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179 明るいキッチン

空気は冷たいけれど、穏やかな夜。
お風呂に入って、歯磨きもして、暖房を切って、その日の気分の本を連れてベッドに入る。
明日はお休み。どう過ごそうかなと思いながら本のページをめくる。
その日の気分は雑誌。色とりどりの写真と短い文章が心地よい。

自然豊かな場所に行きたいな。
本屋さんに行って、新しい本をチェックするのもいいな。
それとも、アップルパイを食べに行こうかしら。

休日の前のわくわくは静かに、でも確かに心躍らせる。
雑誌の中を進んでいくと、「煮込み料理特集」にたどり着いた。
この時間に雑誌の料理ページを見るのは、とっても危険。
お腹が鳴ってしまうから、さっと飛ばした。

その後も、泳ぐようにゆらゆらと雑誌を楽しむ。
小旅行の提案や素敵な洋服の紹介、おすすめ映画…。
誰かが考えて、リサーチして、まとめて、印刷した秋色の雑誌。
しばらくながめていたら、目がとろんとして、そのまま眠った。

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目が覚めて、時計を見たら9時半。
あぁ…寝坊。そう思って起き上がると、開いた状態の雑誌がベッドの下に落ちていた。
煮込み料理特集が載っているページだった。

キッチンは、午前の光を取り込んでやわらかい色合いになっていた。
全体的にふんわりとした空気。窓の向こうは青空が見える。
自然豊かな場所に行くのも、本屋さんに行くのも、アップルパイを食べるのもいいけれど、今日は、この心地よいキッチンで過ごすのもいいかも。

そう思い、家にある野菜をひっぱり出してみた。
れんこん少し、にんじん半分、ごぼう半分、大根少し、さといも一つ、きのこがいくつか…。
お肉はないけれど、筑前煮を作ることにした。

冬の光は優しくて、野菜の色をやわらかく見せる。
出汁を取っている間に皮をむいて、乱切りにしてバットに入れる。
何かの本で「お野菜の処理をしてバットに入れる時も丁寧にしています。きれいにならんだお野菜を見ると、料理がもっと楽しくなるから」といった内容を読んだことを思い出して、実践してみる。

れんこんのベージュに、にんじんのオレンジ、大根の白、椎茸のほとんど黒に近い茶色。
明るい時間に見る野菜たちは、はっとするほど美しい。

材料をお鍋に入れて、ことことと煮る。
私はスツールを持ってきてコンロの前に座り、お鍋の様子を見る。

野菜たちは、ぐつぐつと身を揺らしながら、じっくりほぐれていく。
根菜ばかりなので、しっかりと時間をかけて煮込む。

私は、こういう風に煮物を見ながら考えごとをするのが好きだ。
とりとめのない雲のような考えが浮かんでは消えていく。

仕事のことを考えることもあるし、友だちのこと、家族のこと、自分の過去や未来について想う。
自由にわいてくるままに、考えの種や記憶のかけらをながめる。
それは、さまざまな色や質感を持って私の中を通過する。

あの時はやさしい気持ちになれた、あの時、もっと良い言葉をかけてあげればよかった、明日からこんなことを気をつけよう…。
嬉しいことも、少しさみしいことも、不安なことも一緒に流れていく。

その中で、ふと気がついたことがある。
それは、過去にあったことは、良いことも悪いことも不思議と同じような質量と感じること。

例えば、受験勉強がうまくいった時、恋人ができた時、就職活動がうまくいかなかった時、両親が不仲だった時、大切な人を失った時…どの時も今では同じくらい大切な時間だったと思える。

私は、幼い頃から身近な人が亡くなる経験を割としていて、その度に「私もこんな風に動かなくなる時がくるんだな」と思っていた。家族や親族だけでなく、同い年の友人や中学・高校の恩師が亡くなったこともあり、「動かなくなる時」は、いつかではなく明日かもしれないんだなとも思った。

それは、決して悲観的な感情ではなく、風が吹く理由を知った時とか、満天の星空を見た時とか、そういった自分の力ではどうしようもできないことがあると「学んだ」という気持ちだった。

それらの経験は、もちろん悲しくつらかった。
恩師が亡くなった時は、家族に心配かけたくなかったので、公園で泣いた。
友人が亡くなった時は、部屋でわんわん泣いて涙を全部出し切ったのに、お風呂でまた泣いた。

何も考えられず、ただ天井の模様を見ていたこともあった。

でも、今思い出すのは、その泣きじゃくった記憶よりも、友人と過ごした時間や恩師からの言葉の方がずっと多い。

友人とイラストを交換したこと、一緒に帰ったこと、その帰り道で誰かの手袋が落ちていて、なぜかそれがすごくおもしろかったこと…。

恩師から言われた「とりあえずやってみなさい。好き嫌いは、やってみたあと判断すればいい」や「この世は不平等で不公平だ。理不尽もたっぷりある。でも、くさらず生きなさい。」という言葉の贈り物。

どの記憶も思い出すたび、じわじわと温かい気持ちになる。
記憶も時間をかけてやわらかくなったのかもしれない。

これから起こることも、いつか思い出になる。
そう思って、今の自分を見直し、未来に想いを馳せる。

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さて、こっくりした良い匂いがして、筑前煮ができた。
煮物は冷める時に味が染みるそうなので、すぐ食べるよりちょっと置いた方が良さそうだ。

煮物は待つ時間を信じるのも大切。

私は火を止めて、さっと身支度をした。
やっぱり、本屋さんに行って、アップルパイを買ってこよう。
気が向いたら、大きな公園に行ってもいいな。

ドアを開けたら、キッチンと同じくらい明るい景色。
さっぱりした風がつんと吹いた。
いろんな色、形、やわらかさの記憶と考えを持って、私は歩き出した。

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