新たに発見した私の癖「飛び級したがり」


昨日noteでオーバーワークな近況を書いたが、友人に会った時に「最近コンビニ飯が続いていて不調気味」という話をした。それを心配した友人が「スーパーのお惣菜にして、お皿に盛り付けるだけで気分が上がるよ!」と、今日から実践できちゃうずほらライフハックを教えてくれた。

それなのに私は今日何故かオムライスを作った。久しぶりに台所に立ったら案の定手際が悪くて「それはもうスクランブルエッグだね」くらいにポロポロした玉子をケチャップライスの上に盛り付け(?)た。味はまあまあ美味しかったのでなんとか自尊心を保った。ふぅ、危なかった。

私にはこういうところがある。こういうところとは、「少しだけ改善する」とか「初歩的なところからやる」とか、そういったことができないのだ。いつも大胆にすべてを変えたがる。

ひとり暮らしをしていた大学時代。料理をほとんどしなかった(ほとんどと言うとまぁまぁやっていたように聞こえるが1年に3回あるかないかのレベルだった)私は、周りの人に料理しないことを話す時のなんとなくうしろめたくなる事象から逃れたいがためだけに「今日から料理しよう!」と意気込んだ。肉野菜炒めなりカレーなり初歩的なところから始めればいいものを、私が腕まくりをして作ったのは「ぶり大根」だった。なんでだよ。

滅多に料理をしない人が突発的に作るぶり大根が美味しいはずもなく、その出来に悲しくなって次の日からもう料理をしないのだ。そしてしばら〜く経ったころにまた「和風大根ステーキ」とかちょっと凝った風の料理を作りたくなって、そう簡単にはうまくいかず、やっぱり翌日からしなくなる。ほぼ発作である。「突発性凝った料理作りたい発作」。特効薬はない。 


たまたまどちらも料理の話になってしまったが、私は人生においていつも飛び級したがる。その理由は検討がついていて「どうせやるならいっちょかましたるか」という謎のチャレンジ精神ともったいない精神。いつもやらないことを時間かけてやるならドカンと花火を打ち上げたいのだ。そもそも「飛び級」ってシンプルにかっこいい。天才感がある。実は今も「飛び級」にちょっと憧れている。自分のことながら、考え方がアホすぎて驚く。

飛ぶことに意識をむけすぎて足元を見ていないためにずっこけてしまうのが私の癖。飛び級はかっこいいけど私は飛び級側の人間ではない。27年かけてじわじわとそれを実感した。足もとを、目の前にあるものを、しっかりと見つめて一歩ずつ着実に踏みしめる。飛ぶならそれがちゃんと出来てから飛んでくれ。頼むよ自分。

明日からは友人に教わったハックを実践して「ちょっとQOLをあげる」方法でやってみよう思う。「一歩一歩、着実に」に慣れるために。


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