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うつ、その後

この前近況で「うつで休んだりもしたけれど私はげんきです。」というようなことを書きましたが、もうちょっとそのあたりを聞きたいというような雰囲気をキャッチしたので、空気を読んで書いてみますね。

うつ闘病日記である『再婚生活』(角川文庫)という本で、私は「寛解」という言葉を使ったかどうか覚えていないのですが、今の状態もそのような感じと言っていいでしょう。

歯切れの悪い表現をしたのは、実は文庫版『再婚生活』、出版にあたりゲラ読み作業をしたのを最後に読み返していないので、記憶に霞がかかっているのです。


どうして読み返していないのかというと、読みたくないからですねー。
商品として売っておいて、書いた本人が読みたくないってまったく失礼な話ですよね! 本当にごめんなさい。伏してお詫び申し上げます。


あのこれ『再婚生活』に限らず、エッセイは他のものもほとんど読み返していないんです。
ほんの時折重版がかかって見本が送られてきたときに魔が差してちょっと読んでしまうと、わー!と叫んで壁に本を投げつけたくなります(実際は丁寧に本棚へ仕舞います)。

その「わー!」がどんな「わー!」かと言うと、飲み会とかで調子に乗って喋り過ぎてしまって、翌朝「あんなにベラベラ自分のことばっかり喋るんじゃなかった、昨日を消したい!」と狂おしく後悔するようなそんな気持ちです。
小説は全編に渡って嘘なので、そこまで後悔することはないのですが、エッセイはつらい…。


というわけで『再婚生活』でどこまで書いたかうろ覚えなのですが、病状としてはあとがきを書いた時とあまり変化はないような気がします。
病状、という言葉を使うと、なんかまだ病んでらっしゃる? と思われそうですが、今も一か月に一度通院し、軽い薬を処方してもらっているのでそう表現しました。

軽め安定剤&軽め入眠剤に加え、時折軽めの漢方薬やアレルギー薬を出してもらい、定期的に基本的血液検査。今となってはかかりつけ医のようなものですね。



病の最中に下落した体力ですが、今は一時間くらいのウォーキングはなんてことないし、月に数回長野県と神奈川県を往復しているし、海外旅行も行けるくらいなのでかなり大丈夫な感じです。


しかしいつからこんなに体力回復したんだっけと振り返ると、確か2010年に友人と京都旅行をしたとき、私があまりにも歩くのが遅かったようで「この人まだ体調が悪いのかも」と心配された思い出があります。2010年の時点ではまだ万全とは言えなかったのかも。

ですが歩くのは今でも遅いかもしれない。山登りとか、音楽フェスとかはつらいです。ランニングも無理目。でもそれはうつの後遺症なのか単なる老化なのか、その境目は不確かです。


まだうつが治りかけの頃に一番ぞっとしたのは、うつは再発することが多いという都市伝説です(いや伝説ではなく本当らしい)。
でも生きていればストレスはあるのが当たり前なので、ストレスを失くすというよりは、受けたダメージに敏感になろうとその時心底思いました。

私は気を付けてあげないとすぐエンストするポンコツな車である。でも人生で与えられた乗り物はひとつなので、この車に乗っていくしかないというイメージです。毎月ボンネット開けて点検しちゃう。


ストレスが体にダメージを与え始めると、私の場合は呼吸、歯茎、首に出ます。あと入眠が下手な上に睡眠不足に弱いので、そこにも非常に気を付けています。


二度とうつっぽくなりたくない、そのためなら何でもする、くらいの気持ちです。

だって、うつ、つまんないから!
本当につまんないよ、うつ! 来る日も来る日も憂鬱なんだよ、うつ!


いま人々がコロナに気を付けているくらいに、私はうつにも気を付けています。どんなに気を配っていてもかかることがあるのが病気だけれど、できる予防はしていこうと思っています。


ではまた近いうちに!


※追記

先ほどエッセイを読み返すと「わー!」となると書きましたが、それは自分のことだからそう思うのであって、他の作家さんの赤裸々な告白本は大好物です!

エッセイに限らずフィクションでも、書いた人が「あんなことまで書かなきゃよかった」と後悔するくらいのもののほうが迫力があって面白いのは事実なんですよね……。それは自分が小説と向き合うときいつも思う悩ましい点です。


再婚生活








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