾ったり、入浴剤を集めたりするのが好きだという共通点があり、ときどきおしゃべりするのだ。

彼女は恋多きタイプで、彼女に最近どう?と聞いたら、毎回違う(と思われる)男性の名前が出てきてくる。数ヶ月前に聞いた男性と同じ人だと思って、相槌を打つと
「いやだ、それいつの人のことよ」
と笑うので、私もおもしろくなる。

彼女は人を心から信じるので、男性に裏切られたら激しく悲しむ。数年前までは、よく私の家に来て号泣していた。そんな時、私はひたすらティッシュを渡しながら、彼女が立ち直るのを待っていた。

ほとんどの男性の名前はもう覚えていないが(だって、会うことがない人の名前がタケシでもアツシでも大きな問題ではない)、一人だけよく覚えている人がいる。
マイケルくんだ。

マイケルくんとの交際が決まったときは驚いた。
「ママママイケル!?」
と冗談ではなく言ったと思う。

私はそれまで海外の人との交流をほとんどせず暮らしてきたので、彼女の人脈の広さというか、あらゆる人を魅了する力に感心した。

マイケルくんは友人と2か月間付き合った。日本語が上手で大らかな人だった。その大らかさで、友人の交際と同時に大勢の女性と関係を持っていた。そのことがわかったとき、友人は泣いて謝るマイケルくんにきっぱりと別れを告げた。そして、そのまま私の家に来て号泣した。

彼をよく覚えているのは、海外の人だったからかもしれないし、私が直接会った数少ない友人の恋人だからかもしれない。マイケルくんを紹介された日、友人が席を立った途端に彼はやたらと私の連絡先を聞いてきた。女性全般が好きな人なのだろう。もちろん断ったが、その時マイケルくんの言ったことはよく覚えている。

「無駄なことなんてないよ。一生連絡取らないかもしれない。でも、知っておいていらないことはない」

状況としては、恋人がいながら女性関係を広げたいという下心があったのだろうから、けしからんことだ。でも、「無駄なことはない」「いらないことはない」という言葉だけは今でもときどき思い出す。

そういえば、マイケルくんは何ごとにも興味を持っていた。
当時、私は大学生で文学の世界に没頭していた。すでに働いていた高校の同級生の中からは「それ、将来に役立つの?」と皮肉ではなく素朴な疑問として言われることもあったが、マイケルくんは違った。

「いいね。〇〇(友人の名前)から、君の話はおもしろいと聞いていたよ。それは、そういう学問を通して心を耕しているからだね」
と楽しそうに話を聞いてくれた。

彼にとっては、仕事に役立つかどうかなんて疑問すら浮かばないのだ。

マイケルくんは女性関係にルーズで、友人を号泣させたとんでもない人だが、意味など考えず好奇心そのものを認め、大切にしていた。そういう点では、やさしい人だったと思う。


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コーヒーは雨の日には雨の日の味になるし、晴れの日には晴れの日の味になると思う。
最近はコーヒーの苦さが好きだ。しみじみおいしいと思う。

仕事が一段落したときに飲むコーヒーはいつもやさしい。
香ばしい香りが、私の時間を認めてくれている気がする。

きっと、私は仕事を通して仕事以上のものを得ているだろう。
それは、何かに使っても使わなくても私の養分になっている。
「知りたい」思いはきっと明日につながっている。

今、友人は悲しいことがあっても、私の家には来ない。
一人で整理するようにしているそうだ。
たくさんの恋の経験は-友人にとっては苦い思いがするそうだが-、確かに彼女を強くしている。

無駄なことなんてないのだ。

すべてのことに意味をつけなくてもいい。
誰かにとって余計なものであっても、いらないことはない。
友人が涙を流した時間も、私が蓄えている知識も大切な根っこになる。
どんなことでも人生の栄養になるのだから。

私たちは、心を耕して続けているのだ。



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