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三角縁神獣鏡も箸墓古墳の実年代根拠にはならない

纏向学研究センター(奈良県桜井市)が2022年8月に刊行した『纏向学の最前線』で、岸本直文さん(大阪公立大学)の論文を見て驚きました。

〇1990 年代の三角縁神獣鏡研究により、箸墓古墳は3世紀中頃に特定され、卑弥呼墓と考えることができる〔岸本 2004〕
〇邪馬台国の所在地は畿内ヤマトで決着し、〈魏志倭人伝〉に見える邪馬台国と…倭王権は直結し、連続的発展として理解できる
〇年代の定点として、箸墓古墳の埋葬時期は 250 年頃であるとした【註記】
〇【註記】この姿勢は「結論ありき」との反感を招くだろう。しかし、箸墓古墳が最初の巨大前方後円墳=初代倭国王墓=卑弥呼墓との見方は…箸墓古墳が3世紀中頃であることを考古学的に詰めた上での結論である〔岸本 2004〕

「庄内式の年代再考」(岸本直文)
『纏向学の最前線』 p105-114(纏向学研究センター、2022年)

三角縁神獣鏡が箸墓古墳が250年頃であることの根拠になっていることを知らなかったので、まずビックリ。邪馬台国が近畿、箸墓古墳が卑弥呼の墓だと、ここまで断定していることに二度ビックリしました。

箸墓古墳が3世紀中頃の根拠としては3つ目の説になります。

僕はこれまで、炭素14年代測定、画文帯神獣鏡を根拠にした説が成り立たないことを記事にしてきました。

この記事では、箸墓古墳の実年代の最後の記事として、三角縁神獣鏡が本当に年代根拠になるのか、検証してみたいと思います。 

※おことわり
この記事は新しい情報を加え、以下の記事(第2章)に統合しました。
(最終更新2024/1/13)


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