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日日と魂に:子育てや疾患についての走り書き_8

2023/10/29
お土産を買い回るため妻、娘、母と市内を車でうろうろ。必要確実な個数を表にまとめて、少しでも買い物がスムーズに進むよう努める。もっと適当にやればいいものを。結局皆を振り回していたのかもしれないし、結局それは今にならないと分からない。
両親から引越し初期費用分の資金を工面してもらう。必ず返さなければならない恩を、この歳になってまた受けてしまった。プレッシャーとは捉えないが、二人を早く安心させたいと心から思った。

10/30
東京帰還。
この2ヵ月(発症、離脱、ストレス源となる土地を離れ帰省、一旦東京戻り通院、再度帰省、帰還)、暑→涼→暑→寒→暑と夏〜秋を行ったり来たりして自律神経がバグるも、身体そのものの体調不良はほとんどなし。練馬に戻ると、職場と距離が近いためか、全身が鈍く緊張し張る感じがする。随時、漫然と不安が押し寄せる。当時は言語化不可。

10/31
メンタルクリニック受診。薬剤調整、変更なし。引っ越しの手続きを進めていることなど、環境が大きく変わることに対し先生がだいぶ驚いていた。妻同席。病状の説明は割と上手に出来ていたとのこと。
妻による短期間引っ越し大計画は着々と進んでいた。こういった節目の手際には毎度恐れ入るばかり。豪胆な実行力、あまりに丁寧かつ迅速な事務手続き。鮮やか、これに尽きる。自分はあまり状況を把握せず自室のベッドにて時間が過ぎるのを待っていた。情けない&恥ずかしい。窓から顔を出して外を見ることも出来ない。

11/1
起床後、気分は大変優れず。引っ越しの日取りまでのカウントダウン、退職届提出のやり取りの日々が迫り来る事実(自分は何もしなくていいよう調整してもらっているくせに)に、無駄に追い詰められる。いい加減動きたくなれと自分を責めている。焦燥感が時間を追うごとに増し、冷や汗が噴き出る。
娘の顔を見て、妻に状況を伝えて安定剤内服、動く用事があれば子供をみておくから先に済ませてほしいとお願いする。夜に引越しの梱包作業を少し始めた。娘が入浴の度に大泣きするようになり、今日はついに湯船内に大量の吐瀉。妻に娘を安心させてもらい、素っ裸で風呂中を洗いまくる。上手く落ち着かせてやること叶わず、申し訳ない限り。
ふと、初診?再診?時にメンタルクリニックの医師に言われたことを思い出し、血の気が引く。「一歩手前、あるいは一度踏み越えてからすぐ戻ってきたような状態なのかもしれません。また景色がピンク色やサイケデリック?という表現を使いたくなるような見え方をすることがあれば、すぐ近くの伝えることが可能な人に伝えて助けてもらって下さい。こんなに恥ずかしい恥ずかしい、と感じること自体が症状の一つととらえてもいいでしょう」。自分がピンク、サイケといった言葉を使った記憶などとうに失われていたが(エマージェンシーのイメージ?)、家族にそのような発言をしたという。これは今、2024年7月現在に思い返しても信じがたい。
ここで付けているメモがなかったら、発症後の生活の変化の経緯もほとんど忘れていたのかもしれない。メモが書けていない空白の期間のことを考えると気が滅入る。

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