快楽追求の行き着く先
こんにちは、ふみりまです。
今日は僕が禁欲について思っていることを書いていきます。
昔から禁欲は美徳だと言われてきました。もし、禁欲さえできれば自分の苦しみから脱する事ができるのではないかという望みから生まれてきた概念なのかもしれません。
よし、今日から禁欲しよう!
と思うのは簡単です。今すぐ自分の依存している事をやめれば良いのです。ただ、それだけです。
例えば、飲酒を止める。タバコを止める。悪い癖を止める。ポルノ視聴を止める。自慰行為を止める。
これらの快楽が自分や他の人達に悪い影響を及ぼしている場合、禁欲する事は自分や周囲の人達にとって良い方向に働きかけてくれると思います。
でも実際に禁欲というのは苦しいです。
禁欲が苦しいのは、自分の依存している事を禁じたのに、頭の中はずっとその事でいっぱいで、自分の欲望に耽りたいと思い続けてしまうからです。
行動と思考のギャップがとても苦しい。
しかも、頭はずっとその事を以前より肥大化して考えているから苦しみは更に増すばかりです。
この苦しみから解放されたい、早くしたい。
苦しみに耐えられず、禁欲を止めた事がありました。その時の自分の思考は「よし、今日から禁欲しよう!」と誓った時とはほど遠く、欲しくてたまらなかった快楽にどっぷり浸かっていたい、ただその一点です。
でも、やがて妙な事に気づきました。変な違和感です。
頭で想像していためくるめく快楽よりも現実の快楽はあまりに儚くつまらない事だと感じました。
そして次に失望、落胆、喪失という感情が来ます。
僕はこれもひとつの自分試しと思って禁欲をし続けています。自分を知る上での良い習慣だと思っています。
世の中、禁欲をしている人達の中には克服した人もいるでしょう。僕みたいに強い意志で禁欲しなくても自然に止められる人もいるでしょう。あるいは逆に、もっと激しい快楽であるべきだと刺激的な状況や状態を求める人もいるでしょう。
もし後者を選ぶと、次に来る失望、落胆、喪失と言った感情はもっと深くなるだろうと思います。以前よりも深い快楽を探して暗くて光が見えない所まで潜り続けてしまい、そしてもはや以前の状態に戻る事ができなくなってしまいます。その上、身体の苦しみとして加わってきます。
これは例えるなら蟻地獄のようです。
いつしか生活の一部になっているそういう地獄をいつまでも這いずりまわっていると、自分の人生において何も成し得なかったという結末に至ると。
今日は文章が長くなってしまいました。僕のダークサイドな部分で読みづらかったらすみません。
皆様、最後まで読んで下さりいつもありがとうございます!
またお会いできたら嬉しいです!
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