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耳の使い方_2024年3月5日火/曇り

ちょっと、新しいことを試したくなるときって、あるでしょう?
これはわたしが、「風」を感じてみたときの話ね。
その日は、朝から本を読んでいて。
「風という自然活動と人の心は物理的に繋がっている」、
風を体で感じればそのうちわかる、と書いてあって、
感心したわたしはさっそく外に出て、自転車に乗ったのだった。
自転車をこいでいると、「風」が耳をなでていく。
ときどき乱れたりするその感触や音に集中するのは、
つまり、なにかの修行の手前の手前の真似ごとだった。

やってみたら、これが不思議なものでね。
耳のそばで「風の音」を聞くようにすると、
ふわぁっと「鳥の声」も耳に入ってくるんですよ。
「耳を澄ます」とは違う感じで。
はっきりと聞こえつつも、全体のワン・オブ・ゼムで「鳥の声」がする。
なんだか、鳥って風のいきものだなと思ったし、
周りにこんなにたくさん鳥がいたんだ、ということも気がついた。
なんだろう、そこには「耳で感じる世界」が確かにあった。
こうやって思い出しながら、
どうぶつはこんなふうに聞いているのかなとも思っている。

いつだったか、鳥のことを読んだことがあって。
鳥はじぶんのなかに地図を持っていて、
ここに水がある、ここはエサがいるという地理を細かく知っている。
そして、犬が吠えたとか、電車が通るぞとか
いつもと変わったことが起こると、鳴いて仲間に伝え合うのだ。
だから、「チー、チー」「ピチ、ピチ」とさかんに鳴いているのは
普通のことなんだよね。
なのに鳥の習性を知りながら、その音をわたしは聞いてなかったわけだ。
「聞いていない」とは、それが「いない」と同じこともである。

これから、もっと「聞いたら」、どうなるだろう。
海辺だったら、トンビの「ピーヒョロロ」がもっと聞こえるだろう。
木の葉か風で擦れる音、旗がなびく音、
秋になったら、虫の声に囲まれるのもいいな、
なんて考えていたら、世界は音でできているようにも思えてきた。
音で世界を知るって、ちょっとおもしろそうじゃないですか?

そうそう、「聞く」といえば、
わたしは母親の小言を聞かないでいた。
先生の言葉もそんなに覚えていない。
ありがたかったことなのにね。
それなのに、いまは、
車の音とか交差点の音とかに、イライラしてる。

おいおい、どうやらわたしは、耳の使い方が反対になっているらしい。

耳で感じる世界って、広そうだね。

よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。